石山展DM
 SF界の最高賞と言われるヒューゴー賞受賞作(1990年)にして今や「たんに90年代にとどまらず20世紀全体のSFを代表する顔のひとつ」(酒井昭伸)、「存在自体が奇蹟にひとしい現代SF最大最強の大傑作」(大森望)とまで評される--というより最近では宝島社「このライトノベルがすごい!2005」で2004年度第一位を獲得し、あの(!)京都アニメーションによってアニメ化され週68本という史上最多のテレビアニメが放映された2006年度前半期の最高傑作との呼び声の高い谷川流・いとうのいじ『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの中でヒロイン(!)長門有希が主人公(?)に栞を挟んで「貸すから」と手渡したことで(というより本作そのものがハイペリオンシリーズへのオマージュであるわけだが)有名になった--ダン・シモンズの「ハイペリオン」四部作(『ハイペリオン』『ハイペリオンの没落』『エンディミオン』『エンディミオンの覚醒』いずれも早川書房)の中で救世主として(新二部作に)登場する12歳(登場時)の少女アイネイアーは「建築家」であり「教える者」という設定である。彼女が師事する「老建築家」サイブリッド(再構成体)の人格雛形(テンプレート)がフランク・ロイド・ライトというのがご愛敬(?)だが(とはいえそれがコルビュジエやミースでないところにはやはり意味があるであろう)、21歳になったアイネイアーが雲の惑星「天山(テイエンシャン)」の崑崙(クンルン)山脈の嵩山(ソンシャン)で<懸空寺(シュアンコンスー)>」建設のプロジェクトを指揮しつつ、「公開問答」で人々を集めて語るくだりが印象深い。
 それがなんだと言われればそれまでだが、SFという「何でもあり」であるゆえに人類の集合的無意識とでもいうものが顕現するというか漏れ出て来るというかある意味で歴史の先見者であり予言者(大ボラ吹きと同義という説もあるがやはり大ボラには大ボラの意味があるであろう)でさえありうる世界の中で圧倒的な支持を得た作品が、人類の希望を政治家でもなく学者でもなく革命家でもなく哲学者でもなくて(ちなみに敵役は前二部作が覇権国家(ヘゲモニー)であり新二部作では教会(パクス)である)建築家に託したということは意味があるに違いない。
 なぜ、救世主が「建築家」でなければならないのか。最初読んだときには気にもとめなかった--だって「上下段にみっちり詰まった活字の海」が全4巻で2557頁、文庫本だと各巻上下で全八冊4442頁も続くのだ--ことがこれほど気になるようになったのは、2004年9月の「ときの忘れもの」第116回企画展「建築家・石山修武展[荒れ地に満ちるものたち]」に足を運んでからである。
 それまで、建築家といえば大工さんの頭領の親玉ぐらいにしか考えておらず(無知蒙昧)、芸術家というよりはむしろ技術者(無礼千万)というくくりでしか見ていなかったものだから、最初「ときの忘れもの」の扉をくぐったときには、それはいつものギャラリー巡りのありふれた一コマで終わるはずだった。それが帰りにはいつの間にか薄くなった財布に「¥25,000 作品代一部 2004年9月21日 上記正に領収いたしました」の領収書を入れ「石山修武石山修武石山修武」とつぶやきながら出てきたのだからいったいどこでどんな電波を受信したんだという話である。家に戻るやいなや風呂も食べず食事にも入らず(はい見事に混乱していますね)パソコンを立ち上げ利用者カードを持っている限りの図書館のHPで「石山修武」を検索して片っ端から予約を入れるという壮挙。書店ではこれまで立ち止まった事もなかった「建築」のコーナーで床に根が生え、ついには「ナイト・スタディ・ハウス」の「早稲田・観音寺」ツァーに参加するわ、東大の「開放系技術について」レクチャーに出席するわ、早稲田の国際会議場での『批評と理論』出版シンポジウムに潜り込むは、ついにはT邸のオープニングにまでお邪魔するわである。自分の事ながら「生業の方は大丈夫?」である。
 その始まりが「2004 Sept.11」と「2004 Sept.12」の日付のある二枚のドローイング。「それでもある希望」と「それでもツインで」。それは世界貿易センタービルの墓であり、その墓から甦って亀裂と断裂を挟みながらなお再び共に歩みだす二つの建物の姿であった。ああ、そうなのだ。これが「建築界の鬼才」の「9.11」に対する回答なのだと勝手に思い定めた。「世界」「貿易」「センター」という名を持つ近代建築とそこに極まる近代そのものの崩壊を受け止めながら、思考停止としての反近代でも空理としての超近代でもなく、近代を引き受けつつ近代を超える道を見出そうとするかのような一連の作品は、現実の丸ごとを引き受けつつ現実を越え、まだ見ぬ未来に形を与える建築家という存在を照らし出して余すところなかった。ああ、ここに「荒野に叫ぶ声」がある。わたしはそう思ったのだった。
 その先見者の第二回個展である。版画が10点、ドローイングが展覧会初日に搬入されたという2点を加えて30点。壁一面に山塊のようにそびえ立つ縦使いの23点のドローイングが圧巻。横使いの7点は向かい側の壁にこちらはなだらかな丘陵とその上にぽつりと浮いた羊雲といった風情で鎮座。うーむ、やられました。作家とギャラリーとがはっしと組み合いぴりりと緊張感があってしかもゆったりした気持ちいい空間を現出させている。見事である。
 最初に目に止まったのはアンモナイトと魚のモチーフ。アンモナイトはヒマラヤの地層から出てくる化石とのことで、大きなものは小さな家ほどもあるという。海底に根を生やすようにしてゆっくりと内側から外側へと多数の部屋を作りながらどこまでも成長していくアンモナイトは、「建築は完成する必要があるのか」という石山の予言者的言説の徴のように見え、自由自在に泳ぎ回り、時に瞬間移動したかのように捕食し闘争し生殖する魚には、古来から魚に帰せられてきた、豊饒や生命といったイメージだけでなく、帰納や推論という人間の理屈を超えて突如示される発見的認識(インスピレーション)のシンボルのように思える。
 また、巨大な台形のイメージは、世界の屋根であるとともに、建築の原型としての屋根でもあろう。そして波立ちうねり屹立する墨痕は1700万年前のインド亜大陸プレートとユーラシアプレートとの衝突によって褶曲し隆起しついに世界の屋根となったヒマラヤを造山した力を示すものであり、そこに鮮やかに付けられた彩色が野の花と法衣であるとすれば、この一連のシリーズは、すべての命を生み出した原初の豊穣の海から、気の遠くなるような年月の中で積み重ねられた生と死が隆起し、地上の命を育み、人の営みを支え、さらにそこに積み重ねられた生と死の上に、ついに生と死を思いそれを超えようとする道が示し表されるということになるのだろうか。そして、それはまた、数で数えることができ最終的には金銭に換算することができるようないたずらな普遍ではなく、具体的にその地の上に重ねられた自然や人の営みが褶曲し隆起するようにして建て上げられることによってこそ建築は意味あるものとなるという石山の建築のメタファーであるのかもしれない。ここに、石山は「それでもある希望」と「それでもツインで」の間に横たわる「荒地を横切る」道を示したのである。「K氏」シリーズも、この果てしのない荒野を横切る主体としての人間の肖像であろう。この肖像が何となくクレーを思わせさらには十牛図を思わせるとコメントしたら怒られるであろうか。
石山「K氏肖像2」
石山・北京ナーガ


 いずれにしても、前回の「透明になり切れない私」に続いて、石山山脈の頂上に据えられた「K氏肖像2」購入である。サイズか小さくなった分価格も抑えられて前回ドローイングに涙を飲んだ当方でも今回は手が届いてしまうのが嬉しいような悲しいような(嬉しいが)。他にも北京モルガンセンターをモチーフにした「北京ナーガ」を始め、建築家の版画・ドローイングとしてはもっと人気の出そうな作品はたくさんあるのだが(先立つものさえあるならこの展示のままで壁ごと欲しい!)、やはり一点となるとこれになってしまう。
 私にとって石山修武は建築家である以上に「教える者」なのであろう。その空間を共にする者のものの見方考え方そしてついには生き方まで造り変え(リノベーション)てしまうかもしれないウィルスというかDNAというかミームというかとにかくそんなもので一杯の「ときの忘れもの」にどうぞである。
               (はらしげる)
石山展展示風景


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*画廊亭主敬白
2006年10月6日~21日の会期で開催中の石山修武展は間際まで作品が届かず、展示作業もぎりぎり間に合ったという近頃には珍しいはらはらどきどきものである。
おまけに嵐を呼ぶ男にふさわしく、オープニングは大雨、強風の荒れ模様であった。
嬉しいことに展評の執筆者が何と3人もいる。
先ずは、原茂さんからお読みください。