石山展チラシ表石山展チラシ裏


建築家石山修武先生の初めての美術館レベルでの大展覧会が世田谷美術館で開催されます。
建築がみる夢 石山修武と12の物語
 会期=2008年6月28日~8月17日

少しお手伝いしている関係で、招待券があります。
ご希望の方はメールにてお申し込みください。

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建築とは何かを常に問い続ける建築家
石山修武(いしやま・おさむ、1944年生まれ)の建築は、私たちが普段目にする住宅やオフィスビルと同じような考え方では設計されていません。出世作となった《幻庵》(1975年)では、通常は地中に埋めて下水管等に使用する工業用コルゲートパイプを躯体に転用し、また、吉田五十八賞を受賞した《伊豆の長八美術館》(1984年)では、現代建築においては等閑視されていた左官の技術を蘇らせました。その土地に固有の素材を活用するばかりでなく、通常は建築物に使わない資材を転用し、時には依頼者自身が建設作業を行うといった独自の設計方法は、社会状況との関わりのなかで建築を捉えなおし、その先にある可能性を見据えてきた結果ということができます。

現代を微調整し、未来を提示する12の物
本展覧会では、完成させず、前の家の廃材を再利用しつつ、緩やかに建設作業を続けている自邸《世田谷村》、募金活動で建設資金を集め、少しずつレンガを積んで10年以上の歳月をかけて2007年に完成した《ひろしまハウス》を始め、近年手がけている12のプロジェクトを中心に、石山修武の活動を、模型、ドローイング、写真などでご紹介いたします。一つの敷地のなかでエネルギーを自給自足するシステムや、大都市でのメディアセンターの建設構想など、今、石山修武は建築を通じてどのようなメッセージを発信しようとしているのでしょう。エントランスには、人がなかに入ることができる「山」が出現。そして、建築家としては異色ともいえる版画作品も展示します。さらに、石山修武研究室の分室が展示室内に設けられ、その先のプロジェクトが皆様の前で日々展開してゆく予定です。ぜひご期待ください。(プレスリリースより転載)
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石山先生はこの展覧会の準備作業そのものをイベント化し、その詳細をホームページで公開されています(世田谷美術館「建築がみる夢」準備録準備日誌)。
私たちがサポートしている銅版制作も恐るべき集中力で既に32点を完成されました。石山先生の日記にはしばしば、その銅版制作のことが出てきます。
いくつか勝手に引用してみましょう。
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<十五時過銅版画一点彫り上げる。十九時四〇分銅板の二枚目を彫りおわる。夕食後三点目の銅版画に取組む。二十三時二〇分修了。一日、三点の銅版を彫ったのは初めてだな。何故彫れたのか不思議だが、他は何もできなかった。
 二月二十五日
 〇時三〇分4点目の銅版を途中迄彫って、今日のWORKを終える。1時過休む。今日は一日銅版画家だった。普段の頭の別の部分が働いた風がある。これだけ彫るともうスポーツだね。
 七時過起床。昨日彫った銅版を見直す。何を彫ったのかはそれ程の問題ではない。これを彫るのは純粋な出鱈目ではない。つまり抽象ではない。刃物の刃や鉄筆を持つ手の動くままというわけではなさそうだ。具象そのものの形が記号の如くに出現しているし、その事の意味は左程の事ではない。内的必然という程のものではない。全て偶然に任せて、それに頼り切る程の自信が無いからだけなんじゃないか。九時十五分銅版四点目を完了。四点目はこれで良しと終わりにしたのだが、何をもってこれで良しとして彫るのを停止したのかは定かではない。
 銅版を彫るのは、建築の事考えたり、あるいは筆で何か描いたりするのとは決定的に違う。銅の板を切り刻む、彫るという力が必要な事だ。このほとんど最小限ではあるのだが力が必要となる事が、指先の抵抗感となり脳髄に伝わって、神経細胞を刺激している。筆で描く時には墨汁の匂いが刺激するように。十一時前世田谷村発。>

<七時過起床。畑に生ゴミを埋めて、水仙とグラジオラスの花をしゃがみ込んで眺める。十四時迄銅版に取り組み、小品二点を完成させる。大きめのモノ一点も仕上げる事が出来た。十五時迄世田美WORK。十五時半ロビーの空間を把握したくなり、世田谷美術館へ。寸法を確認する。メインテーマをユーモラスに表現するアイデアを得たが、少し寝かせておこう。どれ程の強度を持っているアイデアかまだ解らぬ。十六時世田谷村に戻る。
 ドローイング三点仕上げる。チョッとWORKモードになってきた。十八時過小休。余り根をつめると眠れなくなるからな。昨日、国技館で安西君からもらった写真は何気ないものだが、これは良い。彼はドキュメンタリーを作らせたら相当な処まで行くだろう。が、政治家になるのが一番じゃないかな。
 十九時過更に銅版小品二点仕上げる。どんどん手が動いて止まらない。休まねば。もう一点、韓国の僧舞いの記憶を彫った。六点を彫り上げるが、これが限界だろう。>

<九時過銅版最小サイズ一点了。マア、銅板にカリカリと彫り込んでいて何かが明快になるって事は一切無いが、少なくともこれでゆくしかないなの覚悟らしきは確認できる。初めて銅版に制作の日付とサインを彫り込む。
 むしろ、今やっている銅版を彫り込むWORKは多くの生活者達には最も不可能なWORKだろうな。設計、デザインのWORK、モノを書くというWORKはほんとうに、これは誰でもできるのだけれど、この銅版カリカリはあんまり、できないと言うよりも、頭の良い人達はやらぬであろうと思う。余りにもバカバカしくって。>

<昨日は一日こもり切りで銅版画やっていたので流石に気分は澱んでいる。画家とか版画家という類の人々は本当にタフなのか、あるいは単純で鈍いのか、どちらかだろう。世田美での展覧会に併せて、南青山のときの忘れものギャラリーで第 III 回目の銅版画展、ドイツのバウハウスギャラリーでも建築展が開かれる事になった。それなりに忙しい。
 あんまり、展覧会の類に情熱を燃やした事など無かったのだが、今度は我ながら異常に集中している。自分なりの危機感の表われだろう。ひろしまハウスから浅草へのオリエンテーションは考え抜いた末の事であるから、もう微動だにしない。>

<面白い筈の版画のネーミングに意外に手間取って、午前二時起きてテーブルに向かうも、何もすすまない。彫りたいものを自由に彫っていたツケが今来ているようだ。人間の脳内風景は決して連続していないのを知る。少くとも自分の場合は。三十二点のうち一点が決まればあとは楽なんだが。
 三時過完了。電脳化石神殿探訪記の枠組で全てを命名する。もう一組は砧山石山寺縁起とした。深夜の雨降り続く。三時二〇分横になる。
 七時過起床。寒い。命名を修正。八時二〇分。銅版画解説も書き直してみる。世田谷美術館へ送附。>
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石山先生の銅版画への入れ込みようがよくわかりますね。
世田谷美術館の展覧会への期待が膨らみます。

◆ときの忘れものでは、6月6日~6月14日まで「4 Winds 2008 永井桃子・根岸文子・秋葉シスイ・三須研一」展を開催します。ときの忘れものが推す若い世代の4人展です。初日6月6日17時よりオープニングを開催しますので、ぜひお出かけください。

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