2026.2.12

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」第35回

よりみち未来派(第35回): 未来派的人間とAI?

太田岳人

とある大学において、複数人で受け持っているオムニバス講義での話である。私の担当は、近代日本における西洋からの油絵(洋画)の定着・展開についてで、テーマは4回にわたって話すことになっていた。先日、その第3回で私は、明治末期から大正初期における西洋美術とその精神の受容をどう考えるかについて、具体的には黒田清輝の《智・感・情》や高村光太郎の「緑色の太陽」に言及しながら解説した。ところが、学生が講義の出席票代わりに大学の電子システムから提出してくる、その日の「感想」を読んでいるうちに、奇妙なことに気づいた。話してもいない、未来派についての「感想」を書いてくる学生が5・6人もいる。確かに私は未来派を専門としているが、少なくとも今回は一切語っていないはずである。しかしその中には「感想」だけではなく、未来派を語った(とされる)講義に対して、ご丁寧に「質問」までつけてくる者すら存在しているではないか。

 

一瞬私は、「自分の知らないもう一人の自分がいる」と種のホラー映画の世界に入りこんだのかと戦慄した。しかし少し考えると、もっと現実的な原因が別にあることに気づいた――実を言うと、黒田や高村について取り上げるのは、授業シラバス上では第2回の予定であった。しかし実際には、第1回と第2回の内容を予定より大幅に増補したため、第2回の内容が実際には第3回に行われることになり、第3回に予定されていた未来派の話は第4回に持ち越しとなった――このことから導き出される、21世紀における可能性は一つしかない。電子システムを通じて送られてきた「感想」は、シラバスなどの文章を元に、AIの類によって書かれた作文であるということだ。いわゆる「代返」は昔から存在しているとはいえ、この「代返」にはこちらが話してもいない話題や、それについて考えた身振りまでセットでついてくるので、薄気味悪いことこの上ない。

 

自分が個人で担当している授業では、基本的に教室内で何かしら書いてもらうことで出席を確認している。しかしこのオムニバス授業では、電子システム上のコメントでそれらを置き替えているため、その時の講義に参加していない者が、「参加点」をかっさらっていく手口が成立するわけである。反則行為の疑惑が持たれた諸君に対して、私は申し開きを要求し、説得的説明のない場合は「参加点」を剥奪し大学へ報告する旨を警告すると、気づいていなかった学生も含めて続々と名乗り出てきたのには苦笑させられた【注1】。こうしたコメントには、この「よりみち未来派」で書いている記事も、データの一部として使われたらしい。

 

近年の未来派研究で、現代に通ずる要素を含むものとしてしばしば注目されるようになった文書の一つに、フェデーレ・アザーリ(18961930)の宣言「機械愛護協会のためにPer una società di protezione delle macchine」(1927)がある。題名からも分かる通り、この宣言には、動物の愛護協会があるのだから機械を崇拝する我々はその愛護協会をつくるべきだという、パロディ的発想が多分に含まれているし、機械が「貧困を決定的に除去し、それにより階級闘争を除去する」といった中身の一部からは、楽観的に過ぎる古い機械観が記されているだけのようにも見える。しかし同時にアザーリは、近い将来「私たちの頭脳の娘」であるところの機械が、「生-本能vita-istinto」とともに「機械の知性intelligenza meccanica」、いわば現代的な「人工知能intelligenza artificiale」を持つことを予見してもいる。

 

アザーリは画家・作家としての活動【図1】に加え飛行士の資格も持ち、マリネッティとともに『イタリア航空第一事典』(1929)【注2】の編者となるほどであったから、こうした発想に行きついたのかもしれない。もちろん、未来派の宣言や「機械」はあくまで100年前のものであるから、こうした「機械の知性」への言及は例外的である。しかし、芸術運動初期からの機械への賛美的言及を受けて、1920年代の未来派においては、エンリコ・プランポリーニ、イーヴォ・パンナッジ、ヴィニーチョ・パラディーニの三者の署名による「機械芸術宣言」(1922)を出発点とした「機械芸術」が提唱された。

図1:アザーリ《飛行のパースペクティヴProspettiva di volo》、1926年(キャンバスに油彩、120×85cm、個人蔵)

  • Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo: 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。

イタリア国外でも、カレル・チャペックの戯曲『ロボット(RUR)』(1920)や、フリッツ・ラングの映画『メトロポリス』(1927)などが生まれている時代であるが、それらのような「機械文明の末路」に近いヴィジョンが描かれるものと比較すると、未来派の作品には楽観的雰囲気があふれているだけでなく、芸術家個々のユーモア的な感覚が強く表出されている。フォルトゥナート・デペロによるドラム缶体型の機械人間が描かれたポスター【図2】は、単なる「レトロ・フューチャー」への懐旧を越えて何かほほえましい。一方、「機械芸術宣言」の執筆者の一人であるプランポリーニ自身が描いた《日常的な自動人形》(2001年に日本で紹介された時の訳題は「機械人間」)【図3】は、不定形な風景とも図形の配列ともつかない空間の中、あるいはそこに突如現れた扉から出てきた、不定形な輪郭で示される。この作品は従来から、チャーリー・チャップリンの映画からヒントを得ていることが指摘されていて、確かに画面の左上部には、山高帽とステッキを思わせる形状があり、画面の中央は彼の着物と同じ黒色が配されているし、下部の砂が張り付けられた部分は彼のドタ靴を想起させる。『モダン・タイムス』(1936)以前のチャップリン映画は、浮浪者とも紳士ともつかない「チャーリー」が、反復的でぎこちないもののスピーディなアクションとともに、秩序ある社会に闖入することによって展開されていくが、この「自動人形」は、周囲への闖入者として出現したという点で同等でありつつ、スピードではなくその色彩や特殊な素材によって、風景と相互に浸透しあうという独自のパワーを持った存在でもある。

 

図2:デペロ《「新未来派劇場」のためのポスター》、1924年(リトグラフ、140×100cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館、ロヴェレート)

  • 東京都庭園美術館(ほか編)『デペロの未来派芸術展』(読売新聞社、2000年)より。

 

図3:プランポリーニ《日常的な自動人形(機械人間)L’automata quotidiano》、1930年(板に油彩とコラージュ、100×80cm、国立ローマ近代美術館)

  • 東京都現代美術館(ほか編)『20世紀イタリア美術展』(東京都現代美術館・日本経済新聞社、2001年)より。

こうした、機械に関する豊かなイメージ群を準備する基盤となったのは、「増強した人間と機械の王国」(1910)などの、マリネッティの初期の一連の宣言であり、以前に紹介した横田さやか氏の著作『未来派・飛行機・ダンス』は、人間の潜勢力を解放するための「機械との融合」こそが未来派の大テーマの一つであったと指摘していた。再び最初の話題に戻ると、私自身もいくつかの点では、AI技術をすでに仕事で活用している立場であり、学生がそれを使うのはダメと言いたいわけではない。たとえば、何かしらの海外のニュース記事を大量に読む、あるいは自分の日本語の文章を外国語に直す際に、機械翻訳を使うことは基本的には便利だと思っている。だからこそ、たかが知れている「参加点」のために、教員が実際には何をしゃべったかくらい確認しないで自ら墓穴を掘るようなマネは勘弁していただきたい。それは「自身の能力」を増強しているとは言いがたいし、彼ら彼女らが近い将来こうしたことを続けた結果、勤め先などで重大な事態を引き起こす可能性を私は憂いている。彼ら彼女らには、いわば未来派的に、真に機械と融合してもらいたいところである。

【注】

注1:このエピソードを周囲の何人かに話したところ、私より若い女性講師の方の一人が、「太田さんより10才上の世代なら、この技術なしでも定年までの逃げ切りは可能だと思うんですが……」と言いつつ、むしろ教員側がAI技術をもっと学び、学生の側に備えておくことが肝要であるとしていた。私も学びには賛成である一方、少し年上の教員たちもまた、AIの問題から逃げきることはなかなか難しいだろう。私の指導教員であった上村清雄は、美術史の授業におけるスライド映写機への愛着を長く保ち続け、パソコン用プレゼンテーション用ソフトが普及し始めた2000年代初頭以降も、自分の定年(2017年度)までは使い続けると繰り返し言っていた。しかし、機械の生産が終了し修理業者の側にも部品のストックがなくなったことで、パソコンのデータを使った作品投影に切り替えざるをえなくなる。しきりに残念がる上村先生をよそに、私を含めた当時の研究室界隈の学生たちは「ついにこの日が……」と、感慨にふけったものであった。

注2:F. T. Marinetti e Fedele Azari, Primo dizionario aereo italiano, Milano: Morreale, 1929.

注3:横田さやか『未来派・飛行機・ダンス イタリアの前衛芸術における飛ぶ身体と踊る身体』(三元社、2024年)

(おおた たけと)

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2026年4月12日の予定です。

■ 太田岳人
1979
年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京科学大学・明治学院大学ほかで非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

 

◆松本竣介と舟越保武
2026年2月6日(金)~2月21日(土)
11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
洋画家・松本竣介と彫刻家・舟越保武の二人展を開催し、松本竣介の素描と舟越保武の彫刻・版画作品をご紹介いたします。
 

●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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