今週のお薦め写真は、瑛九のフォトデッサンです。
先日、神保町の古書店で『写真装置 第2号』特集「視線のエロス」(1981年5月10日写真装置舎発行)を購入しました。4月の「The NUDE」展の参考にと思って買ったのですが、パラパラとページを繰って最後のページまで行くと、「瑛九」の文字が目に留まりました。それは「いま瑛九を見る・考える」というコピーで、ギャラリー方寸の「瑛九-フォトデッサン展」「シンポジウム・瑛九」を告知する広告です。
ギャラリー方寸は、ときの忘れものの前身と申しますか、ときの忘れもの亭主が現代版画センター時代に開いた画廊で、渋谷区松涛にありました。30年前の広告ですが、この頃から既に瑛九を評価し、フォトデッサンを紹介し続けて今に至っているのです。
今回ご紹介する作品は、1936年、瑛九以前の杉田秀夫が、宮崎から上京した際に携えていた約100点のフォトデッサンの中の1枚と思われる初期の貴重な作品で、フォトデッサンに着彩した、実験的なものを感じさせる一点です。
瑛九 Q Ei
「作品」
1936年
フォトデッサンに着彩
25.2×30.5cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
いやあ、先日のアマゾンの高額中古品(トリシャ・ブラウン)にも驚きましたが、今度は写真担当の三浦が大昔の私の古傷がうずくような古雑誌を見つけてきたのには、またまた驚きました。
ギャラリー方寸は、当時渋谷にあった現代版画センターの常設展示場として、1981年3月1日にオープンした画廊です。
場所は渋谷区松濤。現在の東急Bunkamuraから松濤美術館に向かう道筋の薬局の二階でした。
オープン記念展はもちろん「瑛九 その夢の方へ PartⅠ」展。
油彩、フォトデッサンなどを集め、全力投球で開いた展覧会でした。結果は・・・・(無残でした)。
そのとき、最も輝いていたのが「青の中の丸」(1958年 油彩・キャンバス 90.9×116.7cm 右下に署名、年記)でした。
私がつけた価格は700万円。「お前は馬鹿か」といわれるほど、無視されました。
どなたも買ってくださらなかった。
しかし、今その絵は、東京国立近代美術館にあります(平成11年度 購入)。国家にご購入いただいた金額は4,000万円でした。私の密かに誇りとするところです。
ギャラリー方寸の名前は、創作版画運動のシンボルともいうべき山本鼎たちの雑誌『方寸』からいただきました。今でも、「あの方寸の綿貫さん?」と訪ねていらっしゃる方もいます。
『写真装置』に出した広告は上記瑛九展のPartⅡのものです。
因みに表紙は野島康三です。私はそのとき初めて野島康三の凄みのある写真に触れ戦慄を覚えたものでした。
ギャラリー方寸の短い歴史については、そのうち(ヒマがあったら)、ちゃんとご説明しましょう。
先日、神保町の古書店で『写真装置 第2号』特集「視線のエロス」(1981年5月10日写真装置舎発行)を購入しました。4月の「The NUDE」展の参考にと思って買ったのですが、パラパラとページを繰って最後のページまで行くと、「瑛九」の文字が目に留まりました。それは「いま瑛九を見る・考える」というコピーで、ギャラリー方寸の「瑛九-フォトデッサン展」「シンポジウム・瑛九」を告知する広告です。
ギャラリー方寸は、ときの忘れものの前身と申しますか、ときの忘れもの亭主が現代版画センター時代に開いた画廊で、渋谷区松涛にありました。30年前の広告ですが、この頃から既に瑛九を評価し、フォトデッサンを紹介し続けて今に至っているのです。今回ご紹介する作品は、1936年、瑛九以前の杉田秀夫が、宮崎から上京した際に携えていた約100点のフォトデッサンの中の1枚と思われる初期の貴重な作品で、フォトデッサンに着彩した、実験的なものを感じさせる一点です。
瑛九 Q Ei「作品」
1936年
フォトデッサンに着彩
25.2×30.5cm
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*画廊亭主敬白
いやあ、先日のアマゾンの高額中古品(トリシャ・ブラウン)にも驚きましたが、今度は写真担当の三浦が大昔の私の古傷がうずくような古雑誌を見つけてきたのには、またまた驚きました。
ギャラリー方寸は、当時渋谷にあった現代版画センターの常設展示場として、1981年3月1日にオープンした画廊です。
場所は渋谷区松濤。現在の東急Bunkamuraから松濤美術館に向かう道筋の薬局の二階でした。
オープン記念展はもちろん「瑛九 その夢の方へ PartⅠ」展。
油彩、フォトデッサンなどを集め、全力投球で開いた展覧会でした。結果は・・・・(無残でした)。
そのとき、最も輝いていたのが「青の中の丸」(1958年 油彩・キャンバス 90.9×116.7cm 右下に署名、年記)でした。
私がつけた価格は700万円。「お前は馬鹿か」といわれるほど、無視されました。
どなたも買ってくださらなかった。
しかし、今その絵は、東京国立近代美術館にあります(平成11年度 購入)。国家にご購入いただいた金額は4,000万円でした。私の密かに誇りとするところです。
ギャラリー方寸の名前は、創作版画運動のシンボルともいうべき山本鼎たちの雑誌『方寸』からいただきました。今でも、「あの方寸の綿貫さん?」と訪ねていらっしゃる方もいます。
『写真装置』に出した広告は上記瑛九展のPartⅡのものです。
因みに表紙は野島康三です。私はそのとき初めて野島康三の凄みのある写真に触れ戦慄を覚えたものでした。
ギャラリー方寸の短い歴史については、そのうち(ヒマがあったら)、ちゃんとご説明しましょう。
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