3月22日に刊行予定の『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』の75頁以降のゲラがディスハウスから届いた。
今日は急いでプレスリリースを作成するよう綿貫さんから頼まれた。
4月の展覧会は4Flowers展という花に纏わる作品を出展することになっていたのだが、アンディ・ウォーホルのウォッチャーだった故・栗山豊さんが蒐集した1960年代~90年代の新聞、雑誌、カタログ、ポスターなど資料を壁四面いっぱいに展示しよう・・・という綿貫さんからの提案で、4月は急遽「アンディ・ウォーホル展 FROM THE PERSONAL COLLECTION OF Yutaka KURIYAMA」という企画展をすることになった。
17時から磯崎新アトリエで、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』シルクスクリーンのサインを行うことになっていた。15時過ぎに磯崎新アトリエの平田さんから電話があり、磯崎先生が風邪をひいており17時にはアトリエに出てくることになはっているがまだわからない・・・ということだった。16時半に電話を入れるとまだ見えていないと言われたが、磯崎新アトリエで待機することになった。綿貫さんに骨董通りにある老舗和菓子屋さん「菊屋」を教わり、鮮やかで可愛らしい和菓子を手土産として購入していると、綿貫さんのケータイが鳴った。磯崎先生は出てこられないということだった。手土産をお見舞いに変更し、磯崎新アトリエに持って行った。シルクスクリーン刷り師の石田了一さんと助手の大谷さんはすでに見えており、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のたとうを平田さんにお渡しし、次のシルクスクリーンに使用するデータを戴いた。
19時からぱくきょんみさんと北澤さんと『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』についての打ち合わせが行なわれた。少し込み入った話だったので、大人の話に子供は首を突っ込まないほうがいいかな・・・と私はその席から外れてみた。しかし、後で綿貫さんに「なに逃げてるのよ~」と叱られた。すみません、微妙な年齢なので都合のいいときだけ子供のふりをしてしまいました。一大人として今度はきちんと傍に座って話を聞きます。
仕事が終わったのが21時過ぎで、綿貫さんと令子さんに夕食を誘ってもらった。ガッツリ食べたいと言うと、表参道にあるフレンチレストランに連れていってもらった。私はガッツリお肉コース。メニューと味と量とバランス、全てにおいて文句なし。最後のデザートまで大満足だった。
今日は急いでプレスリリースを作成するよう綿貫さんから頼まれた。
4月の展覧会は4Flowers展という花に纏わる作品を出展することになっていたのだが、アンディ・ウォーホルのウォッチャーだった故・栗山豊さんが蒐集した1960年代~90年代の新聞、雑誌、カタログ、ポスターなど資料を壁四面いっぱいに展示しよう・・・という綿貫さんからの提案で、4月は急遽「アンディ・ウォーホル展 FROM THE PERSONAL COLLECTION OF Yutaka KURIYAMA」という企画展をすることになった。
17時から磯崎新アトリエで、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』シルクスクリーンのサインを行うことになっていた。15時過ぎに磯崎新アトリエの平田さんから電話があり、磯崎先生が風邪をひいており17時にはアトリエに出てくることになはっているがまだわからない・・・ということだった。16時半に電話を入れるとまだ見えていないと言われたが、磯崎新アトリエで待機することになった。綿貫さんに骨董通りにある老舗和菓子屋さん「菊屋」を教わり、鮮やかで可愛らしい和菓子を手土産として購入していると、綿貫さんのケータイが鳴った。磯崎先生は出てこられないということだった。手土産をお見舞いに変更し、磯崎新アトリエに持って行った。シルクスクリーン刷り師の石田了一さんと助手の大谷さんはすでに見えており、磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のたとうを平田さんにお渡しし、次のシルクスクリーンに使用するデータを戴いた。
19時からぱくきょんみさんと北澤さんと『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』についての打ち合わせが行なわれた。少し込み入った話だったので、大人の話に子供は首を突っ込まないほうがいいかな・・・と私はその席から外れてみた。しかし、後で綿貫さんに「なに逃げてるのよ~」と叱られた。すみません、微妙な年齢なので都合のいいときだけ子供のふりをしてしまいました。一大人として今度はきちんと傍に座って話を聞きます。
仕事が終わったのが21時過ぎで、綿貫さんと令子さんに夕食を誘ってもらった。ガッツリ食べたいと言うと、表参道にあるフレンチレストランに連れていってもらった。私はガッツリお肉コース。メニューと味と量とバランス、全てにおいて文句なし。最後のデザートまで大満足だった。
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