川西 英 Hide KAWANISHI
「港の女 A woman in a port」
1946 木版 woodcut
24.2x18.2cm
版上サイン Sign on the plate
◆先日、昔からお世話になったHさんのお見舞いに久しぶりに神戸を社長と訪ねました。新幹線の新神戸から電車(阪急?、私関西に疎くよくわかりませんが)に乗り換え、のんびりと先方に向かったのですが、その車窓から見える風景が、川西英描く神戸風景そのままなのに驚くとともに、この画家のことをなぜもっと早くから注目し、集めなかったのかと後悔の念にかられました。
私はかつて、創作版画に没頭してたった一人のコレクターのために7000点もの創作版画を集めました(売りました)。しかし、川西英の版画はそう多くはなかった。20点もあったかしらという程度です。
代表作の「神戸百景」もいくらでも入手できたのに触手が動かなかった。
鮮やかでくっきりした色面構成、黒い線の巧みな使用により、都会的なまさに港町神戸のお洒落な雰囲気を描き出した川西の作品は、いまあらためて見ると、数多くの創作版画の作家たちの中で、断然光っています。いい作家ですね。
私が美術の世界に入ったとき、既に川西英は没していましたが、楢枝夫人はご健在で、創作版画史上逸することのできない「神戸版画の家」の主宰者・山口久吉のことをいろいろうかがったことがあります。この話をするとまた長くなるので後日にしますが、とにかく、1970年代には川西作品はいくらでもあった。
私が、川西英作品を買わなかった理由は、今となると若気のいたりですが、ご子息の木版画家・川西祐三郎さんが父君の作品の後刷りをかなり大規模に行ない、頒布したことに反感をもったからです。
ちょうど前後して川上澄生のご遺族が、同じように父君の木版画を大規模に後刷りして、市場に大混乱をまきおこすという事態がありました。
後刷りは、たとえそれが善意の意図からなされ、きちんと後刷りであることを明記した場合でも、市場に混乱を引き起こすことは、瑛九の後刷りの例でもよくわかりますが、川西英や川上澄生の場合は、素人にはまったく区別できない仕方での後刷りでした。
川西英や川上澄生らが版画をつくり始めた大正から昭和にかけては、世界的にもまだ版画のルール(限定部数、サイン)が確立されておらず、というかそのルールも不必要なほど市場は限られており、限定もサインも不要な時代でした。だから二人とも生前の多くの作品にはサインなどない。そこへご子息たちが、素人には作家自刷りと区別のつかない後刷りを出したものだから、市場は混乱します。
川西英の後刷り作品展は銀座のさる大画廊で開催されたのですが、その店員が「川西英先生の生前も、息子の祐三郎先生が英先生の作品を刷っていたので、まったく同じで問題ありません。」と言い切ったのに、私は向かっ腹を立てました。おい、それは違うのではないか・・・
まあ、そんなわけで、作品そのものを見るのではなくて、枝葉に過ぎない後刷り問題にひっかかって川西英の素晴らしさを認めることができなかった。反省しております。
いいものはいい、そう素直に作品を見られるようになったのは随分後になってからでした。
因みに、今回出品している「港の女」(タイトルも淡谷のり子みたいでいいですね)は、1946年の作家自刷りです。ご安心ください。
◆川西英(かわにしひで 1894~1965)は、神戸出身の木版画家。本名・川西善右衛門ということからうかがえるように神戸に代々続く回船・穀物問屋の七男として生まれる。幼名英雄。神戸商業学校を卒業。1925年(大正14)、父親の死去により家業を継ぎ、七代目善右衛門となる。1922年(大正11)から1960年(昭和35)に退職するまで、兵庫(のち神戸)東出郵便局長をつとめた。
山本鼎らが唱導した創作版画運動に共鳴し大正から昭和にかけて木版画をはじめた、当時は全国に数多く輩出した版画家の一人。日本創作版画協会展、国画会展、日本版画協会展などで活躍。
代表作「神戸百景」(1933~36)、「兵庫百景」(1939年)など、生地神戸に取材した風俗や風景、またサーカスを描いた異国趣味的な作品を数多く制作した。
◆ときの忘れものでは、29日まで「恩地孝四郎と創作版画の作家たち」展を開催しています。
今回、久しぶりに創作版画の作品を展示したら、随分反響が大きいので嬉しくなりました。
私、お調子者だから、ついつい木に登ってしまう。風邪で臥せっていたのですが、起き出してつまらぬおしゃべりをしてしまいました。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント