「束の間の幻影」はいったい何枚刷られたか駒井哲郎の代表作はと問われたら1951年の「束の間の幻影」と答えるのが、まあ常識だと思いますし、画商として言えば、この作品が最も高いということは間違いありません。
昭和26年4月の第28回春陽会に出品され、会員に推挙。同年秋の第一回サンパウロ・ビエンナーレで受賞、駒井先生の出世作となった作品です。
私も何度か扱いましたが、額の裏に貼付するシールにはレゾネに従って「1951年作 銅版 限定20部(E.A.)」というように記載してきました。
この記述は間違いではないのですが、正確かといわれると、はなはだ心許ない。
駒井哲郎の「限定部数」というのは実に難しいのです。
少しでも駒井作品に詳しい方ならば、生前、駒井先生が人気作品をセカンド・エディション、あるいはサード・エディションというように、何度も後刷りをしたことは御存じでしょう。私が先生にお目にかかったのはもう晩年でしたが、あれほどのスター作家でありながら、版画を専門にする画商さんには必ずしも評判がよいとはいえませんでした。
なぜかと言うと、当時は(1970年代)まだまだ版画の地位は低く、例えば美術市場で圧倒的な力を誇るデパートは版画など見向きもしない時代でした。版画を置いているのは新宿の京王デパート(京王版画サロン)ただひとつでした。そういう中で、画商さんたちは版画の価値を油彩や日本画に負けないように必死に努力していました。その意義付けとして使われたのが「オリジナル版画」という言葉であり、「限定部数」という言葉でした。
「印刷と違い、限定部数しか刷りませんよ、だから価値があるのですよ」とアッピールしたわけです。
ここで、1974年に版画の世界に入った私自身の「限定部数」に関する所見を述べておきます。
私が現代版画センターを創立して最初に発表したエディションは靉嘔先生の「I love you」でした。シルクスクリーン、限定11,111部、すべてに靉嘔先生のサインが入っています。
版画をイメージの共有という面から考えれば、テレビと版画は同じだ、靉嘔先生のこの言葉は忘れられません。だとすれば、何十億人が見るテレビと比べて「僅か11,111部」なんてゼロに等しい。
版画が問われるべきは、その質で、限定部数なんかではない。ずつとそう思ってきました。とはいえ、限定部数なんかいい加減でいいとは考えていません。いつ、何部刷ったかの「情報」はコレクターに対してきちんと明らかにされるべきだといいたいのです。
だから、当時から駒井先生が何度同じ作品を刷ろうといいではないか、と私自身は思ってきました。
さて、名作の誉れ高い「束の間の幻影」はいったい何枚刷られたのか、詳しくは次回に検証しましょう。
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