2024ときの忘れもの
〈 杣木浩一×宮脇愛子 〉 展示をふりかえって
7. LAS CASAS和庭への展示はサイトスペシフィックな経験
和庭設置を構想する機会を得られたことで急遽『うつろひ』から自作設置へ発想転換した。
見下す視点でぐるりと周回する立方体1点と、
足下から縦に見上げる立柱2点である。
身の移動によって3本の稜線が、なだらかにそり、ふくらむ流線変化を目で追う。風に揺らぐ緑の葉影がアクセントを添えた。
パールリキッドライラック磨き塗装が陽光によって反射し心地よい。
パール系塗料は室内間接光では地色しか見えないが、陽光はパールライラックの透かし効果を現象してくれる。
[no.3](1996)
水平、垂直の立方体の形を想像して見ている。その時、六面体の上の面は、どこに設定されているのか?実は設定されていないのではないか。「見る」という能動的な行為の度に、「ゆれる」感覚が生じるから。
参照作品 : ロバート・モリス《鏡の立方体》1965/1971,《歪んだ立方体》1965
視線を誘導する。パースとの関係、ゲシュタルトとの関係。知覚と認識のズレ。平滑な表面/鏡面。
プリンと形式
外側からの「操作」ではなく、その「モノ」それ自体の性質や限界による。プリンを介してロバート・モリスの《歪んだ立方体》を理解する。
パールライラックの透かし
[no.1](2024)、[no.2](2021)
水平垂直の柱状の形を想像して見ている。その時の、垂直の線(4本)は、どこに設定されているのか?実は設定されていないのではないか。「見る」という能動的な行為の度に、線が引き直されるから。
参照作品 : 高松次郎《波の柱》1968
視線を誘導する。認識をおさめようとする。経験を計画する。つまり、見るものを受動的な立場にとどめる。
“Untitled” 2021,2024. 24×21.5x241cm ,25x21x241cm
二枚の直角合わせで立っている
“Untitled” 2003 36.2×36.2x6cm 四方反転
[no.5] (2003)
絵画的なフォーマット。絵画のように見える。水平、垂直のパネル状の形を想像して見ている。手前の面は、どこに定位しているのか(視覚において)。厚み、曲面、カーヴ、エッヂ。黒と形。
参考作品 : ドナルド・ジャッド《無題》、フランク・ステラ〈ブラック・ペインティング〉シリーズ黒と形状の関係。ざらついたテクスチャー。視覚的なイリュージョンを生じさせないために。
ジャッド : 視覚的な厚み(深さ)と物理的な厚み(深さ)。目の前に見えていても生じる、知覚と認識のズレ。
ステラ : 描かれた形と物理的(リテラル)な形。相似形の反復の嘘。描く手法の方が優位に立っている。
“Untitled” 1990 30.5 x 200,8 x 13.5cm Cashew on plywood
右から、反りと膨らみの反転断層から平らに、そして反りへ
左から、反りから平らへ、反りと膨らみの反転断層へ
[no.8] (1990)
視線を走らせる。視線の往還、その運動のうちに何が生成するのか「単一」から「分岐」へ。
時間が形を生成させる、形とは時間が生成するもの。側面に明確に現れる「違い」
参照作品 : ドナルド・ジャッド〈プログレッション〉シリーズ
キングギドラと電車
どこで「形」を認識するのか。連続的な時間の内に生じる特異点。見極めることはできるのか。
8. 杣木浩一×宮脇愛子の作品まわりをめぐる略図

(※クリックして拡大)
と、ごく単純に図化すると、〈シュプレマティズム〉カジミール・マレーヴィチ(1879~1935)が淵源みたいだ。
1981年当初、杣木の歪んだ表面への塗り重層作品と、宮脇愛子のワイヤーインスタレーションとでは工程がまったく違っていたので、愛子さんへの親近感はまったく無かった。
愛子さんは律儀と言うべきか、国内にいらっしゃれば杣木の展覧会に必ず来てくれた。はじめて1981年ルナミ画廊でスカイブルーラッカー小品を買い上げていただいた。1986年ルートギャラリーでの黒いウレタン小品を赤坂自邸エントランスに常設してくれていたから愛子さんとしては割と同じ根っこを見ていたのかもしれない。ぎゃくに勉強不足の自分がむしろ愛子さんの文脈を解っていなかった。
今回「ときの忘れもの」コレクションの趣味が反映され、1981年から<うつろひ>ワークに身が染まった我が目からは<うつろひ>ワイヤーのない宮脇愛子世界は逆に新鮮だった。しかも真鍮キューブ作品はいつも見慣れた光の積層パイプではなく、結晶性のつよい「ホモロジー」にちかい。そう、<MEGU>積層ガラスの中心に穿たれた1cm径丸穴の5㎜ズラシは結晶性と流体性を合わせもつ。そして一番の驚きは「はじめもなく終わりもない」反復画の原型でもあるざわめく画を見たことだった。
宮脇愛子 『作品』1957 蠢く絵画
宮脇愛子”Work”1973 菱形と四角いボイドを穿ったキューブ c塩野哲也
9. 梅津元さんのトークに学ぶ 2024年11月16日(土)
杣木作品について11の断章
「作品」を「見る」ことから カタログ番号 [no.1] ~ [no.11]
杣木が考えてもいなかった論点だった。今回出品作と、梅津さんの断章と添付された関連作家の図版を併せる。梅津さんの解説採録をしなかったが、特異な観点だった。
[no.6] 白地にパールライラックの透かし
[no.6](2006)、[no.7](1994)
基準となる形(上から見たときに十字形)左右対称、上下対称の形を想定し、それとのズレを目で測る。ずっと続く、目の前の作品を見続ける。そこが概念的な視覚操作と異なる。
参考作品:リチャード・セラ《カードの家》、
面が立てられ、相互に支え合う。重力の行方。大きさ、厚さ、硬さ、重さ、それらを視覚を通して感じる。
構成主義における「面」。量塊によらない彫刻。視覚が優位だとしても、絵画的視覚とは異なる。
[no.7] “Untitled” 1994. 21x21x83cm
リチャード・セラ《カードの家》
宮脇愛子関係、
宮脇愛子 「ミラノの芸術家バー」『芸術新潮』1961年10月号、95-97頁。
中原祐介「ボーランドが開いた宮脇愛子展」『芸術新潮』1970年10月号、108-111頁。
中原祐介「スチェミンスキとユニスムの絵画」『みずゑ』1980年8月号、64-77頁。
「論点」イリュージョンについて
Transubstantiation(全質変化):カトリックの教義
Consubstantiation(両体共存):カトリックの教義を批判するルターによる解釈
以上が梅津元さんのレジェメであるが、宮脇愛子関係と「論点」イリュージョンについては時間がたらず、語られなかった。とりわけ、パンとワインとキリストをめぐるTransubstantiation(全質変化)とConsubstantiation(両体共存) 解釈とイリュージョンについての興味深い関連性について機会を改めて、ぜひお聞きしたいと思う。
三島由紀夫(1925-1970)の『暁の寺・豊穣の海(三)』十三、pp.117~118に「・・怒ったゼウスは・・これを撃ち、焼かれたティターンの灰から、のちに人間が生まれた。かくて人間は、悪しきティターンの性を享る一方、かれらが啖ったザグレウスの肉の余香によって、神的な要素を体内に保つのであるから、オルペウス教団はエクスタシスによってディオニュソスに帰依し、自己神化によってその聖なる本源に達しなければならぬと説くのであった。その聖餐の儀軌は、後にキリスト教の聖餅と葡萄酒にまで及んでいる。」これだ!小室直樹(1932-2010)よれば「三島は断言する。・・仏教は霊魂というものを認めない。生物に霊魂という中心の実体がなければ、無生物にもそれがない。いや万有のどこにも固有の実体がないことは、あたかも骨のない水母(くらげ)のようである。『暁の寺』」
トーク杣木のテキスト
「天地をつなぐJhon McCracken天使の狂気」Anne Ayres 1987 訳:杣木浩一
全文は掲載できないが、作品と思想の相互関係が興味をそそる。マクラッケンの言葉に頻出する「リアル」そして未発表ノートにある「一つの神」
1987年にJhon McCrackenからいただいたカタログのテキスト”Connecting Heaven and Earth: The Angelic Madness of Jhon McCracken”1986.Anne Ayres.から、たとえば、Anne Ayresによればジョン・マクラッケンは『一の法則』について執筆している。「イデアは愛の流れである・・形式価値のまえに。」(Jhon McCracken, in unpublished notes)
ウォレス・バーマンの”Art is Love is God”「アートは神であり愛である」とつよく感じる、と。
そして、ゲーテの詩を知ってか知らずかつぎのように記す。
“Things between heaven and earth. Not in heaven, not in earth, but in both, or between, connecting both; leading from here, earth, to there, heaven, bringing heaven to earth, earth to heaven.” (Jhon McCracken, in unpublished notes)
たぶん
「天地のはざま 天にあらず、地にあらず、しかし両者に、あるいは狭間に、二つを繋ぐ、ここ、地から、そこへ、天にいたる、天から地へ、地から天へと齎す。」くらいの感じだろうか。
宮脇愛子は、しばしばゲーテの詩を引用する。1983年、シンガポール、ユナイテッド・オーヴァーシーズ銀行コンペにおける宮脇愛子のメッセージ、「うつろひ 空にえがくドローイング」
『GA Document 9』1984.2月刊
「ひとのたましいは 水さながらに 天からきて 天にのぼり そしてふたたび 地にくだる はてしなく循って」
Goethe「水の上の霊の歌」
なんと近い境地なのだろうか。UFO異次元指向のマクラッケン、地質学者で太陽と闇の「色彩宇宙」のゲーテ(1749-1832)、そして絵を描いた天体レンズの制作者スピノザ(1632-1677)、〈シュプレマティズム〉のカシミール・マレーヴィチ(1879-1935)の「天地」観は充分に宇宙次元だった。
カリフォルニア
1959年の第1回養清銅画廊個展は宮脇愛子の1957年サンタモニカ・シティカレッジ、カリフォルニア大学遊学後2年後のことであるが、およそカリフォルニアの風土とは縁遠い、宮脇愛子画史でも、もっとも粘質な画面からスタートしている。瞑想というよりは世界が蠢いている。
渡米在学中はラビシャンカールのライブも観てインドネシアのガムラン音楽サークルに所属演じた談話があり、またインドへの憧れから阿部展也を介してカルカッタ経由の旅をしている。
『宮脇愛子ドキュメント』(美術出版社1992)
青山時代(1982-1985)の食卓横のオーディオとレコード棚にはバッハとならんでジャズも、ジョン・コルトレーンの盤もかなりあった。愛子さんに問うと「コルトレーン?ずっとずっと昔の話よ!」と。アメリカかヨーロッパで一度はライブを見ていたのかもしれない。サンフランシスコのタワラヨーコさんから近況写真を添えた手紙がよくとどいた。ヒッピー世代のなごりか自給自足のようで、愛子さんに雪見障子の手配を依頼してきた。
余談だが、1990年、磯崎新×浅田彰の対談「歴史のエアポケットを抜けて、ポストモダニズムのゆくえ」『ユリイカ1990.2』誌上における磯崎さんの「・・やはりアメリカではクレメント・グリーンバーグがいて日本にはそれがいなかったということが大きかった。・・」との発言をきっかけに藤枝晃雄界隈の若い美術評論家たちが、てんやわんやの様相を呈していた。
10. 「角度」と<うつろひ>
宮脇愛子が<うつろひ>フォーム設営における「角度」の難しさを端的に述べている。
「或る不確かなたとえ・・角度。何と気むずかしい・・。
まんまるを卵形に変え、おおげさに云えば宇宙も変えてしまうのだから。
Liquid Steel・・」
未だ<うつろひ>の黎明1979年ころ、おそらく手元の小さなマケットを作りながら、愛子さんのモノローグだろう。
のちに1980年から2000年代を通じてすべての<うつろひ>現場において、ワイヤーを差し込む「角度」こそが最大のアポリアだった。うまくいけばすぐに決まる、たいがい難航して幾度愛子さんの叱咤の声が飛んだことか。マケット宇宙と、現場サイトではかなりズレがある。まずは愛子さんがワイヤーを減らすことによって場は驚くほど豊かになる。基盤位置、差し替え調整がつづく。愛子さんが指示する基板ツイストによって、捻りテンションが加力すると、ワイヤー流線は空間を一気に変容させるのだった。
基盤に穿たれた穴の角度と方向
宮脇愛子<うつろひ>ワイヤー研磨と調整 駒場東大数理科学棟 2024
11. すごい宮脇愛子の画業 1995年12月13日熱海実家へ行く
宮脇愛子の岩のようなマチエールは蠢いていた。1980年代彫刻<うつろひ>を遙かに遡る初期絵画を目の当たりにして威圧された。愛子さんはいつも前向きで、過去を忌諱している感があった。病弱だったという。『美術手帳』1980年6月号〈ルート2〉の項、エッセイ「50歳になっていよいよ」かつての看護婦長から活躍する愛子さんを知った驚きの手紙が届いたエピソード「死んだはずだよお富さん♪(※注. 唄: 春日八郎)ではないけれど・・。」これからもヨガと玄米菜食に励む意気込みで結んでいる。
当時熱海の宮脇邸は3棟から成り、旧棟を覆うように道沿いに増設された2階建ての棟を入るとミラノ時代の「パスタ練り込み絵画」大作が掛かっていた。
本邸奥の階段を縁側から上がると2階がピアノとデスクのある愛子さんの寝室だった。その右下に妙に小さな扉があり、コンクリート増築された部屋に繋がっていて、ここが愛子さんのアトリエだった。下地マチエール用のレース生地が積んであった。シャッターは降り空気は淀んでいたが、かつて戸を開け放ち庭の陽光を取り入れていたのだろう。昇降階段の踊り場には、パレット、オイル、絵の具、木枠、パネル、イーゼルが在った。階段を上がり屋上に出ると熱海の海が一望できた。大作を制作するに余りある広さだった。
自分が1980年代から見知っていた宮脇愛子の<うつろひ>ステンレスワイヤー彫刻とは別世界に迷い込んだ。宮脇愛子の「絵画」は埃を被り暗い色彩を発していた。なんという表象だろうか!それら数十点すべてを庭に運び降ろした。
広い庭は熱海の土と陽光でサボテン月下美人が巨木となり、柑橘、ツツジが旺盛で、パピルスが繁茂していた。それらの絵画をレモンの木の下に並べた。
大きく3系統にわけられた。第1期は分厚い絵の具が蠢めいている。第2期は息づくような雫を垂らし、やがて横に行列していく絵画。第3期は白い微細な網目の凹凸が陽光を捉える。編み目凹凸と欠損部のいずれが地と図か。瞬間、偶然に任せて生成されている。
慌ただしい宮脇愛子はその中の最初期120号2点を「色彩が気に入らない」と、自ら金槌でたたき壊してしまった。<うつろひ>から遠くへだたる過去に耐えられない風だった。これから展覧会だというのに破壊はまだ止まりそうもなかったので慌てて押しとどめた。長い年月のもと、大理石粉を混じた絵肌のオイルは乾き切り、一部は亀裂が走り埃と黴で黄変していた。1980年代世界各地を精力的に飛び回っている宮脇愛子にも1点の画布にすべてを仮託していた時代が在ったのだ。それらの営為はどれも半端ではなかった。
1996年10月、原美術館における「宮脇愛子絵画1959-64展」は目前だった。当時海外に多忙な愛子さんから、この絵画の修復作業を一任されてしまった。
熱海の絵画調査に1995年12月13日に行って直ちにリストにまとめて画材を手配した。1996年6月完成をメドにした。4月2日から4月11日には東京画廊の山本双六さんが赤坂の愛子さんのアトリエで、雫作品と、網目作品の撮影をしているから、絵画修復作業は予定よりかなりのハイペースで進めていた。
今回、「ときの忘れもの」で展示された宮脇愛子の新旧、絵画とドローイングは興味深いことにスチェミンスキ(1893~1952)〈ユニスム〉「孕む」画面と親近世界にあることが見てとれたのだ。

宮脇愛子『作品』1958
宮脇愛子『Work』2013
宮脇愛子『Untitled』2014
ワジスワフ・スチェミンスキ『ユニストのコンポジション14』50x50cm 1934
(そまき こういち)
■杣木浩一(そまき こういち)
1952年新潟県に生まれる。1979年東京造形大学絵画専攻卒業。1981年に東京造形大学聴講生として成田克彦に学び、1981~2014年に宮脇愛子アトリエ。2002~2005年東京造形大学非常勤講師。
1979年真和画廊(東京)での初個展から、1993年ギャラリーaM(東京)、2000年川崎IBM市民文化ギャラリー(神奈川)、2015年ベイスギャラリー(東京)など、現在までに20以上の個展を開催。
主なグループ展に2001年より現在まで定期開催中の「ABST」展、1980年「第13回日本国際美術展」(東京)、1985年「第3回釜山ビエンナーレ」(韓国)、1991年川崎市市民ミュージアム「色相の詩学」展(神奈川)、2003年カスヤの森現代美術館「宮脇愛子と若手アーチストたち」展(神奈川)、2018年池田記念美術館「八色の森の美術」展(新潟)、2024年「杣木浩一×宮脇愛子展」(ときの忘れもの)など。
制作依頼、収蔵は1984年 グラスアート赤坂、1986年 韓国々立現代美術館、2002 年グランボア千葉ウィングアリーナ、2013年B-tech Japan Bosendorfer他多数。
●本日のお勧め作品は、宮脇愛子です。

「作品」
2014年
キャンバスに油彩
61.0x73.0cm(F20号)
サインあり
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◆「開廊30周年記念 塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」
Part 1 2025年6月5日(木)~6月14日(土)
Part 2 2025年6月18日(水)~6月28日(土)
※6月17日(火)に展示替え、日・月・祝日休廊
ときの忘れものは開廊30周年を迎えました。記念展として「塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」展を開催します。
●ときの忘れものの建築空間(設計:阿部勤)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
杣木浩一作品























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