よりみち未来派(第34回):バッラにおける芸術革新/社会意識の関係

太田岳人

最近の文章で、私はドゥイリオ・レモンディーノアントニオ・グラムシという二人のイタリア共産党の活動家を続けて取り上げ、彼らの立場からの未来派運動への参加、あるいは同時代的な分析について紹介した。そこで、最終的に彼らの政治の側に与することがなかったマリネッティらの側で、どんな社会的思想・実践を構想していたかという、もう一つの問題が浮かびあがる。引き続き今回は、日本ではあまり知られていない、マリネッティの「政治」に関する宣言を色々取り上げたいところだが、さすがに3回連続でテキストを中心に紹介する内容となると、ギャラリーのサイト向けの文章として申し訳ない。ここでは一旦、造形芸術の話に立ち戻ろう。

ジャコモ・バッラについては、すでに本連載の第8回でも取り上げており、彼がイタリア版のポスト印象派と言える「分割主義」の若手画家だったことはかつて述べた。技術的な面から見た「分割主義」の画家たちは、色の点描ではなく主に細長い線によって画面を構築しつつ、フランスのスーラやシニャックほど厳密な色彩の科学的分析には進まなかったことが特徴的である。1890年代ごろからようやく登場した彼らの動向は、めまぐるしく新しい動向を生んだパリと比べれば、最先端ではなかったかもしれない。しかし興味深いのは、彼らの中から、風景の美や象徴主義的な精神性をあらわすことに尽力するだけでなく、当時のイタリアの社会問題に対する主題に、この技法を応用していく画家が現れたことである。

先の拙稿では、バッラと年齢が近いジュゼッペ・ペッリッツァ・ダ=ヴォルペード(1868-1907)を取り上げたものの、前衛的な(当時のイタリアとしては)表現技術と社会的主題を結合させようとした試みは他にもある。たとえば、水田における農村女性の重労働を描いた、アンジェロ・モルベッリ(1853-1919)の《80チェンティージミのために!》(フランチェスコ・ボルゴーニャ美術館所蔵、ヴェルチェッリ)や、「社会的コントラスト」「階級闘争」といった直接的な名前で呼ばれたこともあった、エミリオ・ロンゴーニ(1859-1932)の《飢えた男の省察》(ビエッラ領域美術館所蔵)などが、その代表的な作品となる。最初期の未来派において、カルロ・カッラが《無政府主義者ガッリの葬儀》を描き、ウンベルト・ボッチョーニが社会主義者のサークルにも出入りしていた背景には、こうした未来派以前のイタリアの造形芸術家たちの傾向がある。

以前のバッラの紹介で取り上げた《狂女》は、こうした分割主義の先輩画家と共通する感覚が強く表れていると言える。しかし叙情性ではなく、やがて未来派に向かうモダニスト的感性をより感じられるのは、1903年の《破産》【図1】であろう。本作には、労働者や失業者、あるいは病院の精神障碍者や養老院の老人といった、同情を誘う弱者像は登場しない。タイトルになっている「破産」という事態は、クローズアップされた門扉の下部に、子供がチョークで落書きしたとおぼしき文字や線画、あるいは薄汚れた道路の敷石でのみ示される。この時期のバッラから指導を受けていたジーノ・セヴェリーニが、自伝においてこの作品の新鮮な印象について述べているのも道理である。

図1:バッラ《破産Fallimento》、1903年(キャンバスに油彩、116×160cm、個人蔵)
※     Fabio Benzi, Giacomo Balla: genio futurista, Milano Electa, 2007より。

人道的/心情的社会主義とでも言える立場から、社会的主題を取り上げた分割主義の画家たちの作品は、それ以前の世代による写実主義に立脚したタイプの作品にはない、美的な側面も持っていたことで比較的受け入れられやすい点を有していた。しかし同時代的には「純粋な」美術批評の側からは、しばしば「お涙ちょうだいpietismo」に堕しやすいものとして批判されていた。対して、未来派へ接近して以後のバッラの作品に登場する、マンガチックな「走る脚」、あるいは幾何学的な衝撃波として表された「速度」の表現などは、そうした先行世代にあった叙情性や感傷性を振り切るような試みでもある。

ただしバッラの場合、こうした表現上の飛躍は、野放図さや陽気さをアピールしつつ部分的には「(国民)社会主義」をも僭称して現れた、ファシズム勢力への期待にもつながっていったように見える。第一次世界大戦への途中参戦を鼓吹していた時期の「トリコローレ」の作品を経て、1920年代に服飾や生活用品への分野に進出したことに比べると、同時期にバッラが新聞や雑誌に寄稿していた文章【注1】の内容についてはさほど知られていない。しかしファシストに対する彼の姿勢は、マリネッティと比べればより素朴ではあるものの、彼にも劣らない積極性を感じさせるものである。ボローニャで活躍した画家・写真家タート(1896-1974)との共同名義で、1924年11月に発表された「未来派芸術・活用化・ファシズム・近代化・青年」(「イタリア創造者宣言」の題名でも知られる)【図2】において、従来の未来派にも存在した「若者に道を空けよ」という主張は、「ファシスト政府=未来派芸術」、「我々はイタリアを“未来派ファシスト理想化FUTURFASCISTIDEALIZZARE〕”したい」と言ったフレーズと、混然一体のものとなっていた。

図2:タートバルTatbal(タートとバッラ)「未来派芸術・活用化・ファシズム・近代化・青年(イタリア創造者宣言)」(『リナッシタ』第7号、1924年11月号掲載)
※     Matteo D‘Ambrogio (a cura di), Nuovi archivi del Futurismo. Manifesti programmatici: teorici, tecnici, polemici, Roma: De Luca, 2019より。

1930年代初頭、未来派の活動から距離を置くようになったバッラは、プレ未来派期とも異なる風俗画的な具象絵画の制作に転換していく。現在はトリノのアニェッリ絵画館のコレクションとなっている《ローマ進軍》【図3】は、未来派ファンを当惑させるものであろう。1922年10月、イタリア中からローマにファシストを動員することで倒閣に成功した、ベニート・ムッソリーニと「四天王」【注2】の姿の描写は、《破産》のように写真を参照しつつも奇妙な空疎さがあり、そこに画家の構想力や想像力の衰えを見て取る向きがいても不思議ではない。

図3:バッラ《ローマ進軍Marcia su Roma》(※表側に《抽象的速度》)、1932-1934年(キャンバスに油彩、260×332cm、アニェッリ絵画館、トリノ)
※     Fabio Benzi, Giacomo Balla: genio futurista, Milano: Electa, 2007より。

しかしさらに当惑させられるのは、この作品が20年前の、バッラが初期未来派で造形的実験を繰り返していた時代の《抽象的速度》【図4】の裏側に描かれているという事実である。これは、画家が単にキャンバスを節約したかったという話ではない。初期未来派-ポスト未来派期の20年強の間に、バッラの画風はめまぐるしく変化したものの、少なくとも彼の内的世界においては一貫性が自負されていたことを、この作品は提起する。そして、彼における芸術革新/社会への意識がファシズム政権の枠に吸収されていった事態も、単なる機会主義の問題にとどまらない可能性を示唆しているように思われる。

図4:バッラ《抽象的速度Verocità astratta》(※図版の拡大/裏側に《ローマ進軍》)、1913年(キャンバスに油彩、260×332cm、アニェッリ絵画館、トリノ)
※     Claudia Salaris, Futurismo: la prima avanguardia, Firenze: Giunti, 2009より。

【注】
注1:ボッチョーニ、カッラ、セヴェリーニらに比べ、バッラ自身による文章を集成したものは少なく、Giovanni Lista (a cura di), Giacomo Balla: scritti futuristi, Milano: Abscondita, 2010などは貴重な例外である。

注2:国民ファシスト党初期の幹部で、1922年の「ローマ進軍」の決行に重要な役割を果たした4人を指す。バッラの《ローマ進軍》の中では、最前列のムッソリーニをはさんだ左側に、ミケーレ・ビアンキ(1883-1930)とエミリオ・デ=ボーノ(1866-1944)の二人、右側にチェーザレ・マリーア・デ=ヴェッキ(1884-1959)とイタロ・バルボ(1896-1940)の二人が描かれている。

(おおた たけと)

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2025年2月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学ほかで非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

 

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