美術展のおこぼれ23
「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展
会期:2011年12月3日~2012年1月29日
会場:神奈川県立近代美術館 葉山

ベン・シャーンの絵画をどこかの雑誌で見たのは、たぶん高校生の頃だと思う。今回出品されている《縄とびをする少女》《天使と子供》《解放》などがそれで、廃墟のなかで遊ぶ子供たち、あるいは死者のように地面に横たわる子供たちの姿は、それまでのどの絵画にも見られなかった。そして、半壊した煉瓦の赤い壁や細かい描線による赤い鉄橋――絵具の芯材のような強烈な色彩をためらうこともなく使う画家もそれまでいなかったと思う。ほかにもその色をテーマにした《赤い壁》といったタイトルの作品もあったはずだ。地平線が見えるほどの曠野に一直線にのびる赤い壁、みたいなイメージ。赤は鮮烈だが暗い。どの風景も廃墟のひろがりによって成り立っている。なじんだ環境ではなく、一瞬出くわした場所だがその記憶が歳月とともに否応なく深く刻まれていく。その表れとしての赤。
さきに挙げた3点は1944~45年の作品である。その後、70年以降日本では何度かベン・シャーン展が開かれているが私にとって実物をまとめて見るのは今回が初めてである。図柄があまりにも明快なのでとくに実物を見たいという気持ちがなかったのか。それで遊ぶ子供たちの眼がカッと見開かれているが無表情であり、横たわる子供たちの表情がほとんど消されていることに初めて気がついた。どちらも犠牲者の顔なのだ。しかも彼が数多くの写真を下敷きにして構図を決めていたことも知って驚いた。彼の「写真と絵画の関係が本格的に取り上げられるのは」10年前、フォッグ美術館における「ベン・シャーンのニューヨーク;近代の写真」展によってらしい。つまり今回の企画はごく最近の研究成果を踏まえているわけで、こちらはやっと実物にお目にかかれたと同時に、いきなりその生々しい制作現場に入りこんだ気分だった。
でもそれは種明かしをされてしまったというよりは、ベン・シャーンが写真から自分の絵画へと人々の姿や表情をじつに適確にピックアップする選択眼、それらを自分の描線に微妙にデフォルメさせながら取り込む(つまり元の写真の痕跡を完全に消してしまう)手技に、写生などより創造性を強く感じるのである。ぼんやりと立っている男の姿がまったく別の意味を語り出し、絶望する男が顔をおおう拳の一本一本の指が戦いの宣言にまで高まり、さらには人間の顔そのものにまで変容するかのようだ。
そうした表現がもっとも明快になったとき、それは社会的政治的ポスターにおいてさらに有効に働き、おなじみのベン・シャーン・スタイルとして誰にも容易に見分けられるようになる。けれども写真との関係で見ることになってあらためて、私は彼の魅力のレベルを再確認する気持ちになった。それは作家の激情が顕わになる、むしろそれ以前の、人々の日常的な何気なさが決定的に選ばれ描かれるレベルである。街の通りで木の椅子に腰掛けてあらぬ方を眺めている老人、バスケットボールをする若者たちの遠景、縄とびをする少女に背を向けて遠くを見ている少年の後姿――スナップ写真では彼等はみな隅っこのほうにいて目立たないが、いったん絵のなかに入るとその日常的何気なさの大きな働きを雄弁に語り出す。それが誰にも真似しようのないベン・シャーンである。例えばポスターにおける彼が多くのアーティストやデザイナーに影響を及ぼし、模倣者を生み出した流れと、ちょっと違うのである。
彼がディエゴ・リベラの下で壁画を学び、自身もいくつかの壁画に手を染めたことも初めて知ったが、その多元的な画面構成や人物群像の扱いと、写真から日常的何気なさの図像を採集することとは深い関係があるのだと思う。つまりは直接には声を大にして告知したりしないドキュメントへの志向である。そこにこそ歓びや怒りのメッセージがあり、私が最初に見た彼の絵もそうしたドキュメントの一駒一駒だったのかもしれない。
ベン・シャーンは壁画まで描いた。おびただしい写真を撮った。ポスターを手がけ、本の装釘からレコード・ジャケットまでのデザインワーク、とくに自由闊達にして一分の隙もないロゴタイプデザインは完璧だ。今回の回顧展サブタイトルが「クロスメディア・アーティスト――写真、絵画、グラフィック・アート」となっているのは当然だろう。だがベン・シャーン自身がそれを肯定していたかは分からない。とくに最晩年の、ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』のためのリトグラフに接すると、彼はクロスメディア・アーティストであること自ら否定しようとしていたのではないかとも思うのだが、その仕事は彼の生涯を全うするものであったのか、そこも正直言ってよく分からない。というのも自分にとってのマルテのイメージとうまく重ならないのだ。そのズレをアメリカ的偏りと憶測することは即、日本人にとってのリルケの解釈もトリビアルなのかという自問になる。ならばユダヤ人としてのベン・シャーンはどう結像するのか。この点では図録の、ロジヤー・パルバースへのインタビュー記事がいちばん参考になった。拙著『真夜中の庭』でI.B.シンガーやモーリス・センダックについて書いたときもこの問題に触れざるを得なかったが、あくまで関連書による知識から啓発されたにすぎない。パルバースの談話には自らの生きた血と体験がある。そこからベン・シャーン最初期の、サッコとヴァンゼッティ事件やトム・ムーニー事件を扱った作品の確かな視点があらためて呼び覚まされる。そのように大いなる回顧展のなかで、私は懐かしい絵の呼び声を聴いたのである。
(2012.1.2 うえだまこと)
*本展は、下記の会場で巡回開催されます。
神奈川県立近代美術館 葉山 2011年12月 3日~2012年 1月29日
名古屋市美術館 2012年 2月11日~2012年 3月25日
岡山県立美術館 2012年 4月 8日~2012年 5月20日
福島県立美術館 2012年 6月 3日~2012年 7月16日
「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展
会期:2011年12月3日~2012年1月29日
会場:神奈川県立近代美術館 葉山

ベン・シャーンの絵画をどこかの雑誌で見たのは、たぶん高校生の頃だと思う。今回出品されている《縄とびをする少女》《天使と子供》《解放》などがそれで、廃墟のなかで遊ぶ子供たち、あるいは死者のように地面に横たわる子供たちの姿は、それまでのどの絵画にも見られなかった。そして、半壊した煉瓦の赤い壁や細かい描線による赤い鉄橋――絵具の芯材のような強烈な色彩をためらうこともなく使う画家もそれまでいなかったと思う。ほかにもその色をテーマにした《赤い壁》といったタイトルの作品もあったはずだ。地平線が見えるほどの曠野に一直線にのびる赤い壁、みたいなイメージ。赤は鮮烈だが暗い。どの風景も廃墟のひろがりによって成り立っている。なじんだ環境ではなく、一瞬出くわした場所だがその記憶が歳月とともに否応なく深く刻まれていく。その表れとしての赤。
さきに挙げた3点は1944~45年の作品である。その後、70年以降日本では何度かベン・シャーン展が開かれているが私にとって実物をまとめて見るのは今回が初めてである。図柄があまりにも明快なのでとくに実物を見たいという気持ちがなかったのか。それで遊ぶ子供たちの眼がカッと見開かれているが無表情であり、横たわる子供たちの表情がほとんど消されていることに初めて気がついた。どちらも犠牲者の顔なのだ。しかも彼が数多くの写真を下敷きにして構図を決めていたことも知って驚いた。彼の「写真と絵画の関係が本格的に取り上げられるのは」10年前、フォッグ美術館における「ベン・シャーンのニューヨーク;近代の写真」展によってらしい。つまり今回の企画はごく最近の研究成果を踏まえているわけで、こちらはやっと実物にお目にかかれたと同時に、いきなりその生々しい制作現場に入りこんだ気分だった。
でもそれは種明かしをされてしまったというよりは、ベン・シャーンが写真から自分の絵画へと人々の姿や表情をじつに適確にピックアップする選択眼、それらを自分の描線に微妙にデフォルメさせながら取り込む(つまり元の写真の痕跡を完全に消してしまう)手技に、写生などより創造性を強く感じるのである。ぼんやりと立っている男の姿がまったく別の意味を語り出し、絶望する男が顔をおおう拳の一本一本の指が戦いの宣言にまで高まり、さらには人間の顔そのものにまで変容するかのようだ。
そうした表現がもっとも明快になったとき、それは社会的政治的ポスターにおいてさらに有効に働き、おなじみのベン・シャーン・スタイルとして誰にも容易に見分けられるようになる。けれども写真との関係で見ることになってあらためて、私は彼の魅力のレベルを再確認する気持ちになった。それは作家の激情が顕わになる、むしろそれ以前の、人々の日常的な何気なさが決定的に選ばれ描かれるレベルである。街の通りで木の椅子に腰掛けてあらぬ方を眺めている老人、バスケットボールをする若者たちの遠景、縄とびをする少女に背を向けて遠くを見ている少年の後姿――スナップ写真では彼等はみな隅っこのほうにいて目立たないが、いったん絵のなかに入るとその日常的何気なさの大きな働きを雄弁に語り出す。それが誰にも真似しようのないベン・シャーンである。例えばポスターにおける彼が多くのアーティストやデザイナーに影響を及ぼし、模倣者を生み出した流れと、ちょっと違うのである。
彼がディエゴ・リベラの下で壁画を学び、自身もいくつかの壁画に手を染めたことも初めて知ったが、その多元的な画面構成や人物群像の扱いと、写真から日常的何気なさの図像を採集することとは深い関係があるのだと思う。つまりは直接には声を大にして告知したりしないドキュメントへの志向である。そこにこそ歓びや怒りのメッセージがあり、私が最初に見た彼の絵もそうしたドキュメントの一駒一駒だったのかもしれない。
ベン・シャーンは壁画まで描いた。おびただしい写真を撮った。ポスターを手がけ、本の装釘からレコード・ジャケットまでのデザインワーク、とくに自由闊達にして一分の隙もないロゴタイプデザインは完璧だ。今回の回顧展サブタイトルが「クロスメディア・アーティスト――写真、絵画、グラフィック・アート」となっているのは当然だろう。だがベン・シャーン自身がそれを肯定していたかは分からない。とくに最晩年の、ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』のためのリトグラフに接すると、彼はクロスメディア・アーティストであること自ら否定しようとしていたのではないかとも思うのだが、その仕事は彼の生涯を全うするものであったのか、そこも正直言ってよく分からない。というのも自分にとってのマルテのイメージとうまく重ならないのだ。そのズレをアメリカ的偏りと憶測することは即、日本人にとってのリルケの解釈もトリビアルなのかという自問になる。ならばユダヤ人としてのベン・シャーンはどう結像するのか。この点では図録の、ロジヤー・パルバースへのインタビュー記事がいちばん参考になった。拙著『真夜中の庭』でI.B.シンガーやモーリス・センダックについて書いたときもこの問題に触れざるを得なかったが、あくまで関連書による知識から啓発されたにすぎない。パルバースの談話には自らの生きた血と体験がある。そこからベン・シャーン最初期の、サッコとヴァンゼッティ事件やトム・ムーニー事件を扱った作品の確かな視点があらためて呼び覚まされる。そのように大いなる回顧展のなかで、私は懐かしい絵の呼び声を聴いたのである。
(2012.1.2 うえだまこと)
*本展は、下記の会場で巡回開催されます。
神奈川県立近代美術館 葉山 2011年12月 3日~2012年 1月29日
名古屋市美術館 2012年 2月11日~2012年 3月25日
岡山県立美術館 2012年 4月 8日~2012年 5月20日
福島県立美術館 2012年 6月 3日~2012年 7月16日
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