栗田秀法「現代版画の散歩道」

第6回 柳澤紀子


yanagisawa-02
柳澤紀子《時の移ろい―残花》

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間まに


画面左手には、画面いっぱいに筋肉質の男性の背面が描かれている。後ろに回された左手は右肩に、右手は左ひじに置かれている。最初は何をしているのかよくわからなかったが、どうもストレッチをしている最中のようである。いわゆる「肘裏のストレッチ」である。裸なので仕事中にからだをほぐしているわけではなかろう。そうするとスポーツの前後か、ヨガやストレッチの教室の最中なのか。それはともかくも、そこには何かしら鬱屈とした雰囲気が感じられる。画面中央を占めるいびつに歪む黒い区画はこの人物のうめき声か心中の思いのメタファーなのだろうか。この区画は造形的には紙片の平面性を強く意識させる働きをしているようにも見えるが、実際にはメゾチント技法で奥へと幽遠な空間が開かれており、その様相はさながら不安げな心象の風景のようである。対して、その脇には手前に広がる空間が設けられ、そこに配された散り残った花がクローズアップされ、見るものに迫ってくる。その周囲や人物の腰の左に置かれた黒い帯状の区画が画面に小気味よいアクセントを与えている。全体のいささか重々しい空気を和らげているのが左下隅の、身体の一部と重なりつつ緩やかに下辺中央へ下降する朱色の区画で、身体と重なる部分は黄みがかっている。複数の断片がコラージュ的に並置されるモンタージュの画面構成の手法により、一つの画面に去来する時間の要素が生じている。

 本作品は3点組の連作「時の移ろい」を締めくくる作品である。第1作は《夏めく》で、画面左手には、首から足首まで描かれた上半身裸の痩身の男性が立っている。画面の左端には青の帯が走り、画面全体にさわやかな気分を醸し出している。画面右下の区画には川べりの街並みが広がっている。上辺が左上方向に上がることで空の広がりが喚起されているが、その上に配された固く引き締まった花のつぼみは右下への動きを示している。区画の左辺は屈曲しており、その凹んだ部分にもう一つの花のつぼみが配されている。画面中央やや下には、薄赤の細長い矩形の帯が右上がりに置かれ、黒い区画の上辺と相まってそのつぼみを際立たせている。ホックニーに通じるある種の軽やかさが気持ちの良い作品である。

 第2作は《白昼》。今度は画面右手に人物が配されている。正面向きの逞しい男性の上半身がクローズアップされている。やはり上半身には何も身に着けておらず、右手を左脇腹の辺りに置いている。画面左手には細長い逆三角形の黒の区画があり、奥には煉瓦が積み重ねられた建造物が描かれている。そこから二本の茎が出ており、右側のものは大きく花が開花し、男性の身体に重ね合わされている。男性の心臓の辺りに置かれた黄色の円形の区画に応答しているかのように見える。画面の左側の方の雰囲気は右側とは対照的である。黒の区画からは小さな花が垂れ、その茎に平行する形で配されたもう一本の茎ともどもしおれかけている。画面左端の薄赤の帯が途中から灰色に転じているのは、花が開花し、しおれていく時の移ろいを暗示しているのであろうか。男性の頭部やいくつかの場所にはぼんやりした黒の色面が置かれ、画面の哀感を強めている。

 この連作に通底するのがこの世のはかなさの情感であることは疑いない。西洋美術におけるヴァニタスの図像の諸作例が思い起こされよう。再び第3作に戻って注目したいのは、人物のアンニュイな感じとは対照的に、残花が力強くその存在を主張していることである。単なる終末論的なはかなさではなく、大いなる自然のごとく死から再生が始まる円環的な時間である。本連作は、一見するとシティー・ポップ的な日常風景の展開のようにも見えるのだが、その根底には人間と自然の根源を見つめる作者の透徹したまなざしが存在しているように思われる。

 1940年生まれの柳澤紀子は、女性の銅版画家としては南桂子(1911年生)や小林ドンゲ(1926年生)、丹阿弥丹波子(1927年生)らに続く世代に属し、中林忠良(1937年生)らとともに東京芸大で駒井哲郎の薫陶を受けた。1940年生まれの版画家というと野田哲也の名が思い浮かぶが、20代後半で版画界の頂点に上り詰めた野田とは対照的に、柳澤はある意味で遅咲きである。ただ、「水邊の庭」連作へと続くその作品世界は年齢を重ねるにつれ強度と深みを増しており、驚嘆に値する。1982年の本連作は1970年代前半のアメリカ滞在後に故郷に戻り自らの在り方を模索するなかで、不惑を超えて作者ならではの作風が確立されつつあった頃の作品であるが、後のメッセージ性の強い作品が生まれ出る素地がすでにここにあったのだと言えよう。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2024年11月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は柳澤紀子です。
yanagisawa-04 (1)《時の移ろい-白昼》
1982年
銅版、シルクスクリーン
イメージサイズ:30.5×47.0cm
シートサイズ:46.1×62.9cm
Ed.50
サインあり

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柳澤紀子×北川民次展
会期=2024年10月30日(水)~11月9日(土) 11時~19時 ※日・月・祝日休み
10月30日(水)17時~オープニングパーティ(予約不要)
11月1日(金)17時~18時半 ギャラリートーク (要予約)
  柳澤紀子 × 桑原規子(美術史家・聖徳大学兼任教員)
  ※参加費1,000円  メール、電話でお申込みください。
出品全24点の画像と詳細は10月22日ブログに掲載しました。
柳澤紀子×北川民次展案内状 表

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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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