原茂さんが、夏休みの宿題とおっしゃって五味彬先生の仕事を検証してくださった最終回です。
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 ということで、「ヘアヌード問題」の美術界からの一応の総括とも言われている「芸術新潮1992年8月号」です。この号が書店に並んだ時点では、すでに警視庁が「芸術性が高く真摯な表現であれば警告はしない」という方針が内部で申し合わされたとの報道(朝日新聞1992年5月16日付)がなされていましたが、「芸術的なあまりに芸術的なヘア」として、「大特集」が組まれました。

 第1部は「写真表現―隠さない美しさ」。高橋周平の解説で「今日のヌード写真は、もはや”ヘア”抜きでは語れない。写真の黎明期から現代まで、世界の一流写真家たちの代表作から厳選した”ヘア”入り作品を、特大グラフで紹介!」という挑戦的な企画。取り上げられている写真家は、「近代写真の草分けヌード」としてエドワード・スタイケンマニュエル・アルヴァレス・ブラーヴォ、E・J・ベロック、ウィルヘルム・フォン・グローデン、エドワード・ウェストンマン・レイ、「ヘアが強調するエロス」としてイリナ・イオネスコ、ヘルムート・ニュートン、リシャール・セルフ、ボブ・カルロス・クラーク、クロード・アレキサンドル、ジル・ベルケ、ジョエル・ピーター・ウィトキン、「コンセプチュアル・ヘア」としてケネス・ジョセフソン、デヴィッド・ホックニー、ロバート・ハイネケン、パオロ・ジオリ、「ナチュラル・ヌード」としてジョック・スタージス、カレル・フォンテーン、ジョイス・バロニオ、ベッティナ・ランス、ウンベルト・リーヴァス、ナン・ゴールディン、「フォルムの中のヘア」としてアリス・オディロン、リー・フリードランダー、スティファン・ルビノ、デヴィッド・サーレ、ラルフ・ギブソン、そして「男たちのヘア」としてジョージ・ブラッド・リンス、里博文というそうそうたる写真家の作品が掲載されています。
 さらに、「在って当然なのに、在ると白い眼で見られる日本の”ヘア” 猥褻の象徴となってしまったこの”ヘア”の写真表現をめぐって、評論家、美術館学芸員、写真家が、直面している問題を語り合う」として、飯沢耕太郎+清水敏男+五味彬による座談会が、「写真の性表現をめぐって 猥褻って何だ!」と題して載せられています。
 第2部は、丹尾安典+井上章一による対談「”ヘア”でたどる美術史」。「いったい身体のどこに生えても”毛”は」性的イメージをもつのだろうか 髪、眉、体毛、陰毛……/古代ギリシアの昔から現代まで、様々な形で絵に描かれ、彫刻に刻まれてきた美術作品をグラフでで紹介!/大理石のギリシャ彫刻に”ヘア”はどのように表現されていたのか? 同時代でありながらクラナッハには/”ヘア”があってデューラーにはないのはなぜ? 日本人が”ヘア”を意識しはじめたのは、いったい/いつごろからなのか……等々。”ヘア”に関する素朴な疑問から、時代背景、美術史上の問題点まで、ユーモアたっぷりに蘊蓄を傾けた”ヘア”の文化史」となっています。
 「芸術作品における性表現に一石を投じた内容」と評価されるゆえんです。飯沢先生の『戦後写真史ノート』(中公新書、1993年)の「戦後写真史略年表」の中でも「[1992年]8月『芸術新潮』の特集、『芸術的な、あまりに芸術的なヘア』が話題を集める」と取り上げられています。もっとも、反響が大きかった分、発売後、またしても警視庁から(今度は「警告」ではなく)「配慮」が要請されたとも言われています。

 座談会の中の、五味先生の発言を中心に抜き書きしてみます。

編集部
 その問題はまた後で出てくると思いますが、五味さんはその出版物で問題を抱えてしまった。数年来撮り続けてきたヌードのシリーズが『YELLOWS』という写真集にまとめられるかというところで暗礁に乗り上げてしまったわけですが、一般には知られていないことなんで、ざっと経緯を説明していただけますか。
五味
 三年ほど前に、ある雑誌で、日本人はこれほど美しくなっているんだという視点で特集をやろうということになって、僕も前々からファッション写真をやっていて、モデルといえば外人ばかり、何で日本人に注目しないのかとおもっていたんですよ。そういう形で始まったヌードのシリーズなんですが、写真が本来もっている記録性というものに注目したいと考えて、ちょうど世紀末の日本人の体型がどうだったのかという記録として、これはすごく面白いと思いましてね、とにかく数をたくさん撮りたいと。それで、その後もいくつかの雑誌で発表していって、某出版社で写真集にすることになったんだけど、レイアウトの段階で上の方からストップがかかった。ちょうど昨年の篠山紀信さんの写真集『WATER FRUIT』や、芸術新潮に出た荒木経惟さんの、いわゆる「ヘア問題」の事件があった頃です。で、まだ発表していないものも含めて百人近く撮っていたんですが、その話を別の出版社が聞きつけて、うちで出さないかと連絡してきた。それで今度は、ヘアの部分を修正するのかしないのかということがあったんだけど、何しろ金太郎飴のごとくどのページを開いても必ずヘアが出てくるわけです。僕は修正して構わないと言ったんですが、やはり無修正でいこうということになったんです。
飯沢
 その段階では、ヘアの問題も最終的には大丈夫だろうという判断だった?
五味
 ええ、そうなんでしょう。ところが、印刷も済んで、発売三日前になって、その出版社の社長の判断で中止するということになってしまったんですね。途中でもいろいろ問題はあって、たとえば取次がこれは扱えないというから、初版五千部を各書店に予約注文をとってもらって発売一週間前には完売の状態になっていたんですけれどね、結局断裁処分ということになってしまった。
 僕は、この経験で思ったのは、ヘア問題というのは、つまりは出版社と流通機構の問題なんだということですね。各社が自粛してしまうという……。
飯沢 
 自粛の構造、自己規制の構造がもろに出てくる。日本の社会には常にそれがあって、たとえば昭和天皇が亡くなる直前、あらゆる祝い事が自粛されたり、いったい誰がそうしろと言ったのかわからないんだけど、いつのまにか自粛というムードが出来上がってしまい、その空気にしたがってみんなが動く。そして空気だったものが実体化してしまうんですね。五味さんの本は、実際に出版できなかったわけだから、どこか権力機構の中で圧力がかかって出なかったということになるわけだけど、では誰かが圧力を加えたかというと、もとをたどっていっても誰もわからない。(以下略)

編集部
 (前略)五味さん自身は、『YELLOWS』の撮影で、ヘアや性器の問題を考えて撮影してましたか。
五味
 まったく考えないですね。というのも、これを出す前に、もし裁判になったらどうなるかということを、数人の弁護士と研究してまして、一応結論を出していたんですよ。すでに芸術と猥褻とが両立するということは「チャタレイ裁判」で認められているんだそうです。一つの作品があって、そこには芸術性もあるかもしれないし、猥褻性もあるかもしれないといということですね。それなら芸術を盾にしてもこれはダメだと。写真そのものが猥褻なのかどうかという判断をしてもらわなければならない。僕の写真は記録ということで撮ってるんで、ただの記録が猥褻なのかどうか、ということですね。次に、記録にヘアを出す必然性があるのかどうかという問題になる。その場合の答えとして、僕の写真をよく見てもらえればわかるんだけど、女の子がヘアの部分をカットしているのが多いんです。この四、五年、ハイレグという水着がはやっていて、女の子はそれをはくためにヘアをカットしていたわけです。だからその部分を出さないと、この時代の文化的記録遺産にならない。そういう必然性があるんだという論理でいこうということになっていたんですよ。結局、それを試すところまでいかなかったわけですが……。(以下略)

 飯沢先生や清水敏男さん(水戸芸術館現代美術センター芸術監督:当時)のこの問題に対するコメントもと思いますが、さすがにそれはできないので、関心のある方はどうぞバックナンバーを入手してみてください。今日現在Amazonには無いようですが、「日本の古本屋」http://www.kosho.or.jp/servlet/top には10点(400~1000)載っています。
 むしろ、気になるのはこの対談に添えられた掲載図版で、当時、メープルソープ展が東京都庭園美術館を皮切りに全国を巡回していたこともあって、出品作でもある「アジトー」の4点組と「リディア・チェン」が掲載されているのは当然としても、それに並んで五味先生の『YELLOWS』から2点、しかも見開きで1頁1点ずつという巨匠たちと同じ扱いで掲載されているのが圧巻です。『芸術新潮』がメイプルソープと五味彬の作品を並べて掲載したという事実は実に重いと思うのです。ちなみに、もう一点この対談に添えられている図版が、1982年にみすず書房が国際共同出版として出版した際に、税関で印刷シートが止められ、黒く塗られた形で出版される形になった写真集『マン・レイ』であることを申し添えます。これが美術界における五味彬の位置づけです。

 問題は、写真界以外ではこのようにきちんと位置づけられているはずの五味先生のお仕事が、写真界の中ではまるで「なかったこと」のように扱われてしまっていることです。このことは別にどなたかにきちんと論じていただかなければと思うのですが、やはり大事なことは「五味彬展 ときの忘れもの」と展覧会歴の中にきちんと記録されることと、そして何よりその作品が購入され、所蔵され、リセールされ、そしてオークションでセールスレコードが残ることなのだと思います。その意味で展覧会への入場者と購入者もまた、というかそれこそが「歴史の証言者」であり「歴史の形成者」なのです。「支持することは買うことだ」という久保貞次郎先生の至言を噛み締めるこの頃です。
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原さんありがとうございました。素晴らしい宿題の解答をいただきました。

gomi_09_8p_upac五味彬 Akira GOMI
"8P_UP・AC"
1991年 ヴィンテージゼラチンシルバープリント
86.0×68.0cm サインあり

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◆ときの忘れものは夏休み無しで、8月4日[火]―8月22日[土]「五味彬写真展」を開催しています。
2009年8月五味彬写真展DM今回はヘアヌード解禁前夜の1989~1991年に撮影された「Yellows」のプロトタイプと言える作品のヴィンテージプリントを中心に約30点を展示します。1991年イタリアの写真家トニ・メネグッツォと共作した写真集『nude of J』のために撮影されたカラーのポラロイド作品、同年『月刊PLAYBOY』6月号に掲載されたポスターカラーで修正が施されたカラープリント、仙葉由季の写真集『SEnBa』のために撮影されたポラロイドなどのヴィンテージのほか、『BRUTUS』に掲載された「ジャパニーズ・ビューティ」および『nude of J』より村上麗奈、小森愛のニュープリントなどをご覧いただきます。