栗田秀法「現代版画の散歩道」

第4回 吉田克朗


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吉田克朗 ≪Work “46”≫ 1975年、リトグラフ

 画面は上下の二つの区画に分かれている。セピア調のモノトーンで刷られた上部の写真には、鬱蒼とした森の手前にらせん状の滑り台等が配された公園の情景が捉えられている。下部には、滑り台の滑降部のみが拡大して切り抜かれて青のインクで、その脇に、写真では登り梯子の先に位置していた二人の児童とその視線の先にある複数の鳥が切り取られ拡大されて赤のインクで摺られている。

 モノクロ写真とそこから切り抜かれた二つほどのモチーフを拡大して併置する手法は、同年のフォト・エッチングによる「ロンドンⅡ」シリーズで試みられたものである。そこでは切り取られたモチーフが元の写真に網掛けされ、両者は同系色に統一されていた。対して、リトグラフによる本作品では、元の写真には手が加えられず、下の切り取られた部分を写真と異なる色彩で、しかも2色で摺っている点で新機軸が見いだされる。吉田克朗がフォト・エッチングの技法を習得したのは1973年のロンドンでの在外研修においてで、その成果が「ロンドンⅠ」シリーズ(1973)であった。そちらでは人の歩く街路の写真の1人物のみが「網掛け」されマーキングされるというもので、手法を異にしていた。『版画芸術』9号(1975年4月)に綴じ込まれたオリジナル版画≪London P-2(Kensington)≫でも、シルクスクリーンと技法は異なるが、ほぼ同様の手法が採用されている。黒地にシルヴァーのインクで絵柄が摺られ、歩く女性とその先にある標識のみが青インクで強調されている。

 吉田が版画制作を本格的に始めたのは1970年のことであった。もともとは「Cut-off」と題された一連のインスタレーションの構想の途上で任意のモチーフを網掛けして強調するのにシルクスクリーンを用いたことに端を発するものであったが、第1回ソウル国際版画ビエンナーレに出品された≪Work“9”≫などの作品では、単にモチーフを網掛けして強調するだけではなく、人々の行き交う街頭の写真をそのコントラストを強調しつつ黒のインクで摺り、その中の1人物のみを位置をずらしつつ網掛けして薄青のインクで摺るというプロセスが加わっている。このビエンナーレでは大賞が授与され、この作家の名は一躍版画界でも注目されるところとなった。

 もの派の作家として知られる吉田の「Cut-off」シリーズのインスタレーションを理解するカギとして重要なことばとして「作られていながら作品でなく、物でありながら物でないもの」(1970年6月8日付の制作ノート)の一節が注目される。スチールパイプであれ、大きな角材であれ、鉄板であれ、電線であれ、電球であれ、それぞれ綿が詰められたり、紐で斜めに吊るされたり、角材を横切るように置かれたり、巻かれることで紐と化したり、照らすものが照らされるものになったり、いずれもある意味でデュシャンの≪泉≫よろしく無用の長物化が試みられているといえよう。認識と視覚の地と図の転換を図る異化の試みとして興味深いが、コンクール等で落選を重ねたのには、ものの徹底した即物的な提示という、作品が放つ強度とは別の次元で勝負していたことがあったのかもしれない。

 対して吉田が版画作品において問いかけた視覚と写真とのずれや相違は、奇しくも版画とは何かを問う当時の動向とも切り結ぶところが大であった。吉田が下敷きにした写真という媒体は、その本性上ある瞬間の情景すべてを平等に映しだすものである。対して、人間の視覚では注視野というものがあり、しかも視線は刻一刻と動いていく。その映像が記憶されるときには、もちろん総体的な印象が脳裏に残ることもあるが、断片的な特定の対象がフラッシュバックする場合も多いのではないだろうか。≪Work”9”≫では、注視された網掛けの人物は元の人物の手前にあり、元写真の瞬間より一瞬前の時間が暗示され、注視の対象を意識し始める直前の意識の働きが示唆されているといえるのかもしれない。対して、≪Work “17”≫(1971)では反復像がやや濃くされて左手にずらされ、写真の瞬間より一瞬後の時間が喚起されることにより、注視の対象のその後を先取りする意識の働きが示唆されているようにも思われる。

 その後、ズレによるのではなく、特定のモチーフを鮮やかな色彩で強調する手法で臨場感を高めようとしたのが1972年の≪Work”29-B”≫である。この手法はフォト・エッチングによる「ロンドンⅠ」シリーズに受け継がれるのだが、今度はマーキングされた部分に網掛けがなされて風景に埋没し、まったく異なる懐古的な情感が醸し出されている。「ロンドンⅡ」シリーズの切り抜かれた像は元写真と同系の淡い色調で摺られているのに対し、≪Work “46”≫では、切り抜かれた像が元写真とは全く別の鮮やかな2つの色彩で摺り分けられている。「ロンドンⅡ」シリーズに≪Work “29”≫がはらむ臨在性回復の企図が別の形で接合されているのだと言え、セピア調の写真のなかで休眠していた特定のモチーフが何らかのきっかけで記憶が刺激されて突然息づき始めるような体験を想起させてくれる点でも興味深い。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2024年9月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は吉田克朗です。
yoshida_02_work117吉田克朗 Katsuro YOSHIDA
《WORK 117》 
1982年 
シルクスクリーン(刷り:美学校・宮川正臣)
イメージサイズ:42.0x56.0cm
シートサイズ :50.0x65.1cm
Ed.50   サインあり
*現代版画センターエディション
《WORK 117》は、1982年3月に開催された「美学校第3回シルクスクリーンプリントシンポジウム」で制作され、現代版画センターエディションとして発表されました。

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《WORK 46》
1975年、リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm
シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100、サインあり
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●吉田克朗に関するブログ記事
1978年07月10日|関根伸夫ヨーロッパ巡回展歓送会
1982年03月22日|美学校第3回シルクスクリーンプリントシンポジウム
2013年06月30日|久保エディション第3回~吉田克朗
2018年1月16日(火)~3月25日(日)|埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」
2018年08月21日|「吉田克朗 LONDON 1975」8月24日(金)~9月8日(土)
2018年08月23日|明日から「吉田克朗 LONDON 1975」
2018年08月24日|吉田克朗と美学校プリントシンポジウム
2018年08月30日|「吉田克朗 London 1975」開催中
2018年09月02日平野到のエッセイ「無名から無限へ」
2019年08月22日|美学校50周年展~8月25日まで
2019年09月30日土渕信彦のエッセイ~埼玉県立近代美術館「DECODE/出来事と記録ーポスト工業化社会の美術」
2021年01月20日大島成己のエッセイ「多摩美の版画、50年」展企画に際して/今日の版画を巡って
2022年03月04日市川絢菜のエッセイ「戦後現代美術の動向第4回/もの派」
2022年04月18日王聖美のエッセイ「埼玉県立近代美術館開館40周年記念展 扉は開いているか―美術館とコレクション 1982-2022」
2023年06月28日三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り第2回 田村画廊 真木画廊そして駒井画廊と真木・田村画廊」
2023年09月24日|画廊亭主の徒然なる日々「ミライの椅子 吉田克朗 生誕80年」
2024年05月21日|番頭おだちの東奔西走/神奈川県立近代美術館 葉山「吉田克朗展」
2024年06月26日平野到のエッセイ 「『吉田克朗展 ものに、風景に、世界に触れる』-展覧会の調査をめぐって」
2024年08月25日栗田秀法のエッセイ「現代版画の散歩道 第4回 吉田克朗」
2024年08月26日|番頭おだちの東奔西走/埼玉県立近代美術館「吉田克朗展 ―ものに、風景に、世界に触れる」

取り扱い作家たちの展覧会情報(7月ー8月)は7月1日ブログに掲載しました。
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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