昨日のブログを読んで建築家・宇野友明さんのホームページをご覧になったHさんがメールをくださいました。
<昨夜更新されたブログを拝見しました。
宇野友明さんの住宅驚きましたね。
「階段が巧い」と絶賛されていましたが、全くその通り。
光の取り込み方(演出)も絶妙でしたね。情報ありがとうございました。>

さて、三日目を迎える「ル・コルビュジエ展」ですが、ときの忘れものにしては珍しく大入り満員で、これまた珍しく売れています。
俗にニッパチといわれ、貧乏画廊にとっては酷暑以上に厳しい月末(夏休みがあったからとて月末は来る、家賃も給料もゼ~ンブ同じ)を控え、まさに干天の慈雨のごとき有難い売上げであります。

ちょっと気持ちに余裕が出たところで(画商というのはかくも単細胞でして、売れたといっては狂喜し、売れなかったといってはこの世も末と嘆く)、夏休みに行きたい美術館をご紹介しましょう。
先日軽井沢の脇田和美術館と、群馬県谷川の天一美術館をご紹介しましたが、3館目は滋賀県の佐川美術館。
実は、亭主はまだこの美術館には行っていません。
噂には聞いているのですが、なかなか行く機会がありません。
行ったことのない美術館をお薦めするのもなんですが、これは亭主の大好きなセガンティーニの展覧会を開催しているからです。
311の震災の影響で、損保ジャパン東郷青児美術館での展覧会が中止になったことはこのブログでも書きましたが、嬉しいことに西の佐川美術館で開催されています。

アルプスの画家 セガンティーニ -光と山-
会期=2011年7月16日(土)~2011年8月21日(日)
会場=佐川美術館
〒524-0102滋賀県守山市水保町北川2891
Phone:/077-585-7800
 ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858年-99年)は、アルプスの山々に魅せられその風景を描いた画家として知られています。故郷イタリアで活動した初期には、フランスの画家ミレー譲りのスタイルで農民生活などを題材としました。その後、スイスアルプスに魅せられ、澄んだ光の、より高い山地に転居しながら、雄大なアルプスを舞台にした作品に取り組みます。次代の前衛美術に影響をあたえた新印象派風の明るく細かいタッチの色彩技法もこのころ確立しました。さらに晩年には、母性・生・死などのテーマで象徴主義の代表作家となります。セガンティーニの描く明るく清澄な空気と素朴で美しい自然、またそのなかに住む実直な人々や動物たちは、見る人の心を清々しい気持ちにさせてくれます。
 本展は、ミラノでの初期の古典主義的な画風から、独特の分割技法を確立し、さらには象徴主義へと移行していった画家の全貌を紹介するもので、日本でまとまったかたちで紹介されることがほとんどなく回顧展が行われたのは33年も前のことです。そして彼の41年という短い生涯で残された作品は非常に少ないなか、約60点を展覧するとても希少なものです。是非、この機会にお楽しみください。(同館HPより)

201104セガンティーニ展
左は、中止になった損保ジャパン東郷青児美術館のチラシ。

佐川美術館のあとは静岡市美術館に巡回します。
会期:2011年9月3日(土)~10月23日(日)

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行ったことのない美術館をお薦めするだけでは申し訳ないので、ジョヴァンニ・セガンティーニに関係する三つの美術館について書きましょう。
いずれも亭主が実際に訪れたことのある美術館です。
大原美術館碌山美術館セガンティーニ美術館です。

亭主がジョヴァンニ・セガンティーニの名を知り絵を初めて見たのは岡山県倉敷の大原美術館でした。
20代のはじめ、まさか画商なんていう仕事につくなどとは夢にも思っていなかった頃、1970年前後はまだ美術館自体がいまほどあちこちに建ってはいませんでした。
セガンティーニ「アルプスの真昼」
大原美術館本館の階段を上がり主展示場に入った直ぐ右の壁にその絵はありました。見たことのない絵でした。
「アルプスの真昼」の前に立ったときの感動を今でもありありと思い出します。高原の冷涼な空気をこれほど見事に描いた絵を他に知りません。
亭主の育った高原地帯は、夏の日差しの暑いときでも空気は乾燥し、日陰に入れば涼風が頬を静かになぶってくれる。何より空気の透明さが都会にはないものでした。
この絵は大原孫三郎のために児島虎次郎が1922(大正11)年3度目の渡欧の折りに購入したものですが、この1点を選んだだけで、児島の審美眼の高さに尊敬と感謝の念を抱かずにはおられません。
「アルプスの真昼」にすっかり参ってしまった亭主はいろいろ調べたのですが、セガンティーニの絵は大原以外には見られないのでした。
伊東静雄が詩にまでうたった画家は戦前日本にも大きな影響を与えたようなのですが、彼を賛美した人たちが日本浪漫派に連なる人だったことのせいか戦後は黙殺、無視の状態が続いていたようです。

偶然、セガンティーニの名を見つけたのは、信州穂高にある碌山美術館ででした。
碌山美術館中学校の庭の片隅に建つこの小さな美術館を初めて訪れたのは1970年代のはじめでした。今は本館の他に、杜江館、第一展示棟、第二展示棟と四つも立派な建物がありますが、当時は今井兼次設計による教会風の碌山館と、木造の小さな別館があっただけでした。
観光客もそれほど多くはなく、今は知りませんが本館のカードケースの中を自由に閲覧できるような閑散ぶりでした。
別館の壁に小さな額に入った石造りの教会風の建物の写真が飾ってありました。
キャプションに「スイス・サンモリッツにあるセガンティーニ美術館」と書いてあるのを見て、えっまさか、なんで碌山とセガンティーニが関係あるの? 碌山のことは少しは知っていたつもりだっただけに驚きました。
碌山といえばオーギュスト・ロダン、かの「考える人」を見て彫刻を志したと聞いていたのに、そのキャプションには<碌山が最も私淑したのはセガンティーニだった。建築家・今井兼次はサンモリッツのセガンティーニ美術館を模して教会風の建物とした>と書いてあるではありませんか。
何か、運命的なものを感じました。
今井兼次先生には生前一度だけお目にかかることができました。
1977年10月21日、亭主が主宰していた現代版画センターの企画でたった一日だけの「’77現代と声」という展覧会を渋谷のヤマハエピキュラスで開催したことがあります。当日700人が来場したかなりの大イベントだったのですが、寺山修司さんなどの来場者に混じり、杖をついた今井先生が来場してくださいました。感激した亭主が伺うと「イソザキ君が版画をつくったというので、それを見たくてね。」とおっしゃったのを懐かしく思い出します。

’77現代と声」のことを書き出すと収拾がつかなくなるので今日のところはカンベンしていただいて、サンモリッツのセガンティーニ美術館を遂に訪れることができたのは、碌山美術館訪問から20年近く経ってからでした。
セガンティーニ美術館
その頃、しょっちゅうパリに行っていた亭主は、ある日相棒たちとチューリッヒに飛び、空港でレンタカーを借りてひたすらサン・モリッツを目指し、念願のセガンティーニ美術館をとうとう訪ねることができたのでした。

生涯と作品 無常600ジョヴァンニ・セガンティーニ
『生涯と作品』より「無常」
1920年刊 複製銅版
13.8×20.8cm
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