尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第5回 室内の砂丘


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 今、私たちの目前に広がるのは、砂に押し流され漂流しているようなコルマンスコップの街だ。近くに水源はなく異常に乾燥している。一番近いルーデリッツの街から、月面のような世界を車で飛ばして20分、途中出会う車は鉱山労働者を満載したダイアモンド会社のバスくらいだ。
 私たちは道が埋まってしまった砂丘で車を降り、砂の中をどんどん歩いて、大きな病院の廃墟に入る。砂に埋もれた便器が不気味に並んでいる。長い廊下の両側には病室が並び、壊れた窓から砂がなだれ込んでいる。剥がれ落ちた天井には断熱用のアスベストがめくれ、壁には外れかけた古い配電盤がぶら下がっている。
 廊下の突き当たりの扉を開けて外へ出ると強い日差しで目がくらみそうだ。砂に足を奪われながら進むと、ここから続く家々にも割れたガラス窓から大量の砂が侵入している。
 行き場を失ったバスタブやストーブが砂に押されて室内を漂流しているらしい。明らかに昨年とも、一昨年とも場所がずれている。幾重にも繰り型が彫られた優雅な扉は砂に埋まって動かない。よく見ると、室内の壁には淡いペイントの色や繊細な模様が残っていた。
 これらのインテリアの基調を成しているのは、モダニズムの一世代前に風靡した分離派とかゼツェシオンといわれる様式をもとに作られた優雅なものだ。もともとは19世紀末にウィーンやドイツにおいて、先進的な芸術家たちが、人間の心の内面を表現しようと追求して生まれたデザインだ。
本来、このようなドイツ風の家は、本国では緑豊かな森に囲まれて建っているはずだ。しかし、このアフリカのドイツは、ある日突然、月面に漂流してしまったかような姿を見せている。
 毎日吹き付ける強風が、室内に堆積した砂山に美しい風紋を描いていた。撮影している最中も室内を砂が駆け抜ける。風紋だけを見ているとナミブ砂漠のものと変わりはない。同じ風紋を砂漠で見るのか、家族が暮らしていた室内で見るのか。
(おがた いちろう)

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◆2011年5月30日[月]―6月11日[土]に銀座・ギャラリーせいほうと青山・ときの忘れものの2会場で「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優 写真展」を同時開催します。