栗田秀法「現代版画の散歩道」
第7回 舟越桂

舟越桂《砂の部屋》
舟越桂の作品タイトルはいつも謎めいている。「砂の部屋」というと、時のはかなさ、寄る辺のなさ、孤独感といったイメージが思い浮かぶのだが、一見すると、そうした連想は必ずしもしっくりくるものではないように思われる。作品をじっくり見てみることにしよう。
見目麗しい一人の青年が真正面を向いている。頭髪は短めで、額は広い。眉が濃く見えるのは、光線の具合であろうか。左斜め上から光が当たり、眼窩の上部が陰になり、左の額と頬の一部も陰になっている。卵型の顔貌には確固とした量感が醸し出されており、ものの表面よりも中身が詰まった様態をつかもうとする彫刻家ならではのかたちの捉え方が見いだされる。
透き通った瞳が印象的で、少し開かれた厚手の唇は艶っぽくもある。すっと通った鼻筋は長い首を経てシャツの前立てにつながり、凛とした風情をこの細身の人物に与えている。シャツの襟の黒は襟が色付きなのを示しているのだろうが、肩の黒は不定形で、布地が黒いのか、陰になっているのか、作者が意図的に表現効果を狙ったものなのかは判然としない。シャツの白地の部分には小気味よい筆致が入り、背地にも掃いたような薄い筆の痕跡が頭部を取り囲んでいる。興味深いのは、首の右手に見出される黒い区画で、単なる影なのか、はたまた背後霊のごときものなのか。ともあれ、この人物の人間像に複雑な感情の襞のようなものが喚起されている。
本作品は、1993年に制作された5点組の大判連作版画「水の下の小石」の一枚である。5点の内2点がやや斜め向きで、3点が正面向きである。《砂の部屋》だけが直立しているのは、崩れそうな砂の床で踏ん張る人間の姿を描いているということになるのかもしれないが、腰から上の半身像が漂わせる舟越一流の親密感を前にしてはそんなことは些末なことのようにも思えてくる。
舟越が版画に手を染めたのは1986年度のロンドン留学中のことである。この時の小品の技法は通常のエッチングで、ニードルによる刻線のみで作品が成り立っている。次に集中的に版画に取り組んだのは1990年のことで、19点が制作されている。最初に制作されたのがクラウン・ポイント・プレスで制作された銅版画8点で、ソープグランドやシュガーアクアチント、スピットバイトといった流動性や自発的な表現効果を醸し出す技法を駆使して、彫刻の習作デッサンの枠を超えた独自の表現世界を切り開いた。
それから少し間を空けて取り組まれたのがリトグラフによる連作「水の下の小石」である。もともと舟越はインクののりの点でリトグラフに好感を持っていなかったようだが、この技法に踏み切った経緯を『版画芸術』104号(1999)において次のように述べている。
個人的な思い出で恐縮であるが、舟越桂の彫刻では《肩で眠る月》(1996)に特別な思い入れがある。古巣の愛知県美術館の所蔵作品展でよく展示されたもので、豊かな量塊が堅固に凝縮されたその作品世界を日常的に目にし、圧倒された記憶が鮮烈に蘇ってくるからである。時間の要素を導入するために首の位置を肩の中心からずらす工夫をほどこしたと作家自ら語ったように、その性格上、制作がある意味禁欲的にならざるを得ない木彫の世界に比べ、人物の外部を取り込み付加することが許される平面の世界、版画の世界は格段に自由で開放的である。水の中に小石を探し続けるがごとく自分を見つけ続けたと語る舟越だが、彫刻制作で強いられる制約や忍耐を発散する場であるかのように、この後の舟越の版画世界はさらに表出的な様相を高めつつ、版画制作は彫刻制作に伴走していくこととなった。
(くりた ひでのり)
●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2024年12月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。
■栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など
●本日のお勧め作品は舟越桂です。
《The room of sand 砂の部屋》
1993年
リトグラフ
イメージサイズ:85.0×65.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●パリのポンピドゥー・センターで開催されているシュルレアリスム展にはときの忘れものも協力し瀧口修造のデカルコマニーを貸し出し出品しています。カタログ『SURREALISME』は、仏語版の他に、やっと英語版が到着しました。どちらをご希望か明記して注文してください。
サイズ:32.8×22.8×3.5cm、344頁 22,000円(税込み)+送料1,500円
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第7回 舟越桂

舟越桂《砂の部屋》
「もっとその人が僕の側にいるときのあの感じが」(舟越桂)
舟越桂の作品タイトルはいつも謎めいている。「砂の部屋」というと、時のはかなさ、寄る辺のなさ、孤独感といったイメージが思い浮かぶのだが、一見すると、そうした連想は必ずしもしっくりくるものではないように思われる。作品をじっくり見てみることにしよう。
見目麗しい一人の青年が真正面を向いている。頭髪は短めで、額は広い。眉が濃く見えるのは、光線の具合であろうか。左斜め上から光が当たり、眼窩の上部が陰になり、左の額と頬の一部も陰になっている。卵型の顔貌には確固とした量感が醸し出されており、ものの表面よりも中身が詰まった様態をつかもうとする彫刻家ならではのかたちの捉え方が見いだされる。
透き通った瞳が印象的で、少し開かれた厚手の唇は艶っぽくもある。すっと通った鼻筋は長い首を経てシャツの前立てにつながり、凛とした風情をこの細身の人物に与えている。シャツの襟の黒は襟が色付きなのを示しているのだろうが、肩の黒は不定形で、布地が黒いのか、陰になっているのか、作者が意図的に表現効果を狙ったものなのかは判然としない。シャツの白地の部分には小気味よい筆致が入り、背地にも掃いたような薄い筆の痕跡が頭部を取り囲んでいる。興味深いのは、首の右手に見出される黒い区画で、単なる影なのか、はたまた背後霊のごときものなのか。ともあれ、この人物の人間像に複雑な感情の襞のようなものが喚起されている。
本作品は、1993年に制作された5点組の大判連作版画「水の下の小石」の一枚である。5点の内2点がやや斜め向きで、3点が正面向きである。《砂の部屋》だけが直立しているのは、崩れそうな砂の床で踏ん張る人間の姿を描いているということになるのかもしれないが、腰から上の半身像が漂わせる舟越一流の親密感を前にしてはそんなことは些末なことのようにも思えてくる。
舟越が版画に手を染めたのは1986年度のロンドン留学中のことである。この時の小品の技法は通常のエッチングで、ニードルによる刻線のみで作品が成り立っている。次に集中的に版画に取り組んだのは1990年のことで、19点が制作されている。最初に制作されたのがクラウン・ポイント・プレスで制作された銅版画8点で、ソープグランドやシュガーアクアチント、スピットバイトといった流動性や自発的な表現効果を醸し出す技法を駆使して、彫刻の習作デッサンの枠を超えた独自の表現世界を切り開いた。
それから少し間を空けて取り組まれたのがリトグラフによる連作「水の下の小石」である。もともと舟越はインクののりの点でリトグラフに好感を持っていなかったようだが、この技法に踏み切った経緯を『版画芸術』104号(1999)において次のように述べている。
瀬越さん(エディション・ワークスのプリンター)にどんな技法があるか見せてもらう中で、コピー機のトナーをアルミ版の上に砂絵のように落としていく技法があって、試してみたら案外とうまくいったんですよ。リトとは全然違った、紙にインクがきゅっと染み込んでいるような深いトーンが出たので、すごく気に入りましたね。トナーを用いた銅版画は近年では阿部大介が試みているが、リトグラフにもトナーが用いられたことがあったことは興味深い。求める表現世界を実現すべく不自由な技法を厭わない作家の姿勢こそが彫刻家の余技にとどまらない版画家・舟越桂の面目躍如なのだといえよう。
個人的な思い出で恐縮であるが、舟越桂の彫刻では《肩で眠る月》(1996)に特別な思い入れがある。古巣の愛知県美術館の所蔵作品展でよく展示されたもので、豊かな量塊が堅固に凝縮されたその作品世界を日常的に目にし、圧倒された記憶が鮮烈に蘇ってくるからである。時間の要素を導入するために首の位置を肩の中心からずらす工夫をほどこしたと作家自ら語ったように、その性格上、制作がある意味禁欲的にならざるを得ない木彫の世界に比べ、人物の外部を取り込み付加することが許される平面の世界、版画の世界は格段に自由で開放的である。水の中に小石を探し続けるがごとく自分を見つけ続けたと語る舟越だが、彫刻制作で強いられる制約や忍耐を発散する場であるかのように、この後の舟越の版画世界はさらに表出的な様相を高めつつ、版画制作は彫刻制作に伴走していくこととなった。
(くりた ひでのり)
●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2024年12月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。
■栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など
●本日のお勧め作品は舟越桂です。
《The room of sand 砂の部屋》1993年
リトグラフ
イメージサイズ:85.0×65.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●パリのポンピドゥー・センターで開催されているシュルレアリスム展にはときの忘れものも協力し瀧口修造のデカルコマニーを貸し出し出品しています。カタログ『SURREALISME』は、仏語版の他に、やっと英語版が到着しました。どちらをご希望か明記して注文してください。
サイズ:32.8×22.8×3.5cm、344頁 22,000円(税込み)+送料1,500円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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