以前にも書きましたが、ホームページを見た方から値段の問合せがたえません。
ホームページに掲載されている作品の価格と、ご自分がお持ちの作品の買取価格についての問合せが主ですが、電話の場合は概ねパターンが一定しています。
ほとんどの方が名乗らず「おたくは●◆●◆の作品を買い取ってくれるのか」といきなり聞いてこられる。
亭主「買取はしていますが・・・・」
お客「いくらで買ってくれるのか」
亭主「実物を拝見しないと値段は踏めません」
お客「だいたいでいいから教えてくれ」
亭主「実物も、ましてやコンディションも見ないで値段を言うのは無理です」
ここで、ガチャンと電話が切られる(トホホ)。
血の気の多い亭主はこれで一日不機嫌になる(迷惑するのは八つ当たりされるスタッフたち)。
でも最近歳とったせいか、あまり怒らなくなりました。ご自分の名前を名乗らないというのは、もしかしたら我々美術業界に対して世間様が抱いている「うさんくささ」の反映なのかなと思うようになりました(亭主も成長したもんだ)。
なにもとって食おうというわけじゃあなし、どうぞお問合せはお気軽に。
先日、お名前はもちろん、ご住所も、電話番号まできちんと記入されての問合せのメールをいただきました。
かなり珍しいお名前の方からでした。
仮にXさんとしておきましょう。
「(ホームページで)瑛九について読まさせて頂きました。
姉の遺品の中から、瑛九 水彩、オノサト トシノブ 版画等が出てきました。
私は絵画に興味ありません。
どうすれば良いでしょうか、教えてください。」
Xさんという非常に珍しいお名前、そして瑛九とオノサト・トシノブ。
ぴんときました。
最近物忘れの多い亭主ですが、ン十年前のある女性のお客様の名前が記憶の底から浮かび上がってきました。
普段、亭主は問合せへの返事はメールまたは手紙で行ない、電話をかけることなどは相手のご迷惑を考え、ほとんどしたことなどないのですが、今回ばかりは電話をかけさせていただきました。
亭主「もしかしたら、お姉さまのお名前は●●子さんとおっしゃいませんでしたか」
Xさん 電話口で一瞬絶句(したらしい)「そうです。なぜ姉の名をご存知なのですか」
亭主「30数年前、私は現代版画センターを主宰しており、3000人ほど会員の方がいらしたのですが、その中にX●●子さんがいらっしゃいました」
数日後、Xさんはお姉さまが集めた瑛九、オノサト、磯辺行久、堀内正和などの作品を車に積んでときの忘れものまで訪ねてきてくださいました。
亭主が売った作品たちとの30数年ぶりの再会でした。
あの当時、女性がこれら前衛作家たちをコレクションするなんて一般には考えられないことでした。ご想像の通り、自立した職業を持つ女性だけがなし得るコレクションでした。
X●●子さんもそうでした。亭主と社長はそういう先輩たちに支えられて今日があるのだとあらためて当時の会員の皆さんに感謝せずにはいられません。
もちろん、全点を買い取りました。
嬉しい一日でした。
急遽、今回のセールにも一部を出品させていただきました。


左は22)瑛九「作品」水彩
右は23)磯辺行久「ワッペン」水彩
こうして2点並べてみると、両者の交流というか交感がよくわかります。
磯辺さんは瑛九の周囲に集まった若者の中で、池田満寿夫と靉嘔とともに三羽烏と言われた俊才でした。
さて今回の「The Gift ~あなたへ、わたしへ」には、ときの忘れものには珍しい作家を出品しています。
赤松麟作とエレーヌ・ド・ボーヴォワールです。

左は14)赤松麟作「さくらんぼ」
油彩・キャンバス 20×27cm サインなし
右は20)エレーヌ・ド・ヴォーヴォワール「作品」
油彩・紙 50×50cm サインあり
赤松麟作の名を知る人は相当の美術通です。
1878(明治11)年岡山県に生まれ、東京美術学校を卒業。白馬会展に「夜汽車」を出品し注目される。大阪朝日新聞で大正4年まで挿絵を担当。明治43年赤松洋画研究所を開設し、のち関西女子美術学校、大阪市立美術研究所の教授をつとめ多くの後進を育てた洋画家です。佐伯祐三もその一人です。1953(昭和28)年死去。75歳でした。
むしろ今の若い世代には、労働省婦人局長時代に男女雇用機会均等法制定に尽力し、のち細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めた赤松良子さんの父君といった方がいいかも知れません。
赤松良子さんは、女性として日本の高級官僚のパイオニアといっていいでしょう。筆名は青杉優子。在ウルグアイ大使なども歴任し外交官としても活躍されています。
エレーヌ・ド・ヴォーヴォワール(1910-2001 Hélène de Beauvoir)の名を知る人もこれまた少ないでしょうね。1968年と1970年には、京橋の南天子画廊で個展を開催しています。
あのシモーヌ・ド・ヴォーヴォワール(1908-1986)の妹さんといえばうなづく方も多いでしょう。シモーヌは代表作『第二の性』が有名ですが、サルトルの実存主義に加担するとともに、文字通りフェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った女性哲学者のパイオニアでした。
姉の高名に対して、妹のエレーヌさんは日本で個展も開催しているのに、日本語の文献は非常に少なく、今回もいろいろ探したのですが、みつかりませんでした。
しかし、画家として世界各地で活躍、個展も開いており、海外のサイトにはたくさん出てきますので、語学に強い方はぜひご覧ください。
http://www.claudinemonteil.com/
http://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%A9l%C3%A8ne_de_Beauvoir
http://www.helenedebeauvoir.com/pageID_3294191.html
http://www.claudinemonteil.com/helene-de-beauvoir/
http://www.claudinemonteil.com/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/expo-peinture-helene-de-beauvoir.pdf
http://www.artnet.com/artist/574376/helene-de-beauvoir.html
http://www.hammergalerie.de/index.php?option=com_content&view=section&layout=blog&id=12&Itemid=61
実はこの赤松麟作とエレーヌ・ド・ヴォーヴォワールの2点、旧蔵者は同じ方です。
二人の絵と経歴を見て、何かドラマを感じませんか。
もし「この絵はどこかで見た覚えがある」と思ったら、あなたは相当の●●好きです。
価格もどなたでも買える超廉価にもかかわらず、今のところどなたからも問合せがありません。有名無名にとらわれず、この絵から何かを感じとったらぜひコレクションに加えてください。
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ホームページに掲載されている作品の価格と、ご自分がお持ちの作品の買取価格についての問合せが主ですが、電話の場合は概ねパターンが一定しています。
ほとんどの方が名乗らず「おたくは●◆●◆の作品を買い取ってくれるのか」といきなり聞いてこられる。
亭主「買取はしていますが・・・・」
お客「いくらで買ってくれるのか」
亭主「実物を拝見しないと値段は踏めません」
お客「だいたいでいいから教えてくれ」
亭主「実物も、ましてやコンディションも見ないで値段を言うのは無理です」
ここで、ガチャンと電話が切られる(トホホ)。
血の気の多い亭主はこれで一日不機嫌になる(迷惑するのは八つ当たりされるスタッフたち)。
でも最近歳とったせいか、あまり怒らなくなりました。ご自分の名前を名乗らないというのは、もしかしたら我々美術業界に対して世間様が抱いている「うさんくささ」の反映なのかなと思うようになりました(亭主も成長したもんだ)。
なにもとって食おうというわけじゃあなし、どうぞお問合せはお気軽に。
先日、お名前はもちろん、ご住所も、電話番号まできちんと記入されての問合せのメールをいただきました。
かなり珍しいお名前の方からでした。
仮にXさんとしておきましょう。
「(ホームページで)瑛九について読まさせて頂きました。
姉の遺品の中から、瑛九 水彩、オノサト トシノブ 版画等が出てきました。
私は絵画に興味ありません。
どうすれば良いでしょうか、教えてください。」
Xさんという非常に珍しいお名前、そして瑛九とオノサト・トシノブ。
ぴんときました。
最近物忘れの多い亭主ですが、ン十年前のある女性のお客様の名前が記憶の底から浮かび上がってきました。
普段、亭主は問合せへの返事はメールまたは手紙で行ない、電話をかけることなどは相手のご迷惑を考え、ほとんどしたことなどないのですが、今回ばかりは電話をかけさせていただきました。
亭主「もしかしたら、お姉さまのお名前は●●子さんとおっしゃいませんでしたか」
Xさん 電話口で一瞬絶句(したらしい)「そうです。なぜ姉の名をご存知なのですか」
亭主「30数年前、私は現代版画センターを主宰しており、3000人ほど会員の方がいらしたのですが、その中にX●●子さんがいらっしゃいました」
数日後、Xさんはお姉さまが集めた瑛九、オノサト、磯辺行久、堀内正和などの作品を車に積んでときの忘れものまで訪ねてきてくださいました。
亭主が売った作品たちとの30数年ぶりの再会でした。
あの当時、女性がこれら前衛作家たちをコレクションするなんて一般には考えられないことでした。ご想像の通り、自立した職業を持つ女性だけがなし得るコレクションでした。
X●●子さんもそうでした。亭主と社長はそういう先輩たちに支えられて今日があるのだとあらためて当時の会員の皆さんに感謝せずにはいられません。
もちろん、全点を買い取りました。
嬉しい一日でした。
急遽、今回のセールにも一部を出品させていただきました。


左は22)瑛九「作品」水彩
右は23)磯辺行久「ワッペン」水彩
こうして2点並べてみると、両者の交流というか交感がよくわかります。
磯辺さんは瑛九の周囲に集まった若者の中で、池田満寿夫と靉嘔とともに三羽烏と言われた俊才でした。
さて今回の「The Gift ~あなたへ、わたしへ」には、ときの忘れものには珍しい作家を出品しています。
赤松麟作とエレーヌ・ド・ボーヴォワールです。

左は14)赤松麟作「さくらんぼ」油彩・キャンバス 20×27cm サインなし
右は20)エレーヌ・ド・ヴォーヴォワール「作品」
油彩・紙 50×50cm サインあり
赤松麟作の名を知る人は相当の美術通です。
1878(明治11)年岡山県に生まれ、東京美術学校を卒業。白馬会展に「夜汽車」を出品し注目される。大阪朝日新聞で大正4年まで挿絵を担当。明治43年赤松洋画研究所を開設し、のち関西女子美術学校、大阪市立美術研究所の教授をつとめ多くの後進を育てた洋画家です。佐伯祐三もその一人です。1953(昭和28)年死去。75歳でした。
むしろ今の若い世代には、労働省婦人局長時代に男女雇用機会均等法制定に尽力し、のち細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めた赤松良子さんの父君といった方がいいかも知れません。
赤松良子さんは、女性として日本の高級官僚のパイオニアといっていいでしょう。筆名は青杉優子。在ウルグアイ大使なども歴任し外交官としても活躍されています。
エレーヌ・ド・ヴォーヴォワール(1910-2001 Hélène de Beauvoir)の名を知る人もこれまた少ないでしょうね。1968年と1970年には、京橋の南天子画廊で個展を開催しています。
あのシモーヌ・ド・ヴォーヴォワール(1908-1986)の妹さんといえばうなづく方も多いでしょう。シモーヌは代表作『第二の性』が有名ですが、サルトルの実存主義に加担するとともに、文字通りフェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った女性哲学者のパイオニアでした。
姉の高名に対して、妹のエレーヌさんは日本で個展も開催しているのに、日本語の文献は非常に少なく、今回もいろいろ探したのですが、みつかりませんでした。しかし、画家として世界各地で活躍、個展も開いており、海外のサイトにはたくさん出てきますので、語学に強い方はぜひご覧ください。
http://www.claudinemonteil.com/
http://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%A9l%C3%A8ne_de_Beauvoir
http://www.helenedebeauvoir.com/pageID_3294191.html
http://www.claudinemonteil.com/helene-de-beauvoir/
http://www.claudinemonteil.com/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/expo-peinture-helene-de-beauvoir.pdf
http://www.artnet.com/artist/574376/helene-de-beauvoir.html
http://www.hammergalerie.de/index.php?option=com_content&view=section&layout=blog&id=12&Itemid=61
実はこの赤松麟作とエレーヌ・ド・ヴォーヴォワールの2点、旧蔵者は同じ方です。
二人の絵と経歴を見て、何かドラマを感じませんか。
もし「この絵はどこかで見た覚えがある」と思ったら、あなたは相当の●●好きです。
価格もどなたでも買える超廉価にもかかわらず、今のところどなたからも問合せがありません。有名無名にとらわれず、この絵から何かを感じとったらぜひコレクションに加えてください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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