まだ開廊前の11時頃、日和崎尊夫さんの木口木版を1978年に摺って下さった五所菊雄さんが来廊されたらしい。私はまだ出勤していなかったのだが、残念。
今日は日和崎尊夫さんの奥様雅代さんが高知から上京なさった。13時過ぎに、日和崎尊夫さんとローマで知り合ったという柏木さんというお友達の方と来廊され、しばらくときの忘れものでお話をした。私はお会いするのは初めてだった。句集に掲載している雅代さんに依頼した文章は、達筆だったのでとても編集しやすかったのを思い出した。穏やかで優しそうな方で、高知弁がとっても可愛かった。
19時半頃、雅代さんと『版画掌誌第5号』と『日和崎尊夫句集』のデザインを手掛けた北澤敏彦さんと綿貫さんと令子さんと私で、超美味しいしゃぶしゃぶ屋さん『紫波』に行った。海の幸や野菜、岩手県産の牛肉や揚げ餅などをしゃぶしゃぶしながら私たちは色んな話をし、すぐに打ち解けた。雅代さんは日和崎さんを「日和さん」と呼んでおり、「日和さんは、寂しくなるとアトリエから東京にいる3人の息子たちに電話をしていました。」と言っていた。数年間の結婚生活だったらしいが、いっぱい思い出があるみたい。その思い出をいっぱい聞かせてもらった。最近、高知で日和崎さんの取材がいくつかあったとおっしゃっていた。
『日和崎尊夫句集』の句は、私が手書き送稿から活字におこしたものを北澤さんが考えて並べ替えた。『日和崎尊夫句集』はみんなのアイデアが詰まった、とっておきのモノなのです。今日も句集は売れた。ありがたい。この句集は高知でも販売しますので、どうぞ高知の皆さん宜しく。
9時半頃『紫波』を出て、そのまま地下1階のバーに移動した。みんなで小さい丸いテーブルを囲んで、また話した。とっても楽しかった。私たちは10時半頃まで雅代さんとひとときを過ごした。たった数時間だったが、なんだか「さよなら」は名残惜しかった。また、お会いしましょうね。
今日は日和崎尊夫さんの奥様雅代さんが高知から上京なさった。13時過ぎに、日和崎尊夫さんとローマで知り合ったという柏木さんというお友達の方と来廊され、しばらくときの忘れものでお話をした。私はお会いするのは初めてだった。句集に掲載している雅代さんに依頼した文章は、達筆だったのでとても編集しやすかったのを思い出した。穏やかで優しそうな方で、高知弁がとっても可愛かった。
19時半頃、雅代さんと『版画掌誌第5号』と『日和崎尊夫句集』のデザインを手掛けた北澤敏彦さんと綿貫さんと令子さんと私で、超美味しいしゃぶしゃぶ屋さん『紫波』に行った。海の幸や野菜、岩手県産の牛肉や揚げ餅などをしゃぶしゃぶしながら私たちは色んな話をし、すぐに打ち解けた。雅代さんは日和崎さんを「日和さん」と呼んでおり、「日和さんは、寂しくなるとアトリエから東京にいる3人の息子たちに電話をしていました。」と言っていた。数年間の結婚生活だったらしいが、いっぱい思い出があるみたい。その思い出をいっぱい聞かせてもらった。最近、高知で日和崎さんの取材がいくつかあったとおっしゃっていた。
『日和崎尊夫句集』の句は、私が手書き送稿から活字におこしたものを北澤さんが考えて並べ替えた。『日和崎尊夫句集』はみんなのアイデアが詰まった、とっておきのモノなのです。今日も句集は売れた。ありがたい。この句集は高知でも販売しますので、どうぞ高知の皆さん宜しく。
9時半頃『紫波』を出て、そのまま地下1階のバーに移動した。みんなで小さい丸いテーブルを囲んで、また話した。とっても楽しかった。私たちは10時半頃まで雅代さんとひとときを過ごした。たった数時間だったが、なんだか「さよなら」は名残惜しかった。また、お会いしましょうね。
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