建築家の磯崎新先生は1977年以来、継続的に版画制作に取り組んでこられましたが、最初期の「ヴィッラ」シリーズに続いて発表したのが1982年の「還元」シリーズ12点でした。
この発表(奈良・西田画廊開廊記念展)のとき、版元の亭主の依頼で磯崎新先生は珍しく「版画」についてのかなり整理された発言をなさっています。
なぜ建築家は版画をつくるのか。
下記の論考は単行本にも収録されていないので、「還元」シリーズとともにご紹介しましょう。
■版画としての建築 磯崎 新
はじめて版画をつくったのは1977年で、もちろん版画センターのすすめによるものだ。建築家の私に版画をつくらせるなど、どこで思いついたのか、つい聞きそびれてしまったが、それ以来深入りしてしまいつつある。
有難かったのは、サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に突然えらばれながら、どういうメディアで表現しようか、と迷っていたときのことだ。綿貫さんが、それも版画でやったらどうですか、とすすめてくれた。だが、大きい展覧会だから作品も大きくなりますよ、というと、いいですよ、世界最大の版画にしたらいい、と平然たるものだった。必ずしも彼に成算あってのことだったとも見うけなかったが、その気迫にたよって、立体と組合わさった版画ができた。とにかくばかでかく、こんなあほらしく手のかかる仕事はめったに手がける人はいないだろう。
昨年の春、ニューヨークを訪れた。ハーバード大学に教えにいった帰りであったが、友人にあうと、展覧会のためにやってきたのだね、という。誰のかい、と問いただすと、君のだよ、と返事がくる。おかしいね、そんな話は聞いてないけど誰かが勝手に企画したのだな、レオ・カステリ画廊で何ヶ月か前に鉛レリーフのマルティプルを展示したし、ローザ・エスマン画廊でも似たものを扱って、ハーバードのガント・ホールに展示されている。それ以外の作品は送ったことがないのだが。
しかし事実としてスペイスド画廊というところで『アラタ・イソザキ他』展がひらかれていた。他というのは、フランク・ロイド・ライトとポール・ルドルフで、ライトのはワスムース版のオリジナルの一部、ルドルフは一連のオリジナル・ドローイングだった。私のは、はじめてつくった版画のヴィッラ・シリーズの7点全部で、思いがけない場所で邂逅することになった。
いきさつは、日本に来た外国の建築家がこの版画をもとめて、ニューヨークに運んだもののようで、版画が勝手に流通しているわけだから、作者の知らぬところにでまわるのは当然ともいえる。
この展覧会には、もういちど驚かされた。一ヶ月あまりして、ニューヨークにもどってある朝ニューヨーク・タイムズを開いてみると、でかでかとこの版画の写真がのっているではないか。三点並んでいる。そして全頁がこの展覧会、そして私のヴィッラ・シリーズについやされている。
ニューヨーク・タイムズの批評欄はきびしいことで有名で、私の記憶でも、たとえばフランク・ステラの雲形定規シリーズがはじめてあらわれたエポックメーキングな展覧会でも、せいぜい二段で写真なしというぐらいだから、小さい展覧会で一頁をさくのは異例のことかも知れない。後で聞くとこの記事以後、画廊は超満員だったということだ。
この事件、誰が仕組んだというわけでもないが、原因は、版画センターが石田さんの刷りで私の住宅作品のプリントをつくってくれていたせいで、まずはこの人達に感謝せねばならない。
今度発表する12点の作品は、過去10年間に私が設計した住宅以外の仕事の全部を版画にしたものである。いくつかのタイプに分類できるが、いずれもその建築の基本コンセプトを抽象化し、視覚化してある。実際にできた建築は三次元的な存在だし、内部に空間をかかえこんでいるから、その見えかたも体験のしかたも違っている。しかし、それが構想されるときには、手がかりとなるひとつの形式を導入せねばならない。版画で表現しようとしているのは、その部分である。だから、建築が、建築家の手からうまれでていくその瞬間のイメージの視覚化といっていい。それと同時に、建築家が自分の仕事をもういちど解釈しなおそうとしている部分もある。こんな狭間を感じとってもらえると、作者として何より心強い。(いそざき あらた)
*『堀内正和・磯崎新展ー西田画廊開廊記念展図録』所収(1982年 奈良・西田画廊刊)
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磯崎新の「還元」シリーズ12点
磯崎新「OFFICE Ⅰ(BANK)」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LECTURE HALL -Ⅰ」
1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「MUSEUM -Ⅰ」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「MUSEUM -Ⅱ」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LIBRARY」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CLUB HOUSE」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「OFFICE -Ⅱ」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CONVENTION CENTER」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「TOWN HALL」
1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LECTURE HALL -Ⅱ」
1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「GYMNASIUM」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CLINIC」
1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
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左)「空洞としての美術館Ⅰ」
1977年 シルクスクリーン+ドローイング+立体(キャンバス) 119×480cm Ed.5
右)「空洞としての美術館Ⅱ」
1977年 シルクスクリーン+ドローイング+立体(キャンバス) 119×360cm Ed.5
刷りは2点ともに石田了一
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年1月15日[土]―1月29日[土]の会期で「没後20年 孤高のモダニスト福田勝治写真展」を開催します(※会期中無休)。

福田勝治は、1899年山口県に生まれ、昭和を通して活躍した写真家です。今年2011年が没後20年にあたります。ときの忘れものでは、新春の特別企画として、代表作《心の小窓》《光りの貝殻》《静物》の3点と、1955年にイタリアで撮影された作品15点(未発表)の計18点を展観し、福田勝治の作品と、その功績をあらためて顕彰し、ご紹介いたします。
ホームページに出品リスト、及び価格表を掲載しましたのでご覧ください。
この発表(奈良・西田画廊開廊記念展)のとき、版元の亭主の依頼で磯崎新先生は珍しく「版画」についてのかなり整理された発言をなさっています。
なぜ建築家は版画をつくるのか。
下記の論考は単行本にも収録されていないので、「還元」シリーズとともにご紹介しましょう。
■版画としての建築 磯崎 新
はじめて版画をつくったのは1977年で、もちろん版画センターのすすめによるものだ。建築家の私に版画をつくらせるなど、どこで思いついたのか、つい聞きそびれてしまったが、それ以来深入りしてしまいつつある。
有難かったのは、サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に突然えらばれながら、どういうメディアで表現しようか、と迷っていたときのことだ。綿貫さんが、それも版画でやったらどうですか、とすすめてくれた。だが、大きい展覧会だから作品も大きくなりますよ、というと、いいですよ、世界最大の版画にしたらいい、と平然たるものだった。必ずしも彼に成算あってのことだったとも見うけなかったが、その気迫にたよって、立体と組合わさった版画ができた。とにかくばかでかく、こんなあほらしく手のかかる仕事はめったに手がける人はいないだろう。
昨年の春、ニューヨークを訪れた。ハーバード大学に教えにいった帰りであったが、友人にあうと、展覧会のためにやってきたのだね、という。誰のかい、と問いただすと、君のだよ、と返事がくる。おかしいね、そんな話は聞いてないけど誰かが勝手に企画したのだな、レオ・カステリ画廊で何ヶ月か前に鉛レリーフのマルティプルを展示したし、ローザ・エスマン画廊でも似たものを扱って、ハーバードのガント・ホールに展示されている。それ以外の作品は送ったことがないのだが。
しかし事実としてスペイスド画廊というところで『アラタ・イソザキ他』展がひらかれていた。他というのは、フランク・ロイド・ライトとポール・ルドルフで、ライトのはワスムース版のオリジナルの一部、ルドルフは一連のオリジナル・ドローイングだった。私のは、はじめてつくった版画のヴィッラ・シリーズの7点全部で、思いがけない場所で邂逅することになった。
いきさつは、日本に来た外国の建築家がこの版画をもとめて、ニューヨークに運んだもののようで、版画が勝手に流通しているわけだから、作者の知らぬところにでまわるのは当然ともいえる。
この展覧会には、もういちど驚かされた。一ヶ月あまりして、ニューヨークにもどってある朝ニューヨーク・タイムズを開いてみると、でかでかとこの版画の写真がのっているではないか。三点並んでいる。そして全頁がこの展覧会、そして私のヴィッラ・シリーズについやされている。
ニューヨーク・タイムズの批評欄はきびしいことで有名で、私の記憶でも、たとえばフランク・ステラの雲形定規シリーズがはじめてあらわれたエポックメーキングな展覧会でも、せいぜい二段で写真なしというぐらいだから、小さい展覧会で一頁をさくのは異例のことかも知れない。後で聞くとこの記事以後、画廊は超満員だったということだ。
この事件、誰が仕組んだというわけでもないが、原因は、版画センターが石田さんの刷りで私の住宅作品のプリントをつくってくれていたせいで、まずはこの人達に感謝せねばならない。
今度発表する12点の作品は、過去10年間に私が設計した住宅以外の仕事の全部を版画にしたものである。いくつかのタイプに分類できるが、いずれもその建築の基本コンセプトを抽象化し、視覚化してある。実際にできた建築は三次元的な存在だし、内部に空間をかかえこんでいるから、その見えかたも体験のしかたも違っている。しかし、それが構想されるときには、手がかりとなるひとつの形式を導入せねばならない。版画で表現しようとしているのは、その部分である。だから、建築が、建築家の手からうまれでていくその瞬間のイメージの視覚化といっていい。それと同時に、建築家が自分の仕事をもういちど解釈しなおそうとしている部分もある。こんな狭間を感じとってもらえると、作者として何より心強い。(いそざき あらた)
*『堀内正和・磯崎新展ー西田画廊開廊記念展図録』所収(1982年 奈良・西田画廊刊)
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磯崎新の「還元」シリーズ12点
磯崎新「OFFICE Ⅰ(BANK)」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LECTURE HALL -Ⅰ」1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「MUSEUM -Ⅰ」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「MUSEUM -Ⅱ」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LIBRARY」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CLUB HOUSE」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「OFFICE -Ⅱ」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CONVENTION CENTER」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「TOWN HALL」1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「LECTURE HALL -Ⅱ」1982年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「GYMNASIUM」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
磯崎新「CLINIC」1983年 シルクスクリーン
55.0×55.0cm Ed. 75
サインあり
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左)「空洞としての美術館Ⅰ」
1977年 シルクスクリーン+ドローイング+立体(キャンバス) 119×480cm Ed.5
右)「空洞としての美術館Ⅱ」
1977年 シルクスクリーン+ドローイング+立体(キャンバス) 119×360cm Ed.5
刷りは2点ともに石田了一
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年1月15日[土]―1月29日[土]の会期で「没後20年 孤高のモダニスト福田勝治写真展」を開催します(※会期中無休)。

福田勝治は、1899年山口県に生まれ、昭和を通して活躍した写真家です。今年2011年が没後20年にあたります。ときの忘れものでは、新春の特別企画として、代表作《心の小窓》《光りの貝殻》《静物》の3点と、1955年にイタリアで撮影された作品15点(未発表)の計18点を展観し、福田勝治の作品と、その功績をあらためて顕彰し、ご紹介いたします。
ホームページに出品リスト、及び価格表を掲載しましたのでご覧ください。
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