貧しい自律性と子供のような精神をもった、建築家ロッシの理論について
片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』書評
今村創平
建築家アルド・ロッシの建築作品やドローイングは、とても魅力的だ。それもあって活躍をした1970年代から90年代まで、この建築家への評価は極めて高かった。しかし、本書の冒頭で筆者が記しているように、今ロッシは忘れられた存在である。そうした中での本書の刊行は、ロッシファンを自認する私が、待ち望んでいたものといえる。*1
●『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』
著者:片桐悠自
四六変形・440頁
刊行:鹿島出版会 2024年4月
価格:3,500円+税
一方で、ロッシはいつの時期にあっても、よく理解されてきたとはいいがたい。ロッシの国際的評価がピークであった80年代後半に、特集号をまとめた編集者中村敏男はこう記している。
この国にはアルド・ロッシの建築が好きだというものが大勢いる。(中略)こうしたことはたいへんに結構なことにちがいない。なにしろロッシは現代建築家の中で最も重要な一人であることは確実であるからである。(中略)しかし彼がこの国でこれほど人気があるということは、そのまま彼の建築や建築観が(中略)それほど容易に理解され応用できることを示すものではない。*2
続いて中村はこの建築家への不理解を、イタリアとこの国の建築の決定的違いから論じているが、いずれにしてもロッシには、本質的に難しさや謎が付随している。晩年本人が戸惑うほどの仕事の依頼が殺到し、多くの場所でロッシの建築が受け入れられたが、それと前期の持つ思弁的で内向的な傾向とは、うまくつながらないところがある。
本書は、前中期のロッシの作品と思考を、詳細に分析し、社会状況と照らし合わせ、同時代の建築家や建築史家と関連付けて、読解、解説を試みている。ロッシのドローイングを用いたブックカバーの手に取りやすさとは裏腹に、中身は硬質な理論や精緻な分析が続く*3。ここでは、私が特に関心を持った項目についてすこし触れよう。書評の役割からすると、論点をわかりやすく解説すべきかもしれないが、かいつまんで論点を紹介するため抽象的でわかりにくい恐れがあることは容赦願いたい。
まず、「貧しさ」という形容詞がよく出てくる。この「貧しさ」は、純粋なもの、簡素なもの、経済的なもの、の言いかえとして、ロッシの初期の建築と結び付けられる。禅僧仙厓の書に倣っての、○△□をモチーフとしたプロジェクト(セグラーテの噴水、モデナのサン・カタルド墓地)や、ごく一般的な建築仕上げのプロジェクト(ガララテーゼの集合住宅、ファニャーノ・オローナの小学校)などでは、「貧しさ」は、豊富や過剰の逆であり、限定することへの意思である。だがそれは文字通り「貧しい」=足りない→負の価値というよりも、豊かさや可能性を誘導する。さまざまな意味を持つものは、すでにそれらの意味が自明なのに対し、限定的な形態には、さまざまな意味の連想を誘発する余地がある。ここに、ロッシの〈類推〉概念の繋がりが見いだせる。
〈自律〉という考えも気になるものだ。本書において、自律は〈絶対性〉(アウレリの)と結びつけられ、周囲とは隔絶した記念碑的なものとして扱われる。一方で、若きロッシの思想的背景ともなったイタリアのアウトノミア運動*4では、自律とは社会的連帯のために求められる。(自律の定義はさまざまになされるが、私個人は、自律とは、単なる独立もしくは孤立ではなく、社会的存在としての自律的状態、と考えている)。自律ゆえの開かれは、貧しい幾何学が類推をもたらすことと並行する。
そして最後に、ときの忘れもののサイトなので、ロッシのドローイングに触れないわけにはいかないだろう。本書では一章を割いて検討されている。ロッシは、実の多くのドローイングを描いた。私は、数十年前、パリのポンピドゥーセンターで開催されていた、ロッシのドローイングだけからなる展覧会を観たことがある。ロッシのドローイングを集めた本も何冊も出ている。ロッシの描法には様々なものがあるが、ロッシは美術学校で習うような正規の技法は好まず、自ら手を動かし、描き方を開発していたようである。であるので決まったスタイルによるルーティーンに陥らず、どのドローイングにもロッシの思考の跡が伺えるように思える。それがロッシのドローイングを魅力的にしているのではないか。建築家は、往々にして、自身の構想を固めるためにスケッチを繰り返す。しかし、ロッシのドローイングは、建築という構築的なものから自由であるために、描き続けられたのだろう。筆者は、それをロッシのインファンティア(子供らしさ)と呼んでいる。
ロッシは、活躍の絶頂にあった66歳の時に不慮の自動車事故で無くなった。悲しむべきことだが、最後までインファントであり続けたのであれば、決して貧しくない人生であったのだと思う。
*1:序でも紹介されているように、世界では近年ロッシ再評価の機運があり、この建築家とその周辺に関するさまざまな研究、出版がなされている。その一部として、本書に先立ち近年翻訳されたP.V.アウレーリ『プロジェクト・アウトノミア』やD.S.ロペス『メランコリーと建築-アルド・ロッシ』は、優れた研究書である。
*2:中村敏男「序:アルド・ロッシの建築について」(『a+u 88:06特集アルド・ロッシの最新作』(エー・アンド・ユー、1988年、p21)
*3:ぜひブックカバーを取ってみて欲しい。カバーの中の表紙にはO△□のみが描かれている。賑やかな寓意の中に潜む、基本的な幾何学。筆者は、本書の奥付の肩書に「建築家・建築理論家」と記している。建築理論家という言い方は、あまり聞かないものである。一般には、建築史家、建築批評家であろうが、こうした名称では己の姿勢をうまく表現できないと考え、また理論を重視していることの意思表明なのだろう。

*4:アウトノミア(伊)とはオートノミー(英、自律性)のこと。
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
*画廊亭主敬白
イタリアの建築家・アルド・ロッシ(Aldo Rossi, 1931年5月3日 - 1997年9月4日、享年66)は日本にもファンが多く、多くの建築を手掛けています。
1970年代から磯崎新先生の版画エディションを創ることに夢中になっていた亭主ですが、いずれは海外の建築家の版画エディションを手掛けるつもりでした。磯崎先生や植田実先生のアドバイスを受けて、アルド・ロッシとマイケル・グレイブスが候補でした。

アルド・ロッシ設計
旧アンビエンテ・インターナショナル
1991年竣工
(現 ジャスマック本社ビル)
青山時代のときの忘れものから歩いて直ぐの場所にあり、イベント会場として使われていました。
ときの忘れものの一軒家時代、2000年3月31日~4月15日「磯崎新銅版画展 -旅のスケッチ帖より/版画掌誌第2号刊行記念」を開催しましたが、10人も入れば一杯になる狭いスペースだったので、4月3日にここを借りて、記念レセプションを開催しました。


4月3日の記念レセプションで挨拶する磯崎新先生
●本日のお勧め作品は、磯崎新とマイケル・グレイブスです。

磯崎新「ヴィッラYa」
1978年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0×47.0cm
シートサイズ:65.0×50.0cm
Ed.75 サインあり
マイケル・グレイヴス「ドローイング」
1989年 紙に鉛筆、色鉛筆
イメージサイズ:13.0x81.0cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』書評
今村創平
建築家アルド・ロッシの建築作品やドローイングは、とても魅力的だ。それもあって活躍をした1970年代から90年代まで、この建築家への評価は極めて高かった。しかし、本書の冒頭で筆者が記しているように、今ロッシは忘れられた存在である。そうした中での本書の刊行は、ロッシファンを自認する私が、待ち望んでいたものといえる。*1
●『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』著者:片桐悠自
四六変形・440頁
刊行:鹿島出版会 2024年4月
価格:3,500円+税
一方で、ロッシはいつの時期にあっても、よく理解されてきたとはいいがたい。ロッシの国際的評価がピークであった80年代後半に、特集号をまとめた編集者中村敏男はこう記している。
この国にはアルド・ロッシの建築が好きだというものが大勢いる。(中略)こうしたことはたいへんに結構なことにちがいない。なにしろロッシは現代建築家の中で最も重要な一人であることは確実であるからである。(中略)しかし彼がこの国でこれほど人気があるということは、そのまま彼の建築や建築観が(中略)それほど容易に理解され応用できることを示すものではない。*2
続いて中村はこの建築家への不理解を、イタリアとこの国の建築の決定的違いから論じているが、いずれにしてもロッシには、本質的に難しさや謎が付随している。晩年本人が戸惑うほどの仕事の依頼が殺到し、多くの場所でロッシの建築が受け入れられたが、それと前期の持つ思弁的で内向的な傾向とは、うまくつながらないところがある。
本書は、前中期のロッシの作品と思考を、詳細に分析し、社会状況と照らし合わせ、同時代の建築家や建築史家と関連付けて、読解、解説を試みている。ロッシのドローイングを用いたブックカバーの手に取りやすさとは裏腹に、中身は硬質な理論や精緻な分析が続く*3。ここでは、私が特に関心を持った項目についてすこし触れよう。書評の役割からすると、論点をわかりやすく解説すべきかもしれないが、かいつまんで論点を紹介するため抽象的でわかりにくい恐れがあることは容赦願いたい。
まず、「貧しさ」という形容詞がよく出てくる。この「貧しさ」は、純粋なもの、簡素なもの、経済的なもの、の言いかえとして、ロッシの初期の建築と結び付けられる。禅僧仙厓の書に倣っての、○△□をモチーフとしたプロジェクト(セグラーテの噴水、モデナのサン・カタルド墓地)や、ごく一般的な建築仕上げのプロジェクト(ガララテーゼの集合住宅、ファニャーノ・オローナの小学校)などでは、「貧しさ」は、豊富や過剰の逆であり、限定することへの意思である。だがそれは文字通り「貧しい」=足りない→負の価値というよりも、豊かさや可能性を誘導する。さまざまな意味を持つものは、すでにそれらの意味が自明なのに対し、限定的な形態には、さまざまな意味の連想を誘発する余地がある。ここに、ロッシの〈類推〉概念の繋がりが見いだせる。
〈自律〉という考えも気になるものだ。本書において、自律は〈絶対性〉(アウレリの)と結びつけられ、周囲とは隔絶した記念碑的なものとして扱われる。一方で、若きロッシの思想的背景ともなったイタリアのアウトノミア運動*4では、自律とは社会的連帯のために求められる。(自律の定義はさまざまになされるが、私個人は、自律とは、単なる独立もしくは孤立ではなく、社会的存在としての自律的状態、と考えている)。自律ゆえの開かれは、貧しい幾何学が類推をもたらすことと並行する。
そして最後に、ときの忘れもののサイトなので、ロッシのドローイングに触れないわけにはいかないだろう。本書では一章を割いて検討されている。ロッシは、実の多くのドローイングを描いた。私は、数十年前、パリのポンピドゥーセンターで開催されていた、ロッシのドローイングだけからなる展覧会を観たことがある。ロッシのドローイングを集めた本も何冊も出ている。ロッシの描法には様々なものがあるが、ロッシは美術学校で習うような正規の技法は好まず、自ら手を動かし、描き方を開発していたようである。であるので決まったスタイルによるルーティーンに陥らず、どのドローイングにもロッシの思考の跡が伺えるように思える。それがロッシのドローイングを魅力的にしているのではないか。建築家は、往々にして、自身の構想を固めるためにスケッチを繰り返す。しかし、ロッシのドローイングは、建築という構築的なものから自由であるために、描き続けられたのだろう。筆者は、それをロッシのインファンティア(子供らしさ)と呼んでいる。
ロッシは、活躍の絶頂にあった66歳の時に不慮の自動車事故で無くなった。悲しむべきことだが、最後までインファントであり続けたのであれば、決して貧しくない人生であったのだと思う。
*1:序でも紹介されているように、世界では近年ロッシ再評価の機運があり、この建築家とその周辺に関するさまざまな研究、出版がなされている。その一部として、本書に先立ち近年翻訳されたP.V.アウレーリ『プロジェクト・アウトノミア』やD.S.ロペス『メランコリーと建築-アルド・ロッシ』は、優れた研究書である。
*2:中村敏男「序:アルド・ロッシの建築について」(『a+u 88:06特集アルド・ロッシの最新作』(エー・アンド・ユー、1988年、p21)
*3:ぜひブックカバーを取ってみて欲しい。カバーの中の表紙にはO△□のみが描かれている。賑やかな寓意の中に潜む、基本的な幾何学。筆者は、本書の奥付の肩書に「建築家・建築理論家」と記している。建築理論家という言い方は、あまり聞かないものである。一般には、建築史家、建築批評家であろうが、こうした名称では己の姿勢をうまく表現できないと考え、また理論を重視していることの意思表明なのだろう。

*4:アウトノミア(伊)とはオートノミー(英、自律性)のこと。
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
*画廊亭主敬白
イタリアの建築家・アルド・ロッシ(Aldo Rossi, 1931年5月3日 - 1997年9月4日、享年66)は日本にもファンが多く、多くの建築を手掛けています。
1970年代から磯崎新先生の版画エディションを創ることに夢中になっていた亭主ですが、いずれは海外の建築家の版画エディションを手掛けるつもりでした。磯崎先生や植田実先生のアドバイスを受けて、アルド・ロッシとマイケル・グレイブスが候補でした。

アルド・ロッシ設計
旧アンビエンテ・インターナショナル
1991年竣工
(現 ジャスマック本社ビル)
青山時代のときの忘れものから歩いて直ぐの場所にあり、イベント会場として使われていました。
ときの忘れものの一軒家時代、2000年3月31日~4月15日「磯崎新銅版画展 -旅のスケッチ帖より/版画掌誌第2号刊行記念」を開催しましたが、10人も入れば一杯になる狭いスペースだったので、4月3日にここを借りて、記念レセプションを開催しました。


4月3日の記念レセプションで挨拶する磯崎新先生●本日のお勧め作品は、磯崎新とマイケル・グレイブスです。

磯崎新「ヴィッラYa」
1978年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0×47.0cm
シートサイズ:65.0×50.0cm
Ed.75 サインあり
マイケル・グレイヴス「ドローイング」1989年 紙に鉛筆、色鉛筆
イメージサイズ:13.0x81.0cm
サインあり
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●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

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TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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