画廊のお客様はじめ、皆さんからたくさんの年賀状をいただきありがとうございます。
近況を綴られたもの、昨年読んだ本のこと、厳しい社会の状況を嘆いたもの・・・
昔、画廊をやっていたが、今は引退して、静かな老後を送られているKさんからも年賀状をいただいた。
差出人の住所と名前は青いインクで見慣れたKさんの字。しかし宛名と「迎春」以下の文面は黒いインクでお嬢さんの手だった。
「暦に関係なく生きている様な母に”お正月”という刺激を与えたく年賀状を持って行き名前を書いてもらいました。何とか書けたのでホッとしました。いつもDM送って戴きましてありがとうございます。」
元永定正先生の紹介で知り合ったのだが、ご主人が亡くなった後、還暦を過ぎてから画廊を始めたという、文字通り進取の気性に富む女性だった。
私たちがお世話になった数多くの人たちの中でも、ことのほか暖かな、それでいてさっぱりとした人柄だった。
1985年1月、ちょうど今頃の寒い季節だった。私が経営していた現代版画センターが進退窮まり遂に倒産を目前にした、人生最悪の極限の日々、突然Kさんが上京してきた。
「ワタシ、あんたのところから何か買いたいのよ。持ち合わせがないからこれでおろしてきて。」と銀行のキャッシュカードを渡された。当時、30万円が引き出せる上限だった。同情めいたことは一切言わず、何点かの作品を選び、「それじゃあ元気でね。うちの方に来たら又寄ってちょうだい。」と帰っていった。
あれから25年経った。
一昨年、久しぶりにKさんを訪ねた。お体も元気そうで、快活な雰囲気は以前と同じだったが、私たちを見ても多分わかっていただけなかったと思う。
「おたくさん、どちらからいらっしゃいましたの」「東京です」というような会話が、幾度も繰り返された。
Kさんとお嬢さんの手の混じった年賀状は、母娘の情愛のこもった暖かなものを伝えてくれるとともに、私たちにとっては切ない年賀状だった。
元永定正「ふにゃらくにゃら」
1979年 シルクスクリーン
43×95cm Ed.85 サインあり

元永定正「だぶりゅうみたいな」
1984年 シルクスクリーン
21×35cm Ed.250 サインあり

元永定正「みっつのかたち」
1979年 シルクスクリーン
33×47cm Ed.170 サインあり
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近況を綴られたもの、昨年読んだ本のこと、厳しい社会の状況を嘆いたもの・・・
昔、画廊をやっていたが、今は引退して、静かな老後を送られているKさんからも年賀状をいただいた。
差出人の住所と名前は青いインクで見慣れたKさんの字。しかし宛名と「迎春」以下の文面は黒いインクでお嬢さんの手だった。
「暦に関係なく生きている様な母に”お正月”という刺激を与えたく年賀状を持って行き名前を書いてもらいました。何とか書けたのでホッとしました。いつもDM送って戴きましてありがとうございます。」
元永定正先生の紹介で知り合ったのだが、ご主人が亡くなった後、還暦を過ぎてから画廊を始めたという、文字通り進取の気性に富む女性だった。
私たちがお世話になった数多くの人たちの中でも、ことのほか暖かな、それでいてさっぱりとした人柄だった。
1985年1月、ちょうど今頃の寒い季節だった。私が経営していた現代版画センターが進退窮まり遂に倒産を目前にした、人生最悪の極限の日々、突然Kさんが上京してきた。
「ワタシ、あんたのところから何か買いたいのよ。持ち合わせがないからこれでおろしてきて。」と銀行のキャッシュカードを渡された。当時、30万円が引き出せる上限だった。同情めいたことは一切言わず、何点かの作品を選び、「それじゃあ元気でね。うちの方に来たら又寄ってちょうだい。」と帰っていった。
あれから25年経った。
一昨年、久しぶりにKさんを訪ねた。お体も元気そうで、快活な雰囲気は以前と同じだったが、私たちを見ても多分わかっていただけなかったと思う。
「おたくさん、どちらからいらっしゃいましたの」「東京です」というような会話が、幾度も繰り返された。
Kさんとお嬢さんの手の混じった年賀状は、母娘の情愛のこもった暖かなものを伝えてくれるとともに、私たちにとっては切ない年賀状だった。
元永定正「ふにゃらくにゃら」1979年 シルクスクリーン
43×95cm Ed.85 サインあり

元永定正「だぶりゅうみたいな」
1984年 シルクスクリーン
21×35cm Ed.250 サインあり
元永定正「みっつのかたち」
1979年 シルクスクリーン
33×47cm Ed.170 サインあり
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