先日、掲示板に「五味さんの作品の写真史におけるポジションを説明願いたい。」という書き込みがありました。どうお答えしようかと思い煩う暇も無く、コレクターであり、ときの忘れものの写真に関する師匠のおひとりである原茂さんが、ズバッと五味作品の歴史的位置づけをして下さいましたので、以下、転載させていただきます。
写真は、展示が終わった今回の会場風景です。
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 五味彬先生の写真史におけるポジションということですが、これについては、1997年に東京都写真美術館で「アウグスト・ザンダーと五味彬」展が開催されたということで、すでに定まったということができるのではないでしょうか。
五味彬展09-02 むしろ、1920年代のザンダーの方法論にも匹敵する「体型の記録」という手法が、「ヘアヌード」という世界的には全く通用しないコトバによって歪曲され、「清潔な帝国」を目指して「退廃芸術」を抹殺しようとしたナチスにも負けない(?)当局の圧力と「表現の自由」を守る責務を放棄した出版社の怯懦と、それを見て見ぬふりをした評論家の敵前逃亡によって日陰に追いやられてしまったことは、日本写真史の「汚点」ではないかと思っています。
 そのまますくすく成長していけば、人種、性別、年齢を越えた「20世紀の体型」ともいうべき大樹になったはずの「時代の体型」は、社会的には「アダルト写真」というカテゴリーの中に押し込められ、そこに雌伏することを余儀なくされてきたのではないでしょうか。
五味彬展09-01 世界的に見れば、五味先生の作品は、ザンダーから始まり、ベッヒャ-夫妻、クリスチャン・ボルタンスキーらに連なる写真表現の「王道」に位置づけられるはずです。残念ながら、論理ではなく感性(といえば聞こえは良いもののある意味では芸術ではなく芸ということになってしまいます)を重視する日本の写真表現においては、この流れが一番評価されにくいので、その意味でも五味先生は割を食っているような気がします。
 だからこそ、世界的なスケールで仕事をしてこられた細江英公先生が最初のお客さまとしてついて下さったのでしょうし、写真家のレスリー・キーさんが「五味先生にずっと会いたかった」と言われるのでしょうね。また、写真界よりも世界に対して開かれている現代美術の分野から佐伯修先生のような文章が寄せられるのではないかと思います。
 世界的にはそろそろ定まりつつある五味先生の評価(今年はドイツで、来年はアメリカでの展示が予定されているようにお聞きしました)ですが、日本の写真界は「逆輸入」されないとその価値に気がつかないのかもしれません。とはいえ、だからこそコレクションするには今が(ひょっとしたら最後の)チャンスだとも言えるわけで、その意味でも五味彬展が楽しみです。  原茂
五味彬展09-03五味彬展09-04

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 ご質問なさった方からは、何の反応もありませんが、原さんの文は、五味先生の業績を分かりやすく解説くださっていて、8月4日からの五味先生の展覧会にきっと良い影響を与えてくださっていると思います。
0908-026_AkiraGOMI_SY04五味彬Shinc Yellows 01
1990 Vintage Gelatin Silver Print
22.2x18.2cm サインあり

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◆ときの忘れものは夏休み無しで、8月4日[火]―8月22日[土]「五味彬写真展」を開催しています。
2009年8月五味彬写真展DM今回は、ヘアヌード解禁前夜の1989~1991年に撮影された「Yellows」のプロトタイプと言える作品のヴィンテージプリントを中心に約30点を展示します。
1991年イタリアの写真家トニ・メネグッツォと共作した写真集『nude of J』のために撮影されたカラーのポラロイド作品、同年『月刊PLAYBOY』6月号に掲載されたポスターカラーで修正が施されたカラープリント、仙葉由季の写真集『SEnBa』のために撮影されたポラロイドなどのヴィンテージのほか、『BRUTUS』に掲載された「ジャパニーズ・ビューティ」および『nude of J』より村上麗奈、小森愛のニュープリントなどをご覧いただきます。