弘前から帰ってきました。
街の人たちに暖かく迎えていただき、充実の二日間でした。
講演会の様子は、
地元紙の陸奥新報と、東奥日報に早速紹介していただきました。
陸奥新報~「日本一の建築博物館」綿貫さん、弘前と前川の魅力語る~

http://www.mutusinpou.co.jp/news/2010/05/11498.html
前川國男の建物を大切にする会(葛西ひろみ代表)主催の講演会「ときのわすれもの」が16日、弘前市内にある前川建築の一つ、弘前中央高校講堂で開かれた。講師は東京都在住の画商綿貫不二夫さんで「各時代の名建築がこれほどコンパクトに残るまちは日本中探してもほかにない」と弘前の魅力を語った。
綿貫さんは1945年、群馬県生まれ。版画の普及で全国を行脚し、現在はギャラリー兼美術編集事務所「ときの忘れもの」のディレクターを務める。
講演で綿貫さんは、弘前市について「江戸から明治、大正、昭和、平成と各時代の名建築が全部ある。自分は47都道府県をすべて歩いたが、弘前は日本一素晴らしい建築博物館だ」と断言。全国的に古い建物は地震や空襲で壊れたり、その後のバブル期に建て替えられたケースが多いが「弘前は大火や空襲を免れ、バブルの影響もおそらく少なかったのでは」とその背景を推測した。
また、魅力あるまちを「歩道がしっかりしていて歩きやすく、ぼうっとしていられる空間を持ち、記憶や歴史を大事にしている」と定義「前川さんはそれをよく理解していた。人が集まってくる、落ち着いた場所が後で前川建築だったと気付くことが多い。本当に素晴らしい」とたたえた。
老朽化問題について「建物には歴史や記憶が染みついている。古い建物を立て直してばかりでは落ち着きのない、記憶喪失の国になってしまう」と述べ、経費がかかっても改修が望ましいという考え方を示した。
同会では、今後も前川建築や弘前市について継続的に学ぶ計画だ。
(陸奥新報 2010年5月17日)
【写真説明】前川建築の弘前中央高校講堂で行われた講演会
東奥日報~前川建築の価値語る講演会/弘前~
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20100517140243.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f

日本近代建築の巨匠・前川國男(1905~86年)が手掛けた建物の価値を広く伝えるための講演会が16日、前川氏が設計した弘前市の弘前中央高校講堂で開かれ、市民ら約130人が文化的な価値を再確認した。
前川氏は全国で200以上の建物を設計。このうち弘前市には同校講堂、市庁舎、市民会館など8施設が現存し、今も使われている。講演会は市民らでつくる「前川國男の建物を大切にする会」(葛西ひろみ代表)が主催し、都内で画廊を経営する綿貫不二夫さんが講演した。
画商として全国を回る綿貫さんは「要因はいろいろ考えられるが、弘前に前川の建物が八つも残っているのは奇跡だ」と貴重な建物群であることを力説した。「誰かが大切なことを声高に叫び続けないと、価値は失われてしまう」と詩人・高村光太郎の言葉を紹介して、前川の建物を後世に残す必要性を訴えた。
講演会場の講堂は54年に音楽ホールとして完成。戦後間もない当時は非常にモダンで、本格的な音響設備を備えていた。
(東奥日報 2010年5月17日)
****************
二つの記事ともに記者が会場にいたらしく、私が知らぬ間に記事にされていました。直接には取材は受けていません。
陸奥新報の記事は概ね正確なのですが、東奥日報の記事は間違いがあります。
高村光太郎はそんなことは言っていません。
正確には、私は講演の最後に以下のように話しました。
最後に、私が尊敬する高村光太郎研究者の北川太一先生の言葉を紹介します。
「優れたものはほっておいても必ず評価される、なんてのは嘘です。誰かが、これは美しい、大切なものなのだと言い続けなければ、あっという間に忘れ去られ、<なかった>ことになってしまいます。」
講演会は私はせいぜい20人くらいと思っていたのですが、予想外の130人もの方が来場され、少々慌てました。
講演といっても、私は理屈なんか無理で、実際に見たものしか語れません。
全国を歩いてきて感じた<魅力ある街>に共通する要素、そして私が体験した前川建築の素晴らしさを拙い言葉でしゃべった次第です。
弘前の皆さん、ありがとうございました。
街の人たちに暖かく迎えていただき、充実の二日間でした。
講演会の様子は、
地元紙の陸奥新報と、東奥日報に早速紹介していただきました。
陸奥新報~「日本一の建築博物館」綿貫さん、弘前と前川の魅力語る~

http://www.mutusinpou.co.jp/news/2010/05/11498.html
前川國男の建物を大切にする会(葛西ひろみ代表)主催の講演会「ときのわすれもの」が16日、弘前市内にある前川建築の一つ、弘前中央高校講堂で開かれた。講師は東京都在住の画商綿貫不二夫さんで「各時代の名建築がこれほどコンパクトに残るまちは日本中探してもほかにない」と弘前の魅力を語った。
綿貫さんは1945年、群馬県生まれ。版画の普及で全国を行脚し、現在はギャラリー兼美術編集事務所「ときの忘れもの」のディレクターを務める。
講演で綿貫さんは、弘前市について「江戸から明治、大正、昭和、平成と各時代の名建築が全部ある。自分は47都道府県をすべて歩いたが、弘前は日本一素晴らしい建築博物館だ」と断言。全国的に古い建物は地震や空襲で壊れたり、その後のバブル期に建て替えられたケースが多いが「弘前は大火や空襲を免れ、バブルの影響もおそらく少なかったのでは」とその背景を推測した。
また、魅力あるまちを「歩道がしっかりしていて歩きやすく、ぼうっとしていられる空間を持ち、記憶や歴史を大事にしている」と定義「前川さんはそれをよく理解していた。人が集まってくる、落ち着いた場所が後で前川建築だったと気付くことが多い。本当に素晴らしい」とたたえた。
老朽化問題について「建物には歴史や記憶が染みついている。古い建物を立て直してばかりでは落ち着きのない、記憶喪失の国になってしまう」と述べ、経費がかかっても改修が望ましいという考え方を示した。
同会では、今後も前川建築や弘前市について継続的に学ぶ計画だ。
(陸奥新報 2010年5月17日)
【写真説明】前川建築の弘前中央高校講堂で行われた講演会東奥日報~前川建築の価値語る講演会/弘前~
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20100517140243.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f
日本近代建築の巨匠・前川國男(1905~86年)が手掛けた建物の価値を広く伝えるための講演会が16日、前川氏が設計した弘前市の弘前中央高校講堂で開かれ、市民ら約130人が文化的な価値を再確認した。
前川氏は全国で200以上の建物を設計。このうち弘前市には同校講堂、市庁舎、市民会館など8施設が現存し、今も使われている。講演会は市民らでつくる「前川國男の建物を大切にする会」(葛西ひろみ代表)が主催し、都内で画廊を経営する綿貫不二夫さんが講演した。
画商として全国を回る綿貫さんは「要因はいろいろ考えられるが、弘前に前川の建物が八つも残っているのは奇跡だ」と貴重な建物群であることを力説した。「誰かが大切なことを声高に叫び続けないと、価値は失われてしまう」と詩人・高村光太郎の言葉を紹介して、前川の建物を後世に残す必要性を訴えた。
講演会場の講堂は54年に音楽ホールとして完成。戦後間もない当時は非常にモダンで、本格的な音響設備を備えていた。
(東奥日報 2010年5月17日)
****************
二つの記事ともに記者が会場にいたらしく、私が知らぬ間に記事にされていました。直接には取材は受けていません。
陸奥新報の記事は概ね正確なのですが、東奥日報の記事は間違いがあります。
高村光太郎はそんなことは言っていません。
正確には、私は講演の最後に以下のように話しました。
最後に、私が尊敬する高村光太郎研究者の北川太一先生の言葉を紹介します。
「優れたものはほっておいても必ず評価される、なんてのは嘘です。誰かが、これは美しい、大切なものなのだと言い続けなければ、あっという間に忘れ去られ、<なかった>ことになってしまいます。」
講演会は私はせいぜい20人くらいと思っていたのですが、予想外の130人もの方が来場され、少々慌てました。
講演といっても、私は理屈なんか無理で、実際に見たものしか語れません。
全国を歩いてきて感じた<魅力ある街>に共通する要素、そして私が体験した前川建築の素晴らしさを拙い言葉でしゃべった次第です。
弘前の皆さん、ありがとうございました。
コメント