今村創平のエッセイ「建築家の版画」
第11回 槇文彦≪THE NATIONAL MUSEUM OF MODERN ART, KYOTO 1986≫
きわめて私的なエピソードになるが、私が学生時代のこと。ロンドンへの出張から戻った父いわく、帰路の長い機内にて、隣の席の方がとても親切な紳士で、読み終えた新聞をくれたりした。父は、疲れてよく寝ていたのだが、そのひとはずっと建築のスケッチを続けていた。「きっと建築家だ。建築家にあんなに上品なかたがいるんだ。」と感心していた。私は、すぐにピンときて、作品集の槇文彦さんの写真を見せると、「そうそう、この方だよ。やはり優れた建築家なんだ。」と納得していた。私は、長いフライトの間、ひたすらスケッチを続ける建築家、槇文彦というイメージを抱くことになった。
「海外に旅行する機会の多い最近、例えば、SF→Tokyoといった記号はサンフランシスコから東京へ帰る帰途、飛行機の上で描かれたスケッチである。時間的、空間的に最も自由な時。自分とスケッチブックだけのとき。様々な空想をかけめぐらせる空白の罫紙。」
槇文彦のドローイング集『未完の形象』(求龍堂、1989年)の巻頭の文章より。書かれたのは1989年8月7日とあり、個人的なことを重ねると、まさに私は大学生であり、亡父のエピソードの時期である。そして、建築を実現するにはひたすらスケッチを描き続けること、という建築家の基本的な姿勢を習った。
槇は同書でこう書いている。「スケッチは一人の建築家の日常的な、デザイナーとしての訓練の場であるとともに、同時に探索の旅の軌跡でもある。」スケッチやドローイングを、プレゼンテーションを目的として、または表現行為として描く建築家は多い。だが槇は、作品のスケッチを多く公開しているが、それらはあくまでも建築を実現するための設計行為の過程にて描かれたものである。槇は旅先で建物を描くこともあったが、それらもあくまでも個人の修練もしくは感動の記録である。すなわち、これらのスケッチは、公開することを前提とはしていない。
ただ、槇の建築作品集を見ると、建築写真や作品解説、図面に加えて、スケッチが添えられていることが多い。それは、多くから選ばれたその一枚が、検討を重ねる中でデザインの方向性に確信を得た瞬間を記録しており、それゆえにそのスケッチが、その建築の本質を表象していると思えたためであろう。

槇文彦 Fumihiko MAKI《THE NATIONAL MUSEUM OF MODERN ART, KYOTO 1986》
槇文彦の版画、《THE NATIONAL MUSEUM OF MODERN ART, KYOTO 1986》は、〈京都国立近代美術館〉南側立面のスケッチを元にしている。実際の建築とはいくぶん異なり、おそらくこの立面の方向性が決まった時のものだろう。京都は、碁盤の目の都市構成を持っており、それを取り込むように密度の異なるいくつかのグリッドから、この立面のスタディが始められている。
槇のスケッチを見ていて気付くのは、平面図と次いで立面図がその大半を占めることである。そのほかにも、内観パースや、遠景のシルエット、断面図もあるが、平面と立面が多い。平面が建築の検討で多いのは、もっともだろう。だが、他の建築家に比べ立面を繰り返しスケッチし検討していることが槇の特徴といえる。例えば、安藤忠雄は大量のスケッチを描くが、立面はほとんどない。
例えば、〈京都国立近代美術館〉の前年に完成した〈スパイラル〉において、上記の『未完の形象』には、実に50点近くもの立面のスケッチが掲載されている。スパイラルは、青山通りという東京の一等地にあるために、その街の顔としてのファサードを、入念に検討したことがうかがえる。
〈京都国立近代美術館〉もまた、京都の要所にあたり、この南立面図の右手すぐ奥には平安神宮の巨大な朱塗りの鳥居が立ち、そのさらに奥には平安神宮がある。この立地にあって、都市空間における建築の立面の重要さを、ことさら意識していたことがうかがえる。
槇文彦は、それほど多くの版画(シルクスクリーン)を手掛けておらず、元スタッフで担当された方に伺うと、その数は何点かのみこの時期に限って作られ、関係者への配布が目的であったようだ。そのような機会に選ばれたのが、このスケッチであり、また立面のものである。この建物でも数多くのスケッチが描かれたが、自身の建築の複製を作りひとに渡すのに相応しいとしたのが、この青鉛筆で描かれた一枚であった。
槇のスケッチの多くは、細いペンを用いて、少し震えるような円で描かれている。槇は、バウハウスの校長でもあったヴァルター・グロピウスが率いたハーバード大学で学び、モダニストの末裔であることを自認していた。最晩年の話題となった論考のタイトルは、「漂うモダニズム」であった。きわめて明晰な頭脳を持ち、モダニストらしい端正な造形を手掛けた。〈京都国立近代美術館〉もまた、全体としては直方体の箱である。だが、そこにきめ細やかな意匠を施すことで、建物が固いオブジェであることを避けた。この版画の青鉛筆の線は、この建築家の感性をよく伝えている。
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日は休廊日です。
●ときの忘れもののコレクションから槇文彦作品をご紹介します。
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槇文彦 Fumihiko MAKI |
◆特集展示「磯崎新 版画展」
会期:2025年12月24日(水)―12月27日(土) 11:00-19:00
ときの忘れものでは4日間の短い会期ですが、磯崎新の版画を特集展示します。
私たちが版元に名乗りを上げ(現代版画センター)、神楽坂時代の磯崎アトリエを初めて訪ねたのは1976年でした。第一作の〈ヴィッラ〉シリーズ及び大作《空洞としての美術館》の誕生は1977年です。
以来、40数年にわたり版元として、磯崎版画の誕生に立ち会ってきました。
現代版画センターおよびときの忘れもののエディションだけで250点(種類)を超します。
本展では、シルクスクリーンや銅版画、木版画、ポスターなどをご覧いただきます。
磯崎新
《霧2》
1999年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35
サインあり
※「磯崎新版画集 霧」(秋吉台国際芸術村)の中の1点。
●本日は休廊日です。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。



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