栗田秀法「現代版画の散歩道」

第9回 草間彌生


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草間彌生《南瓜 B》

南瓜は実に愛嬌のある形をもっている。
私が南瓜に造形的興味を受けたのは、その太っ腹の飾らぬ容貌なのだ。
そしてその上、たくましい精神的力強さであった。(草間彌生)

 ゴッホといえばひまわり、草間といえば南瓜。ベネッセアートサイト直島の立体作品が台風で破損したことが大きなニュースになるほど、南瓜は草間の代名詞となっている。草間の南瓜作品は、多くが深い溝をもつ日本南瓜をモチーフにしており、黄色の地に描かれた多数の水玉が特徴的である。平面作品では、背地を覆う網目模様が無限性を暗示するかのように配置されている。繰り返される水玉と無限の網目の集積の果てに自己消滅(セルフ・オブリタレーション)が果たされ、その先において魂が1点の水玉として大宇宙へ永劫回帰するという作者の考えは現在では広く知られるようになっている。自己と外界との境界をなくし、自己と宇宙との一体化を図る自己消滅の過程がどのようなものであるのかについては、「ここにある、このコップに水玉が打たれる、それからコップが乗っている机の上にも打たれる、それが繰り返しなされることによって最後には机の平面とコップという関係性が無に来してしまう、そういう意味での自己消滅であり、単に消えて終わりではない」(『版画芸術』103号)という作者による具体的な説明がわかりやすいかもしれない。

 草間にとって制作は、ある意味で死に抗う生の輝きとしての自己治癒の行為に等しいもので、憑依した巫女よろしく、心中に水玉や網目の形象が無限に紡ぎ出されてくるというものであった。その一方で覚醒した作家としての意識があったことも忘れてはならない。既存のアートの閉じた地獄の扉を破砕し、もう一つのアートのあり方を提示し続けてきたからである。草間の作画が機械的な反復に堕すことのないのは、一筆一筆がひとつの出来事であり、無限の差異の下で息づいているからに他ならない。

 さて、今回焦点を当てる《南瓜B》は、兄弟作品ともいえる《南瓜》と密接な関係にある。後者はときの忘れものから刊行された『版画掌誌ときの忘れもの』第3号A・B版に挿入されたもので、ボーダーは、既製の水玉模様を利用するのではなく、「作家自らが描いた赤い水玉のデザインを綿布にシルク刷りし、コラージュ」するという手の込んだもので、隅々まで作家の美意識を浸透させようというこだわりが感じられる。対して《南瓜B》は同じ版を使用してミラーフィルムに刷られたもので、『草間彌生全版画』には他に例がなく、ありきたりなものを避けんとする摺師・石田了一氏の密やかなチャレンジ精神がうかがえよう。実は、石田了一氏は草間の版画制作の草分けで、1979年に《靴をはいて野にゆこう》をはじめ3点を摺り上げている。1985年にラメの入った作品を提案して実現したのも石田氏であった。2000年の南瓜作品は、1992年の《夕映えの雨》以来8年ぶりに手掛けた草間作品でもあり、さぞかしリキが入ったに違いない。

 草間はかつて「南瓜を胸に抱きしめると、遠い子供時代のことを思い出します。私は南瓜にどれだけ救われたことでしょう。苦しかった日々、南瓜は私の心をなぐさめてくれたのです。」と語り、「南瓜は私の人生の伴侶です。南瓜への思いが続く限り、私は南瓜を描き続けます。」(『水玉の履歴書』)と決意めいたことを述べている。こうした自己の分身的なモチーフというと、超現実主義の画家マックス・エルンストの怪鳥ロプロプのことが思い起こされるかもしれない。愛鳥のインコが死んだ翌日に妹が誕生したことがきっかけで鳥は特別な存在として、大賞を受けた1954年のヴェネツィア・ビエンナーレの回顧展示に出品された《ポーランドの騎士》(1954) をはじめ、生涯エルンストの作品に登場することとなる。とはいえ、ロプロプは変幻自在に役割と姿を変えて登場するもので、草間の南瓜のようなグッズができるようなアイコン的な存在ではない。丸みを帯びたユーモラスなフォルムや、生命力を感じさせる力強さをたたえた草間彌生の南瓜は、太陽や希望を象徴する黄色と無限の宇宙や生命の根源を象徴する水玉模様とあいまって、末永く多くの人々の心をなぐさめ、元気づけてくれ続けることであろう。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は草間彌生です。
171.Rain_in_the_Evening_Glow (1)《夕映えの雨》
1992年
シルクスクリーン
52.5×45.5cm
Ed.75
サインあり
※レゾネNo.171(阿部出版 2005年新版)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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