第5回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング口上(つづき) 原茂
林和美さんの『ゆびさき』は、実に興味深い(!)形で紹介されたことがあります。
「エスクァイア日本版」2003年7月号臨時増刊『ルカ』No.3の特集「アートなお仕事、アートな生き方」の中で「人気アートブック店スタッフによる、今最も重要な女性カメラマン写真集6冊」(!)の中の一冊として
「『ゆびさき』 林和美(青幻社)¥2.300/夢で出会ったことがあるような、マシュマロみたいに柔らかで、霧のかかったモノクロ世界」
と紹介されたのです。お名前が「和美」なので「女性カメラマン」だと思われたのでしょうか。けれども、そのセレクトにあたったのが、これ以上はないほどの写真の目利きである「PROGETTO」と「Shelf」だったりするわけですから、それが単純な間違いということは考えられません。もしそれが間違いだったとしても、それは、名前のためではなく、写真そのもののためであると言わざるをえないのです。
しかも、そこにあげられている残りの5冊というのが
『THE SIGN OF LIFE』清野賀子(オシリス)
『Mother's』石内都(蒼穹社)
『鳥を見る』野口里佳(P3)
『Day Light』MOTOKO(Pie Books)
『How to Make a Pearl』オノデラユキ(Nazraeli Press)
というわけですから、林和美がどのような写真家として評価されているかがわかります。
その作品が女性写真家の作品と間違われる、そこに写真家林和美の資質と魅力があるように思うのです。同じページには、飯沢耕太郎さんの「飯沢耕太郎さんが語る、女性写真家たちが伝えてくれたこと」という談話が掲載されているのですが、そこには「瞬間を決定的にねらい撃つんじゃなくて、カメラが体から離れて空中を浮遊するような視点、そういう感覚は女性写真家の方が積極的に取り入れやすいところがある。ウェブでの環境を含めて、今後新しい動きが出てくると思います」とのコメントがありました。
また、飯沢さんは、近著の『「女の子写真」の時代』(NTT出版、2010年)の最終章「写真における男性原理と女性原理」で宮迫千鶴の『《女性原理》と「写真」』(国文社、1984年)を引用しながら、「男性原理的な写真と女性原理的な写真が融合した、両性具有的な写真の可能性」について語っておられますが、私としてはそこに極めて近い場所に林和美さんの作品があるように思っています。
「柔らかに世界を横断し、さまざまな奇跡的な出来事と出会い、それらをたがいに結びつけていく、『女の子写真』の眼差しのあり方が、いまこそ求められているのではないだろうか。肩肘を張り、高みから見下ろすのではなく、そっと、でも勇気を持って腕を伸ばし、指先に触れてくる手触りを信じること、写真に限らず、この先が見えないカオスの時代を生き抜くための表現は、そこからしかはじまらないはずだ」(『「女の子写真」の時代』205頁)とのコメントは、まさに『ゆびさき』や『装丁写真』にふさわしいものだと言ったら飯沢さんに怒られるでしょうか。『ゆびさき』とのタイトルに「やられた」と思った理由の一端がなんとなく分かったような気がしたことです。
皆様のビューイングへのご参加を心からお待ちいたしております。
◆本日開催する「第5回写真を買おう!!ときの忘れものフォトビューイング」は、休日ということもあってか、まだ席に余裕がありますので、ぜひご参加ください。
上掲の口上を述べたコレクターの原茂さんが写真をコレクションする楽しみを語ると同時に、今回はゲストに大阪と東京でギャラリーNADARを主宰し、写真家として創作活動を続ける林和美さんをお招きし、作品を作家自身のトークとともに御覧いただきます。
日時:2011年2月11日(金)17時00分~18時00分
ゲスト:林 和美
参加費:1,000円/参加ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さい。
Tel.03-3470-2631/Mail.info@tokinowasuremono.com
林和美さんの『ゆびさき』は、実に興味深い(!)形で紹介されたことがあります。
「エスクァイア日本版」2003年7月号臨時増刊『ルカ』No.3の特集「アートなお仕事、アートな生き方」の中で「人気アートブック店スタッフによる、今最も重要な女性カメラマン写真集6冊」(!)の中の一冊として
「『ゆびさき』 林和美(青幻社)¥2.300/夢で出会ったことがあるような、マシュマロみたいに柔らかで、霧のかかったモノクロ世界」
と紹介されたのです。お名前が「和美」なので「女性カメラマン」だと思われたのでしょうか。けれども、そのセレクトにあたったのが、これ以上はないほどの写真の目利きである「PROGETTO」と「Shelf」だったりするわけですから、それが単純な間違いということは考えられません。もしそれが間違いだったとしても、それは、名前のためではなく、写真そのもののためであると言わざるをえないのです。
しかも、そこにあげられている残りの5冊というのが
『THE SIGN OF LIFE』清野賀子(オシリス)
『Mother's』石内都(蒼穹社)
『鳥を見る』野口里佳(P3)
『Day Light』MOTOKO(Pie Books)
『How to Make a Pearl』オノデラユキ(Nazraeli Press)
というわけですから、林和美がどのような写真家として評価されているかがわかります。
その作品が女性写真家の作品と間違われる、そこに写真家林和美の資質と魅力があるように思うのです。同じページには、飯沢耕太郎さんの「飯沢耕太郎さんが語る、女性写真家たちが伝えてくれたこと」という談話が掲載されているのですが、そこには「瞬間を決定的にねらい撃つんじゃなくて、カメラが体から離れて空中を浮遊するような視点、そういう感覚は女性写真家の方が積極的に取り入れやすいところがある。ウェブでの環境を含めて、今後新しい動きが出てくると思います」とのコメントがありました。
また、飯沢さんは、近著の『「女の子写真」の時代』(NTT出版、2010年)の最終章「写真における男性原理と女性原理」で宮迫千鶴の『《女性原理》と「写真」』(国文社、1984年)を引用しながら、「男性原理的な写真と女性原理的な写真が融合した、両性具有的な写真の可能性」について語っておられますが、私としてはそこに極めて近い場所に林和美さんの作品があるように思っています。
「柔らかに世界を横断し、さまざまな奇跡的な出来事と出会い、それらをたがいに結びつけていく、『女の子写真』の眼差しのあり方が、いまこそ求められているのではないだろうか。肩肘を張り、高みから見下ろすのではなく、そっと、でも勇気を持って腕を伸ばし、指先に触れてくる手触りを信じること、写真に限らず、この先が見えないカオスの時代を生き抜くための表現は、そこからしかはじまらないはずだ」(『「女の子写真」の時代』205頁)とのコメントは、まさに『ゆびさき』や『装丁写真』にふさわしいものだと言ったら飯沢さんに怒られるでしょうか。『ゆびさき』とのタイトルに「やられた」と思った理由の一端がなんとなく分かったような気がしたことです。
皆様のビューイングへのご参加を心からお待ちいたしております。
◆本日開催する「第5回写真を買おう!!ときの忘れものフォトビューイング」は、休日ということもあってか、まだ席に余裕がありますので、ぜひご参加ください。
上掲の口上を述べたコレクターの原茂さんが写真をコレクションする楽しみを語ると同時に、今回はゲストに大阪と東京でギャラリーNADARを主宰し、写真家として創作活動を続ける林和美さんをお招きし、作品を作家自身のトークとともに御覧いただきます。
日時:2011年2月11日(金)17時00分~18時00分
ゲスト:林 和美
参加費:1,000円/参加ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さい。
Tel.03-3470-2631/Mail.info@tokinowasuremono.com
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