磯崎新講演会~『日本』がまだあった頃 尾立麗子
3月2日、千駄ヶ谷の津田ホールで開催されたTOTO出版20周年記念講演会に、行ってきました。

TOTO出版から、磯崎新先生、杉本貴志さん、原広司さんの3人の新著が刊行され、またTOTO出版20周年記念して、磯崎先生は東京、杉本さんは福岡、原さんは仙台で講演会が開催されます。
今回は、その第一回である磯崎新先生の久しぶりの単独講演が、津田ホールで開催されました。
講演は、「『日本』がまだあった頃」というタイトル。
新著『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』(2010年、TOTO出版)の第10章に出てくるヴェネツィアの作曲家ルイジ・ノーノとの出会いから話が始まり、カルロ・スカルパが来日中に亡くなった際に、ノーノが彼に捧げた曲「無限の可能性を有した建築家、カルロ・スカルパに」(1984)が会場で流れました。私は初めて聴いたのですが、音が止まり、曲が終わったかなと思うと、再び音が流れるという、インターバルのある音楽でした。

とても印象深かったのは「環境」についての話でした。
景気や政治的なこと、文化などは、60年のサイクルで循環するという説があると言い、その説を立証させるごとく「環境」の話になりました。
ここ数年、「環境」をテーマにさまざまな分野で、環境問題・地球問題を取り入れていますが、実は、1940年代に「環境」について議論されていたと言います。
1943年のバンコクの日本文化センターの建築のコンペで、丹下健三さんは1位に、前川國男さんは2位に選ばれた際、二人のコンペ案の説明として、丹下さんは「環境秩序的」、前川さんは「環境空間的」という言葉を使ったそうです。

このときの「環境」とは、現在の「ECO」や「Green」という意味とは違い、目の前に見える周りの状況を「環境」と呼んでいたそうですが、60年近く前に、既に「環境」というコンセプトが登場し、そして、丹下さんと前川さんが同時に「環境」という言葉を使ったことは、驚きでした。
バブルが崩壊し、情報化社会となり、アナログからデジタルへ移行した1990年代は、それまで成立させていた根拠が危うくなり、建築のスタイルはぼやけ、輪郭がなくなり、その対応として、「環境」という言葉にみんなが着目したと磯崎先生は言います。日本的、西洋的などという建築が終わり、90年代に残ったテーマは、都市や自然など周りにひろがる「環境」だったそうです。
「ECO」や「Green」という意味の「環境」というテーマが終わる日がいつかくるでしょう。次はどんなテーマになるのでしょうか。そして、1950年代はどんな時代だったのでしょうか。(おだちれいこ)

磯崎新
「栖 十二 挿画40(ルイジ・ノーノの墓)」
銅版・手彩色・アルシュ紙
イメージサイズ:15.0×10.0cm
シートサイズ:38.0×28.5cm
Ed.8(E.A.) サインあり
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3月2日、千駄ヶ谷の津田ホールで開催されたTOTO出版20周年記念講演会に、行ってきました。
TOTO出版から、磯崎新先生、杉本貴志さん、原広司さんの3人の新著が刊行され、またTOTO出版20周年記念して、磯崎先生は東京、杉本さんは福岡、原さんは仙台で講演会が開催されます。
今回は、その第一回である磯崎新先生の久しぶりの単独講演が、津田ホールで開催されました。
講演は、「『日本』がまだあった頃」というタイトル。
新著『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』(2010年、TOTO出版)の第10章に出てくるヴェネツィアの作曲家ルイジ・ノーノとの出会いから話が始まり、カルロ・スカルパが来日中に亡くなった際に、ノーノが彼に捧げた曲「無限の可能性を有した建築家、カルロ・スカルパに」(1984)が会場で流れました。私は初めて聴いたのですが、音が止まり、曲が終わったかなと思うと、再び音が流れるという、インターバルのある音楽でした。
とても印象深かったのは「環境」についての話でした。
景気や政治的なこと、文化などは、60年のサイクルで循環するという説があると言い、その説を立証させるごとく「環境」の話になりました。
ここ数年、「環境」をテーマにさまざまな分野で、環境問題・地球問題を取り入れていますが、実は、1940年代に「環境」について議論されていたと言います。
1943年のバンコクの日本文化センターの建築のコンペで、丹下健三さんは1位に、前川國男さんは2位に選ばれた際、二人のコンペ案の説明として、丹下さんは「環境秩序的」、前川さんは「環境空間的」という言葉を使ったそうです。
このときの「環境」とは、現在の「ECO」や「Green」という意味とは違い、目の前に見える周りの状況を「環境」と呼んでいたそうですが、60年近く前に、既に「環境」というコンセプトが登場し、そして、丹下さんと前川さんが同時に「環境」という言葉を使ったことは、驚きでした。
バブルが崩壊し、情報化社会となり、アナログからデジタルへ移行した1990年代は、それまで成立させていた根拠が危うくなり、建築のスタイルはぼやけ、輪郭がなくなり、その対応として、「環境」という言葉にみんなが着目したと磯崎先生は言います。日本的、西洋的などという建築が終わり、90年代に残ったテーマは、都市や自然など周りにひろがる「環境」だったそうです。
「ECO」や「Green」という意味の「環境」というテーマが終わる日がいつかくるでしょう。次はどんなテーマになるのでしょうか。そして、1950年代はどんな時代だったのでしょうか。(おだちれいこ)
磯崎新
「栖 十二 挿画40(ルイジ・ノーノの墓)」
銅版・手彩色・アルシュ紙
イメージサイズ:15.0×10.0cm
シートサイズ:38.0×28.5cm
Ed.8(E.A.) サインあり
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