広瀬さん、過大なお言葉に冷汗三斗です。こちらは大和ラヂエーターの佐藤さんとか、『マン・レイになってしまった人』の石原さんとか、綺羅星のような大写真コレクターの前にただただ首を垂れるしかない小コレクターですが、おだてに乗りやすいタイプのようですので、もうちょっと木に登らせていただきます。
「月3万円で写真を手に入れる(2) 同時代の作家を」
分割すればどんなに高額な写真でも買える! とはいうものの、良いことばかりではありません。一つには、作戦実施中は新しい写真が買えなくなるということ。当たり前とは言いながら、結構つらいものがあります。なにしろ、毎月支払いに行くわけですから、そのたびごとに新しい展示を見るわけで、見れば当然(?)欲しくなる。「買った品物ともらった女房の悪口は言わぬが良い」とはユダヤの格言ですが、神ならぬ人の我が身、あれよりもこれの方が良かったんじゃないか、とか、この展示があることがわかっていたら我慢したはずなのに、とか、煩悩の種は尽きません。
もう一つには、購入を決めてから実際に自分の部屋に飾るまで時間差があるために、手元に届いた頃には、すでに関心が他の作品に向いてしまっていることが少なくないこと。こうなると、写真が好きで写真を買うのか、写真を買うという行為そのものが好きなのかわからなくなってきます。ならばクレジットでというのはその通りですが、金利手数料がかかってしまうのと、万一利用明細が家庭内同居人の手に渡ってしまうと大変なことになるので(前にカメラを買ったときにバレてしまい夜中に叩き起こされて朝まで説教を喰らった)、これはコレクションに理解のある家族持ち向けということになるでしょうか。
2~3ヶ月で一枚、できれば毎月一枚は購入したいということになると、やはり巨匠の歴史的名品というわけにはいかなくなります。そこで私が次に向かったのは、未来の巨匠の最新作をということでした。
これにはいくつか伏線があります。一つには、分割大作戦の最終局面で、新宿2丁目のphotographers' galleryの企画展「高梨豊『我らの獲物は一滴の光』」展(2003.1.10-31)に際して、かの「tomorrow」から「コカコーラ配達車」を購入したときに、高梨先生から「なぜ(この)写真を買うのですか?」と質問されてぐっと詰まったこと。多くのエピソードに彩られた名作のはずで、価格も25万円という自分としてはもう破格(積み立てていた月3万の予算では足りず、夏のボーナスまでつぎ込んでしまいました。作品の売り買いで成り立っている企画ギャラリーではなく、作家さんたちがお金を出し合って発表の場を成り立たせている自主ギャラリーのため細かな分割が効かなかった)だったはずなのに、高梨先生はあまり嬉しそうではありませんでした。よくよく考えたら、「あなたの最高傑作は?」と聞かれるたびに「次回作」と答えることを常としていたチャップリンならずも、常に新しいことにチャレンジしているはずの(そして「我らの獲物は一滴の光」は、まさにそんな高梨先生の新境地を開く展示だったにもかかわらず)第一線の作家にとって、どれほど素晴らしくはあってもすでに乗り越えてきたはずの過去の作品を求められるというのはあまり喜ばしいことではなかったのかもしれません。ファンなら、まさにその新たなチャレンジにこそエールを送るべきだったのに、「すでに定まった評価しか信じることのできない凡庸なコレクター」は、過去の名品のモダンプリントを求めてしまったのでした。最新作「WINDSCAPE」の「ヴィンテージプリント」を入手する絶好の機会だったのに、です。ちなみに価格は同じでした(泣)。
そして、決定的だったのは、それこそ「ときの忘れもの」亭主様からの「同時代の作家を支持して欲しい」との頂門の一針でした。ふとしたきっかけで名前を知って、どうしても見たいと思っていた駒井哲郎さんの「教会の横」を探してネットサーフィンをして見つけた「ときの忘れもの」さんに初めてうかがったとき、「生命保険を解約してでも」みたいな思い込みでいっぱいいっぱいだった私に、ご亭主が、すでに価値が定まって美術館に納まった方が座りのよいようなものを今から追いかけるのではなく、無名でも本当に良いものを創っている同時代の若い作家を支持して欲しいと諭して下さいました。
思えば、どんなに頑張ったところで『写真の見方』に納められている写真を順繰りに購入するなどいうことは不可能だし、たとえそれができたところで、そのことに何か意味があるとは思えない。せいぜい美術館がヴィンテージプリントでしているコレクションのモダンプリントによるミニミニ版ができるだけです。
それからは、憑き物がおちたように、有名作家の名作探求は取りやめとなりました。そして月3万円の予算をまなじりを決してというのではなく、もっと自由に、肩肘張らずに使えるようになりました。そうやって見てみると、月3万円の予算で購入できる傑作は決して少なくありません。
たとえば、現在はツァイト・フォトのコレクションにも入っている蔵真澄さんの作品を、当時蔵さんもメンバーだったphotographers' galleryで3万円で購入しましたし(「love machine」のシリーズから「犬」。これは最初5万円の値段が付いていたので、「高すぎる」との抗議(?)のメールを送ったところ、「額付きの価格で、プリントのみなら2万円です」との丁寧なご返事をもらい、赤面至極冷や汗たらたらでブックマット付で3万円で購入させていただいたという恥ずかしい経緯があります)。今はなき四谷の「Mole」では「部屋と下着」で「写真ひとつぼ展」のグランプリを取った宮下マキさんの「寝食共存」シリーズから「やがて彼女は子供になった」を3万円で、「パルコギャラリー」からは、木村伊兵衛賞作家ホンマタカシさんの「東京郊外」から「見返り美少女」(こちらの勝手な命名、駐輪場でサンダル履きの女の子が振り向いている一枚)を3万円でコレクションに加えています。名のある賞を取った新進作家さん(もちろん当時です)の、ギャラリーでの最初の販売価格が3万円だったわけですから、なかなかどうして3万円は使いでがあります。
いずれにしても、作家の最初の企画展(作家がお金を出して展示する貸しギャラリーや自主ギャラリーでの展示ではなく、ギャラリーがお金を出して展示・販売する企画ギャラリーでの展示のこと、また貸し主体のギャラリーではあってもこれはと思う作家にギャラリーがお金を出して展示する展示も含む)はねらい目かと思います。
もっとも、最近は作品のサイズの問題もあって、賞をとって最初の販売価格が3万円ということはないかも知れません。じっさい、私が大好きな宮下マキさんの「部屋と下着」シリーズは、京都の「prinz」では48万円!の値段が付いていたのでした。もっとも天井から床までのサイズだったので、どだい購入は無理だったのですが。
また、アジアマネーの影響なのか、企画ギャラリーの最初の個展から10万円を超えるプライスがつくのもまれではないので、「作家は最初は3万円」というのは今となっては懐かしい昔話かもしれません。
けれども、名にし負うギャラリストたちが、とうてい会期中の作品の売り上げでは回収できないような展示のリスクを冒して、あえて世に問おうとした作品・作家を評価し、支持しようとするならば、これに月3万円の予算をつぎこむのはやはり意味のあることではないかと思うのです。それが後にあるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなるかも知れないというのは措いておいて。(この項おわり)
なお、【No.1424】でコメントさせていただいた北井一夫さんのオリジナルプリント付き写真集は、冬青社から『1970年代NIPPON』(プリント:161×225mm、3種、裏に作家のサイン入り、限定100部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2001年、26.250円。『1990年代北京』(プリントサイズ203×254mm(六つ切)、6種、裏に作家のサイン入り、限定100部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2004年、36.750円。『80年代フナバシストーリー』(プリントサイズ127×178mm。6種、裏に作家のサイン入り、限定50部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2006年、26.250円)として発売されています。北井さんは現在ギャラリー冬青http://www.tosei-sha.jp/で写真展「ドイツ表現派1920年代の旅」〔7月1日(火)~7月31日(木)、11:00~19:00 (最終日は14:00まで)日曜・月曜 ・祝日 休館 、作家在廊日:毎週土曜日〕を開催中。オススメです。
最後に、飯沢耕太郎さんの最新刊『写真を愉しむ』(岩波新書!)の巻末付録「ギャラリー・美術館ガイド」には、(たぶんもっとあるはずだと思うのですが本書では)全国に12しかない「◎一般ギャラりー(作品販売)」の一つとして、わが「ときの忘れもの」がツァイトやPGIと並んで(!)とりあげられ、「現代美術ギャラリーだが、内外の有名な写真家のオリジナル・プリントも販売」とコメントされていることをご報告させていただきます。
(2008年7月16日 はらしげる)
*画廊亭主敬白
原さんが掲示板に投稿してくださったものをそのまま、転載させていただきました。写真を本格的に扱い出してまだ日の浅い(と思っていた)私たちですが、写真のコレクターが増えるために何をしたらよいのか、算段をあれやこれや議論しています。
私、かなりの記憶ボケで、ここ数ヶ月のあいだに、昔私が売った写真作品が続々と戻ってきたので驚いています。
石元泰博、ピーター・ビアード、ルディ・バークハート、・・・
自分で売っていた作品を忘れていたなんて恥ずかしい。
飯沢耕太郎先生の『写真を愉しむ』にせっかく取り上げていただいたのですから、その名に恥じぬ活動をしなければなりませんね。
さて、本日からときの忘れものでは、7月26日[土]まで「石山修武新作版画展」を開催します。また世田谷美術館で8月17日[日]まで「建築がみる夢 石山修武と12の物語」が開催されています。併せてご覧ください。
◆6月26日~9月30日までの三ヶ月間、伊豆の伊東にある池田20世紀美術館で「小野隆生展 描かれた影の記憶 イタリアでの活動30年」が開催されています。展示の様子はスライドショーでご覧になれます(コチラをクリックしてください)。
「月3万円で写真を手に入れる(2) 同時代の作家を」
分割すればどんなに高額な写真でも買える! とはいうものの、良いことばかりではありません。一つには、作戦実施中は新しい写真が買えなくなるということ。当たり前とは言いながら、結構つらいものがあります。なにしろ、毎月支払いに行くわけですから、そのたびごとに新しい展示を見るわけで、見れば当然(?)欲しくなる。「買った品物ともらった女房の悪口は言わぬが良い」とはユダヤの格言ですが、神ならぬ人の我が身、あれよりもこれの方が良かったんじゃないか、とか、この展示があることがわかっていたら我慢したはずなのに、とか、煩悩の種は尽きません。
もう一つには、購入を決めてから実際に自分の部屋に飾るまで時間差があるために、手元に届いた頃には、すでに関心が他の作品に向いてしまっていることが少なくないこと。こうなると、写真が好きで写真を買うのか、写真を買うという行為そのものが好きなのかわからなくなってきます。ならばクレジットでというのはその通りですが、金利手数料がかかってしまうのと、万一利用明細が家庭内同居人の手に渡ってしまうと大変なことになるので(前にカメラを買ったときにバレてしまい夜中に叩き起こされて朝まで説教を喰らった)、これはコレクションに理解のある家族持ち向けということになるでしょうか。
2~3ヶ月で一枚、できれば毎月一枚は購入したいということになると、やはり巨匠の歴史的名品というわけにはいかなくなります。そこで私が次に向かったのは、未来の巨匠の最新作をということでした。
これにはいくつか伏線があります。一つには、分割大作戦の最終局面で、新宿2丁目のphotographers' galleryの企画展「高梨豊『我らの獲物は一滴の光』」展(2003.1.10-31)に際して、かの「tomorrow」から「コカコーラ配達車」を購入したときに、高梨先生から「なぜ(この)写真を買うのですか?」と質問されてぐっと詰まったこと。多くのエピソードに彩られた名作のはずで、価格も25万円という自分としてはもう破格(積み立てていた月3万の予算では足りず、夏のボーナスまでつぎ込んでしまいました。作品の売り買いで成り立っている企画ギャラリーではなく、作家さんたちがお金を出し合って発表の場を成り立たせている自主ギャラリーのため細かな分割が効かなかった)だったはずなのに、高梨先生はあまり嬉しそうではありませんでした。よくよく考えたら、「あなたの最高傑作は?」と聞かれるたびに「次回作」と答えることを常としていたチャップリンならずも、常に新しいことにチャレンジしているはずの(そして「我らの獲物は一滴の光」は、まさにそんな高梨先生の新境地を開く展示だったにもかかわらず)第一線の作家にとって、どれほど素晴らしくはあってもすでに乗り越えてきたはずの過去の作品を求められるというのはあまり喜ばしいことではなかったのかもしれません。ファンなら、まさにその新たなチャレンジにこそエールを送るべきだったのに、「すでに定まった評価しか信じることのできない凡庸なコレクター」は、過去の名品のモダンプリントを求めてしまったのでした。最新作「WINDSCAPE」の「ヴィンテージプリント」を入手する絶好の機会だったのに、です。ちなみに価格は同じでした(泣)。
そして、決定的だったのは、それこそ「ときの忘れもの」亭主様からの「同時代の作家を支持して欲しい」との頂門の一針でした。ふとしたきっかけで名前を知って、どうしても見たいと思っていた駒井哲郎さんの「教会の横」を探してネットサーフィンをして見つけた「ときの忘れもの」さんに初めてうかがったとき、「生命保険を解約してでも」みたいな思い込みでいっぱいいっぱいだった私に、ご亭主が、すでに価値が定まって美術館に納まった方が座りのよいようなものを今から追いかけるのではなく、無名でも本当に良いものを創っている同時代の若い作家を支持して欲しいと諭して下さいました。
思えば、どんなに頑張ったところで『写真の見方』に納められている写真を順繰りに購入するなどいうことは不可能だし、たとえそれができたところで、そのことに何か意味があるとは思えない。せいぜい美術館がヴィンテージプリントでしているコレクションのモダンプリントによるミニミニ版ができるだけです。
それからは、憑き物がおちたように、有名作家の名作探求は取りやめとなりました。そして月3万円の予算をまなじりを決してというのではなく、もっと自由に、肩肘張らずに使えるようになりました。そうやって見てみると、月3万円の予算で購入できる傑作は決して少なくありません。
たとえば、現在はツァイト・フォトのコレクションにも入っている蔵真澄さんの作品を、当時蔵さんもメンバーだったphotographers' galleryで3万円で購入しましたし(「love machine」のシリーズから「犬」。これは最初5万円の値段が付いていたので、「高すぎる」との抗議(?)のメールを送ったところ、「額付きの価格で、プリントのみなら2万円です」との丁寧なご返事をもらい、赤面至極冷や汗たらたらでブックマット付で3万円で購入させていただいたという恥ずかしい経緯があります)。今はなき四谷の「Mole」では「部屋と下着」で「写真ひとつぼ展」のグランプリを取った宮下マキさんの「寝食共存」シリーズから「やがて彼女は子供になった」を3万円で、「パルコギャラリー」からは、木村伊兵衛賞作家ホンマタカシさんの「東京郊外」から「見返り美少女」(こちらの勝手な命名、駐輪場でサンダル履きの女の子が振り向いている一枚)を3万円でコレクションに加えています。名のある賞を取った新進作家さん(もちろん当時です)の、ギャラリーでの最初の販売価格が3万円だったわけですから、なかなかどうして3万円は使いでがあります。
いずれにしても、作家の最初の企画展(作家がお金を出して展示する貸しギャラリーや自主ギャラリーでの展示ではなく、ギャラリーがお金を出して展示・販売する企画ギャラリーでの展示のこと、また貸し主体のギャラリーではあってもこれはと思う作家にギャラリーがお金を出して展示する展示も含む)はねらい目かと思います。
もっとも、最近は作品のサイズの問題もあって、賞をとって最初の販売価格が3万円ということはないかも知れません。じっさい、私が大好きな宮下マキさんの「部屋と下着」シリーズは、京都の「prinz」では48万円!の値段が付いていたのでした。もっとも天井から床までのサイズだったので、どだい購入は無理だったのですが。
また、アジアマネーの影響なのか、企画ギャラリーの最初の個展から10万円を超えるプライスがつくのもまれではないので、「作家は最初は3万円」というのは今となっては懐かしい昔話かもしれません。
けれども、名にし負うギャラリストたちが、とうてい会期中の作品の売り上げでは回収できないような展示のリスクを冒して、あえて世に問おうとした作品・作家を評価し、支持しようとするならば、これに月3万円の予算をつぎこむのはやはり意味のあることではないかと思うのです。それが後にあるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなるかも知れないというのは措いておいて。(この項おわり)
なお、【No.1424】でコメントさせていただいた北井一夫さんのオリジナルプリント付き写真集は、冬青社から『1970年代NIPPON』(プリント:161×225mm、3種、裏に作家のサイン入り、限定100部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2001年、26.250円。『1990年代北京』(プリントサイズ203×254mm(六つ切)、6種、裏に作家のサイン入り、限定100部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2004年、36.750円。『80年代フナバシストーリー』(プリントサイズ127×178mm。6種、裏に作家のサイン入り、限定50部:シリアルナンバー+作家サイン入り、2006年、26.250円)として発売されています。北井さんは現在ギャラリー冬青http://www.tosei-sha.jp/で写真展「ドイツ表現派1920年代の旅」〔7月1日(火)~7月31日(木)、11:00~19:00 (最終日は14:00まで)日曜・月曜 ・祝日 休館 、作家在廊日:毎週土曜日〕を開催中。オススメです。
最後に、飯沢耕太郎さんの最新刊『写真を愉しむ』(岩波新書!)の巻末付録「ギャラリー・美術館ガイド」には、(たぶんもっとあるはずだと思うのですが本書では)全国に12しかない「◎一般ギャラりー(作品販売)」の一つとして、わが「ときの忘れもの」がツァイトやPGIと並んで(!)とりあげられ、「現代美術ギャラリーだが、内外の有名な写真家のオリジナル・プリントも販売」とコメントされていることをご報告させていただきます。
(2008年7月16日 はらしげる)
*画廊亭主敬白
原さんが掲示板に投稿してくださったものをそのまま、転載させていただきました。写真を本格的に扱い出してまだ日の浅い(と思っていた)私たちですが、写真のコレクターが増えるために何をしたらよいのか、算段をあれやこれや議論しています。
私、かなりの記憶ボケで、ここ数ヶ月のあいだに、昔私が売った写真作品が続々と戻ってきたので驚いています。
石元泰博、ピーター・ビアード、ルディ・バークハート、・・・
自分で売っていた作品を忘れていたなんて恥ずかしい。
飯沢耕太郎先生の『写真を愉しむ』にせっかく取り上げていただいたのですから、その名に恥じぬ活動をしなければなりませんね。
さて、本日からときの忘れものでは、7月26日[土]まで「石山修武新作版画展」を開催します。また世田谷美術館で8月17日[日]まで「建築がみる夢 石山修武と12の物語」が開催されています。併せてご覧ください。◆6月26日~9月30日までの三ヶ月間、伊豆の伊東にある池田20世紀美術館で「小野隆生展 描かれた影の記憶 イタリアでの活動30年」が開催されています。展示の様子はスライドショーでご覧になれます(コチラをクリックしてください)。
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