昨日、ときの忘れものは仕事納めだったが、綿貫さんと私はそうはいかない。15時から磯崎新アトリエで磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の打ち合わせを約2ヶ月ぶりに行うことになっていた。私は、ときの忘れものに14時に出勤し、持って行く資料などを準備した。
打ち合わせは15時半頃から始まり、4つのエッセイの校正のことで確認を取るとO.K.が出て、磯崎先生は、新たに大きく3つに分けた題名を考えており、皆大賛成で決まった。石田了一さんが試刷りをしてきたシルクスクリーンをお披露目し、色を決めた。そんな感じで、磯崎新アトリエ『百二十の見えない都市』の打ち合わせは淡々と終わり、白井四子男さんが刷った4版の銅版画にサインをして戴いた。先生は前川さんや丹下さんの話をしながら一定の拍子で淡々とサインをしている。すごーい!!と感激しながら耳を傾けていた私。その話の中で、辛美沙さんという方にお願いして、現在磯崎新アトリエでHPを構築してもらっていると伺った。しかし、作品が多くて追いつかないらしい。磯崎先生は、辛さんを電話で呼び出し、買い物中というところ駆けつけてくださった。そんな辛さんに磯崎先生は「買い物中どうもすみません。」と深々と謝っていた。その姿は磯崎先生の偉大さを物語っていた。
辛さんは、相当な数の作品(建築・本・版画、その他)の中で、それぞれ表記の仕方や建築名が一定ではないので、まずそれを統一するのに非常に時間がかかるとおっしゃっており、HPのためだけの人材を確保して行った方がいいなど話していた。また、ときの忘れものでは以前、磯崎新『百二十の見えない都市』事務局通信という(磯崎先生のタイムスケジュールを事細かに書き込んでいるもの)を発行していたらしく、綿貫さんは復活させたいと心中を告げた。
辛さんと綿貫さんが話している中、磯崎先生はどこからかお酒を持ってきて、みんなに飲めるか確認をしていった。私にも「貴方も飲める?」と聞いてくださり、私の分を注いでくれた。それは50度程の強いお酒を水割りにしたもの。独特の味だったが美味しくて軽井沢で打ち合わせした時みたいにホロっと酔いが回った。
磯崎先生との打ち合わせを控えた方たちが待ちくたびれていると知り私たちは退散した。植田先生と石田さんと綿貫さんでときの忘れものに戻り時計を見ると19時。私たちは随分長い間磯崎先生を独占していたことに気付いた。近所の「そのそ」に食事に行った。磯崎アトリエでの打ち合わせが延長しているように綿貫さんは事務局通信の復活の志しを語った。その仕事は当然私にふりかかって来ることは予想できた。
さぁ、明日から年末休み。2006年も大変になりそうだ~。