ゆーじん画廊 岡崎乾二郎展/おかざき けんじろう展
渋谷の宮益坂にある、6年間通った小学校の校舎みたいな建物。階段や廊下の感じが懐かしく、ピンポン玉がすごい勢いで跳ね返ってきそうなところ。見るのは慣れっこになったセンター街にいるギャルたちは、やっぱり異質な存在だと改めて思った。そんな建物の一室にある「ゆーじん画廊」。岡崎乾二郎展が7月25日[火]から8月10日[木]まで開催されています。
キャンバスの枠には到底収まりきれないこの世界は、一体どんな思想なのか、論理的なものなのか、哲学的なものなのか・・・観察すればするほど困惑する。キャンバスを目の前に、私のあらゆる思考が作動する。それは五感だけでは足りなくて、とりとめのない想像が駆け巡った。
タイトルやコンセプトを知った上で作品を見ると、その先に考えることはない。しかし、作品のタイトルが見当たらなかったので、何を表現しているのか検討もつかない。ここに展示されている作品は明らかに魚でもなく記号でもない、きっと名詞のモノではないだろう・・・迷路にはまった。
メロン味の飴を嘗めたときと少し似ている感覚。ミント味や梅味と違って、メロン味の場合、何味かを知らずに嘗めると一体何の味なのかわからない。メロン味だと聞かされると、メロンってこんな味だっけ?と思いながら、でもメロン味と書いているから・・・と無理矢理認める。
何を表現しているかはわからないが、このキャンバスの中は、なんとなく私の憧れの世界であるような気がした。そんなことを考えながらキャンバスを見ていると、キャンバス内に凸の影が映っているのを発見した。
19時をまわり、岡崎ファミリー(「えんがわ」の方と四谷アート・ステュディウムの方)と岡崎先生とぱくさんの友人たちと食事に出掛けた。広東料理「青山一品」。あっさり・さっぱりしていて、美味しくて、美容と健康によさそうなものばかり。
岡崎先生はこんなことを言っていた。詩人のぱくきょんみさんと作家の勝本みつるさんは、2年ほど毎日文通をしているにも関わらず、その親友同士の会話は敬語。また、「~らしいですよ。」などと、己の話をしているのにどこか人ごとのようで、主体が自分たちではないように聞こえると。ぱくさんの詩と勝本さんの作品も同じく、主体が自分たちではないと言っていた。そんな二人の会話は、とても不思議に聞こえるに違いない。でもそれってすごく面白い。私も、何となく文章を書いていると、無意識にボクという表現を使っている。これは一体何なのだろう・・・。


渋谷の宮益坂にある、6年間通った小学校の校舎みたいな建物。階段や廊下の感じが懐かしく、ピンポン玉がすごい勢いで跳ね返ってきそうなところ。見るのは慣れっこになったセンター街にいるギャルたちは、やっぱり異質な存在だと改めて思った。そんな建物の一室にある「ゆーじん画廊」。岡崎乾二郎展が7月25日[火]から8月10日[木]まで開催されています。
キャンバスの枠には到底収まりきれないこの世界は、一体どんな思想なのか、論理的なものなのか、哲学的なものなのか・・・観察すればするほど困惑する。キャンバスを目の前に、私のあらゆる思考が作動する。それは五感だけでは足りなくて、とりとめのない想像が駆け巡った。
タイトルやコンセプトを知った上で作品を見ると、その先に考えることはない。しかし、作品のタイトルが見当たらなかったので、何を表現しているのか検討もつかない。ここに展示されている作品は明らかに魚でもなく記号でもない、きっと名詞のモノではないだろう・・・迷路にはまった。
メロン味の飴を嘗めたときと少し似ている感覚。ミント味や梅味と違って、メロン味の場合、何味かを知らずに嘗めると一体何の味なのかわからない。メロン味だと聞かされると、メロンってこんな味だっけ?と思いながら、でもメロン味と書いているから・・・と無理矢理認める。
何を表現しているかはわからないが、このキャンバスの中は、なんとなく私の憧れの世界であるような気がした。そんなことを考えながらキャンバスを見ていると、キャンバス内に凸の影が映っているのを発見した。
19時をまわり、岡崎ファミリー(「えんがわ」の方と四谷アート・ステュディウムの方)と岡崎先生とぱくさんの友人たちと食事に出掛けた。広東料理「青山一品」。あっさり・さっぱりしていて、美味しくて、美容と健康によさそうなものばかり。
岡崎先生はこんなことを言っていた。詩人のぱくきょんみさんと作家の勝本みつるさんは、2年ほど毎日文通をしているにも関わらず、その親友同士の会話は敬語。また、「~らしいですよ。」などと、己の話をしているのにどこか人ごとのようで、主体が自分たちではないように聞こえると。ぱくさんの詩と勝本さんの作品も同じく、主体が自分たちではないと言っていた。そんな二人の会話は、とても不思議に聞こえるに違いない。でもそれってすごく面白い。私も、何となく文章を書いていると、無意識にボクという表現を使っている。これは一体何なのだろう・・・。
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