佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第99回
万博を通り抜けるためのノート

(大阪・関西万博のプロジェクトスケッチ)
なんとなく、3月は自分にとって困難で、けれども大事な時間だったように思う。何か新しいモノを作ったというよりも(いや、実はイスを新たに一つ作った。それは銀座ギャラリーせいほうの窓計画展で展示されている。)、今まで作ったモノを振り返ることが多かった。そして今現在の自分の筋道らしきを、どうにか良い方向へと修正できないか、の苦悩と苦渋をいくつか、自分一人で勝手にこっそりと痛感していた。
ときの忘れもので幾度か展示させてもらっているピンホールカメラの立体物。今のところ一貫してカメラの機能を持たせているそれらの家具スケールのモノたちは、断続的な制作ではあるが、「前回これをやったから次はこう展開しよう」というような連続性をプロジェクトの内側で持っている。一方で、自分の生業でもある建築とは直接的に連関しないように、意図的に位相を違えてもいた。建築の、特に改修の仕事あたりの気づきから始まった家具スケールのカメラプロジェクトは、どうしてもそのままの考え方で建築の全体的な輪郭を作ることとは違うのではないだろうか、という直感があった。あるいは、家具スケールにおいてしばしばリファレンスとして挙げる「妖怪」のような気配なるものを建築という大きなモノに孕ませるのは少しちがうのではないか、とも考えていた。それゆえに建築改修の仕事ではある種その全体性を考えずに済むのでスイスイ手が動く一方、新築のプロジェクトとなるとどうにも手が止まってしまい、ウンウンと悩み込むことがある。
以前、編集者の方からは「いつ都市へ反撃するのか」と指摘され、また建築家の藤原徹平さんからは当方の前の展示にて「自ら企画して小建築を作るべきでないか」という助言をもらいもした。つまり、プライベートにコツコツやっているカメラプロジェクトを建築に接続させよ、とのことである。今自分は、その接続の回路を目下探している最中である。
いまのところ、家具スケールを建築スケールに繋いでいくには、いくつかの手法があると思っている。一つは大屋根のような大きなフレームを家具スケールの群像の上にかけ、覆ってしまう。その大屋根は家具とは別の論理とシステムが必要であるだろう。大屋根は大きなハコでもよい。そしてさらに言えば、中に入る家具によってだんだんとその大屋根を壊し、改変していくことができればなお良いだろう。デコンの考え方である。その破壊のスタートとしての枠組みをあらかじめ据えてしまう、ということだ。
もう一つは家具スケールのモノの配置において何らかのルールがあることだ。その配置ルールをなるべく保ちながら、その散在したモノの間に何らかの内外の輪郭を与えていく。おそらく最終的なゴールはなかなか見えないとてもスリリングなやり方だ。ただし、その輪郭を与えて実体として着地させていく瞬間がおそらくいちばん難しい。おそらくさまざまな実務的ディテールが必要なのだ。ただし、結局のところそのルールとは不可視の大屋根に過ぎないのかもしれない。
あともう一つの手法があるとすれば、家具のモノを建築スケール、とまではいかずに人間がどうにか中に入れる程度の少しだけ大きいサイズにまで拡大することだ。そしてその小建築を複数組み合わせていくような形はあり得るように思える。
ひとまずいま考えているのはその程度だ。こんな断片的アイデア、勝手に自分の内に留めておけ、と言われそうだが、外部に吐き出す機会がないとなかなか考えを整理することもできないので、ここに書いてしまった。事務所のスタッフ、あるいは関係者の人たちへの弱い投げかけでもある。どれもやってみる価値があると思っているし、いまいくつかのプロジェクトで可能な限り仕込もうともしている。ただし、書いてはみたものの、一方でこれらを洗練させていき自己様式化へ至るべきなのか、はまだよくわからない。(自己様式化をすべきかの迷いについては、以前建築史家の戸田譲さんと話をさせてもらったときに教示してもらったことだ)
=

(万博での塗装作業に関するスケッチ。上のスケッチは同時に検討していた二宮町のプロジェクトについて。ちなみに二宮町のこのプロジェクトも「仮屋」というタイトルをつけている。)
大阪万博について、いくつか周囲の盛り上がり、世間的な話題として現れる機会が増えてきた気がするし、そんな周りからの眼も確かに感じながら、改めて自分がやっていること、あるいはやれていないことを確かめるきっかけを得たように思える。先ほど書いた建築の手法的な困難さについてもこの万博のプロジェクトでまさに痛感したところだ。
万博では構成のルールをあらかじめ設定して計画を試みた。先に書いたところの3つめの手法だ。埋立地の島に木製丸太をゴロゴロと転がし、その丸太を支えに上部の鉄の円環を持ち上げる、という構成のモデルが想定されている。そしてそのモデルを保持しながら、要求される機能のハコの輪郭を纏わせていった。ただしそのハコの輪郭の与え方が問題で、そこに「万博だから」という凡庸な造形思考と、敢えての普通さを纏わせる方向性との間で揺れ動き続けたことは否めない。そんな迷いが建物の外観から窺えるだろう。さらにはテレビスタジオといういわゆる往年のメディアの在り方への距離感も考えなければいけなかった。そしてもちろん万博それ自体への距離感そのものも考えに考えを重ねていかなければいけなかった。そして自分自身のアクチュアリティというか、必然めいたこととして、会期直前にいくつか自分とコロガロウの面々で工事に介入した。このプロジェクトにはそんな切迫さも実はある。
ともかくさまざまなことを頭の中に詰めこんでのプロジェクトだったわけだが、それをこの万博会期の半年間でできるだけ咀嚼していきたいと思う。なぜなら、この建築は、いくらかの改変を加えて、再びフクシマへと持ち帰るからだ。
備忘録的に、以下いくつか考えなければならない事柄を列挙しておく。
1-フクシマで作り、万博で組み立て仮置きし、またフクシマに持って帰る
2-持って帰る際に、いくらかの改変を試みる。
3-万博会場のあの不安定な大地(埋立地)と、フクシマの大地との遠い関係性を考える。
4-持っていき、また持って帰るという人とモノのプロセスとその建築あるいは場所との連関の必然性を考える。
5-木製丸太基礎を採用したが、仮設建築におけるその可能性を考える(おそらく辺境地における建築の在り方として、展開があると思う。
6-木製丸太基礎は、フクシマへの移築先においては、常設の建築基礎の型枠として使い回す。おそらく4-のプロセス論の内実と深く関わる。
7-6-の木製丸太の採用とも関係するが、今回の建築は設備と外構を除くほぼ全ての工事を大工工事によって実施した。福島の大工さん(宗像建築さん)が大阪の現場まで赴いて尽力いただいた。多能工ともまた少し異なるが、細切れに分業化した昨今の建設現場とは少し異なる現場の様相を帯びていたはずだ。その可能性について。
8-歪な円環という構成の中核にあるモデルからの配置計画の展開を考える。今回の万博ではあの会場全体を取り囲む巨大な木造リングについての議論が活発だ。幾何学としての是非が批判の的になっている感もあるが、おそらくはその立体としての在り方や、スケールによっては様々な可能性を探ることが可能なはずだ。
9-今回の現場では最後の最後にいくつかの装飾的モチーフを建築表面に加えた。近代建築からすれば不純であり、タブーでもある。けれども不可避に付いてくる企業看板や会場全体の装飾を考えれば、必要だったと思っている。建築工事後の表面の付加・改変を可能にするために外装材に木板貼りを選んだ意図もあった。(そんな介入はまた、建築を考える設計者である自分自身のリアリティ獲得としても必要だった)さらに、今回の万博会場に立つ様々な建築の殆どが、表面的な装飾や半屋外的な装置の付加によって成り立っていることも事実だ。つまり内外それぞれの在り方に連関がなく、内部は限りなくブラックボックス化されているか、あるいはそもそも内部が無い。祝祭の場におけるそうした建築の在り方の可能性?と限界については、議論の対象として考えるべきではないか。




(周辺はまだ工事中だったが、ひとまず外観をここに晒しておく)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2018年12月初個展「佐藤研吾展―囲いこみとお節介」をときの忘れもので開催。2022年3月第2回個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を、2024年11月第3回個展「佐藤研吾展 くぐり間くぐり」をときの忘れもので開催した。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
《くぐり抜けるためのハコ2》
2024年
木(ケヤキ、アラスカ桧、ラワン)、アルミ、柿渋、鉄媒染
W30.0×D50.0×H155cm
サインあり
*本作品はただいま開催中のアートフェア東京に出品展示しています。
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
会期4日間の「2025コレクション展1/関根伸夫旧蔵作品他」は関根伸夫先生はじめ「親しい作家や評論家(中略)から入手したコレクションを大放出」したのですが、栗田秀法先生がSNSで<破格のお値段ですよお、、、>と宣伝してくれたにもかかわらず、初日も二日目も三日目もほとんど来客無し。考えてみれば公務員の皆さんはじめ年度の変わり目と異動などで画廊になんか行っている暇はない! 亭主の目論見は見事に外れ「俺もヤキがまわったなぁ」と愚痴をこぼして(内心真っ青)おりました。
最終日も夕方まで来廊者は数人、ところが暗くなってから続々と客が。おかげさまで出品45点の約半数が売約となりました。ありがたいことにその多くが初めてのお客様でした。社長曰く「もうDMハガキは廃止ね、ネットでこれだけいらっしゃるのだから」と恐ろしいことをのたまわる、活字と紙命の亭主は立つ瀬が無い。次回「2025コレクション展2/瀬木愼一旧蔵作品他」(5月7日~17日)のDMはどうしましょうか・・・
因みに栗田先生は連載でもおわかりの通り大コレクターで、今回のセールでもはやばやと佳品をゲットされました(感謝!)。
◆「ポートレイト/松本竣介と現代作家たち」展
2025年4月16日(水)~4月26日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
出品作家:松本竣介、野田英夫、舟越保武、小野隆生、靉嘔、池田満寿夫、宮脇愛子+マン・レイ、北川民次、ジャン・コクトーほか
●松本莞さんが『父、松本竣介』(みすず書房刊)を刊行されました。ときの忘れものでは莞さんのサインカード付本書を頒布するとともに、年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートークを開催してゆく予定です。
『父、松本竣介』の詳細は1月18日ブログをお読みください。
ときの忘れものが今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
画家の堀江栞さんが、かたばみ書房の連載エッセイ「不手際のエスキース」第3回で「下塗りの夢」と題して卓抜な竣介論を執筆されています。
著者・松本莞
『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

万博を通り抜けるためのノート

(大阪・関西万博のプロジェクトスケッチ)
なんとなく、3月は自分にとって困難で、けれども大事な時間だったように思う。何か新しいモノを作ったというよりも(いや、実はイスを新たに一つ作った。それは銀座ギャラリーせいほうの窓計画展で展示されている。)、今まで作ったモノを振り返ることが多かった。そして今現在の自分の筋道らしきを、どうにか良い方向へと修正できないか、の苦悩と苦渋をいくつか、自分一人で勝手にこっそりと痛感していた。
ときの忘れもので幾度か展示させてもらっているピンホールカメラの立体物。今のところ一貫してカメラの機能を持たせているそれらの家具スケールのモノたちは、断続的な制作ではあるが、「前回これをやったから次はこう展開しよう」というような連続性をプロジェクトの内側で持っている。一方で、自分の生業でもある建築とは直接的に連関しないように、意図的に位相を違えてもいた。建築の、特に改修の仕事あたりの気づきから始まった家具スケールのカメラプロジェクトは、どうしてもそのままの考え方で建築の全体的な輪郭を作ることとは違うのではないだろうか、という直感があった。あるいは、家具スケールにおいてしばしばリファレンスとして挙げる「妖怪」のような気配なるものを建築という大きなモノに孕ませるのは少しちがうのではないか、とも考えていた。それゆえに建築改修の仕事ではある種その全体性を考えずに済むのでスイスイ手が動く一方、新築のプロジェクトとなるとどうにも手が止まってしまい、ウンウンと悩み込むことがある。
以前、編集者の方からは「いつ都市へ反撃するのか」と指摘され、また建築家の藤原徹平さんからは当方の前の展示にて「自ら企画して小建築を作るべきでないか」という助言をもらいもした。つまり、プライベートにコツコツやっているカメラプロジェクトを建築に接続させよ、とのことである。今自分は、その接続の回路を目下探している最中である。
いまのところ、家具スケールを建築スケールに繋いでいくには、いくつかの手法があると思っている。一つは大屋根のような大きなフレームを家具スケールの群像の上にかけ、覆ってしまう。その大屋根は家具とは別の論理とシステムが必要であるだろう。大屋根は大きなハコでもよい。そしてさらに言えば、中に入る家具によってだんだんとその大屋根を壊し、改変していくことができればなお良いだろう。デコンの考え方である。その破壊のスタートとしての枠組みをあらかじめ据えてしまう、ということだ。
もう一つは家具スケールのモノの配置において何らかのルールがあることだ。その配置ルールをなるべく保ちながら、その散在したモノの間に何らかの内外の輪郭を与えていく。おそらく最終的なゴールはなかなか見えないとてもスリリングなやり方だ。ただし、その輪郭を与えて実体として着地させていく瞬間がおそらくいちばん難しい。おそらくさまざまな実務的ディテールが必要なのだ。ただし、結局のところそのルールとは不可視の大屋根に過ぎないのかもしれない。
あともう一つの手法があるとすれば、家具のモノを建築スケール、とまではいかずに人間がどうにか中に入れる程度の少しだけ大きいサイズにまで拡大することだ。そしてその小建築を複数組み合わせていくような形はあり得るように思える。
ひとまずいま考えているのはその程度だ。こんな断片的アイデア、勝手に自分の内に留めておけ、と言われそうだが、外部に吐き出す機会がないとなかなか考えを整理することもできないので、ここに書いてしまった。事務所のスタッフ、あるいは関係者の人たちへの弱い投げかけでもある。どれもやってみる価値があると思っているし、いまいくつかのプロジェクトで可能な限り仕込もうともしている。ただし、書いてはみたものの、一方でこれらを洗練させていき自己様式化へ至るべきなのか、はまだよくわからない。(自己様式化をすべきかの迷いについては、以前建築史家の戸田譲さんと話をさせてもらったときに教示してもらったことだ)
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(万博での塗装作業に関するスケッチ。上のスケッチは同時に検討していた二宮町のプロジェクトについて。ちなみに二宮町のこのプロジェクトも「仮屋」というタイトルをつけている。)
大阪万博について、いくつか周囲の盛り上がり、世間的な話題として現れる機会が増えてきた気がするし、そんな周りからの眼も確かに感じながら、改めて自分がやっていること、あるいはやれていないことを確かめるきっかけを得たように思える。先ほど書いた建築の手法的な困難さについてもこの万博のプロジェクトでまさに痛感したところだ。
万博では構成のルールをあらかじめ設定して計画を試みた。先に書いたところの3つめの手法だ。埋立地の島に木製丸太をゴロゴロと転がし、その丸太を支えに上部の鉄の円環を持ち上げる、という構成のモデルが想定されている。そしてそのモデルを保持しながら、要求される機能のハコの輪郭を纏わせていった。ただしそのハコの輪郭の与え方が問題で、そこに「万博だから」という凡庸な造形思考と、敢えての普通さを纏わせる方向性との間で揺れ動き続けたことは否めない。そんな迷いが建物の外観から窺えるだろう。さらにはテレビスタジオといういわゆる往年のメディアの在り方への距離感も考えなければいけなかった。そしてもちろん万博それ自体への距離感そのものも考えに考えを重ねていかなければいけなかった。そして自分自身のアクチュアリティというか、必然めいたこととして、会期直前にいくつか自分とコロガロウの面々で工事に介入した。このプロジェクトにはそんな切迫さも実はある。
ともかくさまざまなことを頭の中に詰めこんでのプロジェクトだったわけだが、それをこの万博会期の半年間でできるだけ咀嚼していきたいと思う。なぜなら、この建築は、いくらかの改変を加えて、再びフクシマへと持ち帰るからだ。
備忘録的に、以下いくつか考えなければならない事柄を列挙しておく。
1-フクシマで作り、万博で組み立て仮置きし、またフクシマに持って帰る
2-持って帰る際に、いくらかの改変を試みる。
3-万博会場のあの不安定な大地(埋立地)と、フクシマの大地との遠い関係性を考える。
4-持っていき、また持って帰るという人とモノのプロセスとその建築あるいは場所との連関の必然性を考える。
5-木製丸太基礎を採用したが、仮設建築におけるその可能性を考える(おそらく辺境地における建築の在り方として、展開があると思う。
6-木製丸太基礎は、フクシマへの移築先においては、常設の建築基礎の型枠として使い回す。おそらく4-のプロセス論の内実と深く関わる。
7-6-の木製丸太の採用とも関係するが、今回の建築は設備と外構を除くほぼ全ての工事を大工工事によって実施した。福島の大工さん(宗像建築さん)が大阪の現場まで赴いて尽力いただいた。多能工ともまた少し異なるが、細切れに分業化した昨今の建設現場とは少し異なる現場の様相を帯びていたはずだ。その可能性について。
8-歪な円環という構成の中核にあるモデルからの配置計画の展開を考える。今回の万博ではあの会場全体を取り囲む巨大な木造リングについての議論が活発だ。幾何学としての是非が批判の的になっている感もあるが、おそらくはその立体としての在り方や、スケールによっては様々な可能性を探ることが可能なはずだ。
9-今回の現場では最後の最後にいくつかの装飾的モチーフを建築表面に加えた。近代建築からすれば不純であり、タブーでもある。けれども不可避に付いてくる企業看板や会場全体の装飾を考えれば、必要だったと思っている。建築工事後の表面の付加・改変を可能にするために外装材に木板貼りを選んだ意図もあった。(そんな介入はまた、建築を考える設計者である自分自身のリアリティ獲得としても必要だった)さらに、今回の万博会場に立つ様々な建築の殆どが、表面的な装飾や半屋外的な装置の付加によって成り立っていることも事実だ。つまり内外それぞれの在り方に連関がなく、内部は限りなくブラックボックス化されているか、あるいはそもそも内部が無い。祝祭の場におけるそうした建築の在り方の可能性?と限界については、議論の対象として考えるべきではないか。




(周辺はまだ工事中だったが、ひとまず外観をここに晒しておく)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2018年12月初個展「佐藤研吾展―囲いこみとお節介」をときの忘れもので開催。2022年3月第2回個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を、2024年11月第3回個展「佐藤研吾展 くぐり間くぐり」をときの忘れもので開催した。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
《くぐり抜けるためのハコ2》 2024年
木(ケヤキ、アラスカ桧、ラワン)、アルミ、柿渋、鉄媒染
W30.0×D50.0×H155cm
サインあり
*本作品はただいま開催中のアートフェア東京に出品展示しています。
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
会期4日間の「2025コレクション展1/関根伸夫旧蔵作品他」は関根伸夫先生はじめ「親しい作家や評論家(中略)から入手したコレクションを大放出」したのですが、栗田秀法先生がSNSで<破格のお値段ですよお、、、>と宣伝してくれたにもかかわらず、初日も二日目も三日目もほとんど来客無し。考えてみれば公務員の皆さんはじめ年度の変わり目と異動などで画廊になんか行っている暇はない! 亭主の目論見は見事に外れ「俺もヤキがまわったなぁ」と愚痴をこぼして(内心真っ青)おりました。
最終日も夕方まで来廊者は数人、ところが暗くなってから続々と客が。おかげさまで出品45点の約半数が売約となりました。ありがたいことにその多くが初めてのお客様でした。社長曰く「もうDMハガキは廃止ね、ネットでこれだけいらっしゃるのだから」と恐ろしいことをのたまわる、活字と紙命の亭主は立つ瀬が無い。次回「2025コレクション展2/瀬木愼一旧蔵作品他」(5月7日~17日)のDMはどうしましょうか・・・
因みに栗田先生は連載でもおわかりの通り大コレクターで、今回のセールでもはやばやと佳品をゲットされました(感謝!)。
◆「ポートレイト/松本竣介と現代作家たち」展
2025年4月16日(水)~4月26日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
出品作家:松本竣介、野田英夫、舟越保武、小野隆生、靉嘔、池田満寿夫、宮脇愛子+マン・レイ、北川民次、ジャン・コクトーほか●松本莞さんが『父、松本竣介』(みすず書房刊)を刊行されました。ときの忘れものでは莞さんのサインカード付本書を頒布するとともに、年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートークを開催してゆく予定です。
『父、松本竣介』の詳細は1月18日ブログをお読みください。
ときの忘れものが今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
画家の堀江栞さんが、かたばみ書房の連載エッセイ「不手際のエスキース」第3回で「下塗りの夢」と題して卓抜な竣介論を執筆されています。
著者・松本莞『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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