今日はジョナス・メカス展オープニング。16時に三浦さんがメカスさんをお迎えに上がり、ときの忘れものに25分頃到着した。すでにお客様は数名おり、メカスさんの登場に一瞬止まり、3秒後に夢じゃないことに気付き喜ぶ・・・といった様子だった。綿貫さんの心配りでBGMにリトアニア合唱曲を流した。直ぐ様2階の三浦さんのデスクで作品と本に大量のサインを求めたが、厭な顔一つせず快く引き受けてくださった。私は図々しく昨日メカスさんの宿泊先で撮ってもらった2ショット写真に“To ReikoJonas”とサインして戴いた。サイン終了後、Thank you.を交わし握手した。なんて温かい手、穏やかな心、包み込む優しい顔、おごりの無い挙動。17時からのオープニングパーティには、数え切れないほどたくさん方が来廊し、ときの忘れものは大混雑で身動きすらとり難い状況だった。しずかな南青山の一角だけ空気が薄くなり熱気でムンムンとしている。作品をゆっくり眺められるほど余裕はなかったかもしれない。メカスさんはさぞかしお疲れでは・・・と思ったが腰掛けを拒み、皆と同じく立ちっぱなしだった。最初は写真を撮り、近付けずにただ見つめていた者も、徐々に自らメカスさんに英語で話しかけ、サインしてもらったり、写真を撮ってもらったり、ハグしてもらったり・・。ジャケットにサインを求める者もいた。たどたどしい英語で、でも何とか気持ちを伝えたいとしている者の英語は伝わっていた。むちゃくちゃな言語でも願えば届く。コミュニケートの根本は伝える者の気持ちと聞く者の気持ち、両者の態勢なのだと私は思った。
インタビューを求める者には場を移動して応じていた。皆のメカスさんを見つめるまなざしは温かい。愛と尊敬のまなざしだった。19時になっても訪れるお客様は途絶えることなかった。
その後の二次会は、南青山の中華料理でメカスさんを囲んで会食をした。メンバーは詩人の吉増剛造先生、有名な『メカスの映画日記』(1974年)の装幀を担当された建築評論の植田実先生、メカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫先生、そして早速大枚はたいて作品をお買い上げいただいたSさん、Hさんなどなど。メカスさんはお酒(日本酒の熱燗)も入り楽しそうな様子だった。綿貫さんがメカスさんに日本の大漁節を歌った。リトアニア大使館の素敵な女性もリトアニアのラヴ・ソングを歌った。メカスさんも高揚し、リトアニアのラヴ・ソングを歌った。明るい大きな声は愛国心に満ち溢れ、私の目には母国が恋しくなったようにも映った。リトアニアのラヴ・ソングは陶酔させる力がある。
オープニングパーティにご参加くださった皆様、ありがとうございました。29日までジョナス・メカス展を開催しておりますのでまたのご来廊お待ちしております。




インタビューを求める者には場を移動して応じていた。皆のメカスさんを見つめるまなざしは温かい。愛と尊敬のまなざしだった。19時になっても訪れるお客様は途絶えることなかった。
その後の二次会は、南青山の中華料理でメカスさんを囲んで会食をした。メンバーは詩人の吉増剛造先生、有名な『メカスの映画日記』(1974年)の装幀を担当された建築評論の植田実先生、メカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫先生、そして早速大枚はたいて作品をお買い上げいただいたSさん、Hさんなどなど。メカスさんはお酒(日本酒の熱燗)も入り楽しそうな様子だった。綿貫さんがメカスさんに日本の大漁節を歌った。リトアニア大使館の素敵な女性もリトアニアのラヴ・ソングを歌った。メカスさんも高揚し、リトアニアのラヴ・ソングを歌った。明るい大きな声は愛国心に満ち溢れ、私の目には母国が恋しくなったようにも映った。リトアニアのラヴ・ソングは陶酔させる力がある。
オープニングパーティにご参加くださった皆様、ありがとうございました。29日までジョナス・メカス展を開催しておりますのでまたのご来廊お待ちしております。




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