瀬木慎一『世紀の大画商たち』(1987年、駸々堂)を再読。
以前読んだときには気付かなかった大画商たちの示唆に富んだ言葉がずっしりと胸に響く。
例えば、文字通りの大画商ウィルデンスタイン四代についての章から引用すると、
階級が交替するとき、前時代の遺産が屑同然になることは、どこの国にもあり、この端境の時期、十八世紀のいわゆるロココ美術はそのような冷視にさらされた。奇妙なことに、前時代のものを冷ややかにあしらった同じ人々が、時とともに、見方を改めて、やがて、同時代の産物をすべて受けいれた後は、いっせいに、懐旧的になるのである。人間に根強いそのような保守性を、ナタンは深く突きおこした、と言えよう。かれの大成功には、確実な社会的心理的な要因があったのである。
ウィルデンスタインは流行に左右されずに(追わずに)「大胆に買え。ゆっくりと売れ。急ぐな。時間は問題にならぬ。」と喝破し、今に続く大コレクションを形成したわけです。
毎月の資金繰りに追われる身としては、望むべくもありません。

さて、月末(それも年度末)だというのに、珍しく静かな毎日と思っていたら、ここ数日、ときならぬガイジンさんの来廊が相次ぎました。
個展を開催中のジャン・ベルト・ヴァンニさんはともかく、ひょんなことから知り合ったドイツ人建築家、ザイフェルト&ストックマンさん、そしてスペインからご主人とお子さんとともに里帰りした根岸文子さん。
英語、イタリア語、スペイン語が飛び交い、全てに無関係(?)の私は、いってみればラジオから流れるポピュラーミュージックを聴いているようなもんで、楽しいような暇なような・・・。
まあ、愛情さえ共有できれば、コトバなんざ何とでもなる、という乱暴な論理でいまのところ乗り切っている亭主であります。