荒井由泰「マイコレクション物語」第8回
装幀・挿画本コレクション&恩地孝四郎との出会い
今になって思い返すと、本との最初の出会いは2000年だった。ヤフーオークションで堀口大学の訳詩集「月下の一群」(初版、函なし)を落札した。ドキドキしながら“オークション終了”の表示を待った。落札価格は3万8千だった。今まで本にこんな大金を払ったことはなかった。この本を入手したいと思ったのは扉絵に長谷川潔の木口木版(ふくろう)が挿画されていたからだった。「月下の一群」の落札を契機に本の装幀や挿画への関心が広がった。堀口大学の処女詩集「月光とピエロ」をはじめ、長谷川潔が装幀をしたり、長谷川の作品が挿画された本の蒐集がはじまった。最初に長谷川潔、次に駒井哲郎そして恩地孝四郎、谷中安規と広がっていった。大正から昭和の初期(戦前)の本の価値は今と比べると比較にならないほど高い価値と存在感をもっていた。そんな時代の本を手にすると、その重さや美しさが実感でき、本への愛着・愛情は高まった。その思いが装幀本・挿画本のコレクションへの大きな原動力になった。あくまで本のアートそしてデザインという視点からのコレクションをスタートさせた。一方、思わぬ副産物もあった。装幀や挿画に関心がなければ絶対に出会わない本を手にし、また読む(目を通す)ことができた。装幀の世界から世界が広がるのを実感できたわけだ。
堀口大学
訳詩集
「月下の一群」
扉絵
特に恩地孝四郎装幀本との出会いは今となっては重要な契機となった。最初に手にしたのが神田の古書店で偶然見つけた小型の美しい本・「白秋詩集」(1920 アルス刊 函入りの小型本)であった。価格は1500円、たいへんうれしかったのを覚えている。さらなるステップは2002年頃に阿部出版から出された「装本の使命」(恩地孝四郎装幀美術論集 1992)を古書店から手に入れたことにはじまる。恩地の装幀に対する考え方、「本は文明の旗だ。本は美しくなければならない」に象徴される言葉に共鳴するとともに、装幀(恩地は装本と言った)は本の内容とも密接に関係していることも再認識した。同時に恩地の装幀本リストが眼に入った。このリストがマイブックコレクションのバイブルとなった。
「装本の使命」の入手時期が一方では、古書業界の大変革期と重なった。それまでは古書店の目録が唯一の情報源であり、地方では目録なしでは購入が難しかった。しかし、入手したいリストがあればネットで全国の古書店から購入できる時代になった。
「日本の古本屋」を活用して夜な夜な本の購入がはじまった。古書店には一部の稀覯本以外は装幀に対する意識が低く、思いのほか安値で多くの古書が入手できた。全国の古書店から次々と本が届いた。
一方、装幀本リストは必ずしも全部網羅しているわけではないことも知った。恩地の場合、「本の美術」(1952)や「恩地孝四郎・装本の業」(恩地邦郎編 1982)に記載されていない装幀本が相当数ある。恩地の装幀本の特徴が分かると古書店で偶然発見することもあり、なかなか面白い探索の旅となった。恩地装幀と明記があるものは問題ないが、恩地らしいが明記のないものもあり、この辺はむずかしい。この裏付けとなる書籍の広告や文章の中の表記等、根拠を見つけるのもおもしろい。
現在の私のブックコレクションは長谷川潔50点、駒井哲郎130点、恩地孝四郎300点、谷中安規50点というところだ。最近はうらわ美術館のように美術館のコレクションに装幀・挿画本を加えているところもあり、装幀・挿画本への興味・関心が広がっていることはうれしいことだ。
私のブックコレクションの重要なものを記しておく。長谷川潔では雑誌の表紙を最初に担当した「聖盃」(1913)をはじめ、彼の木版画が表紙を飾った「仮面」「水甕」(1914~17)、堀口大学の詩集・訳詩集「月光とピエロ」(1919)、「水の面に書きて」(1921)、「新しき小径」(1922)、「月下の一群」(1925)、そして「砂の枕」(1926)などである。「転身の頌」の初版・限定本(限定100部)をコレクションに入れたいところだが高価であきらめざるを得ない。
長谷川潔
「聖盃」
表紙(最初の絵)
長谷川潔
「仮面」
表紙
恩地装幀・挿画では彼の最初の装幀本「悪人研究」(1911)からはじまり、萩原朔太郎の処女詩集「月に吠える」(1917 初版・カバ欠)、室生犀星の「愛の詩集」(1918 初版・函欠)、抒情小曲集(1918 初版・函付)など文学と関わりの深い名著が並ぶ。また、大正から昭和にかけての版画雑誌(「詩と版画」「風」など)の装幀・挿画本に加え、1935年に創刊された「書窓」(アオイ書房)も創刊号から何冊かコレクションに納まっている。この「書窓」は当時の先端技術の写植を使ったモダンなデザインに加え、扉には手摺りの木版画が挿画され、さらには本に関する豊富な情報が満載で、本好きの人にはたまらない雑誌だ。
恩地孝四郎
「悪人研究」
最初の装幀本
恩地孝四郎
「月に吠える」
挿画
恩地孝四郎の版画のコレクションについては、出版創作と言われる挿画本のコレクションからスタートしている。2002年には「季節標」(1935 オリジナル木版「虫」が挿入)、「海の童話」(1934 版画荘刊)を手始めに、翌年「虫・魚・介」(1943 アオイ書房)が加わった。「飛行官能」(1920 版画荘)はぜひともコレクションに加えたい本だが、残念ながら入手できていない。
版画の単独作品では2003年に「あるヴァイオリニストの印象」(1946)をヤフーオークションで入手したのが第一号だった。この作品は1955年の平井刷りで、まだ自摺作品はコレクションになかった。最初の自摺と思われる作品は「失題」(室生犀星「青い猿」の挿画作品)であった。その作品はネットでアメリカの画廊で見つけた。サザビーオークションに出品されたジュダコレクションからの来歴の作品だった。作品を気に入り、思い切って購入した。後でこの作品が室生犀星著の「青い猿」(1931)の挿画用に作られた作品であることを知った。その後、もう一点、この本からの挿画作品を別途入手できた。2004年には小品の「海」(1930)を手に入れた。自摺の作品は汚れがあったり、にじみがあったりでとてもきれいな刷とは言えないが、勢いがあり、味わいがある。たとえば平井刷り作品をみるときれいな刷りだが、どうしても工芸的なにおいがしてしまう。その後、「五月の風景」(1948)や「若い世代」(1954)などの抽象作品もコレクションに加わり、平井刷りの「氷島の詩人(萩原朔太郎像)」など、本人刷り出ないものを含め、コレクションとしての形ができてきた。
恩地孝四郎
「虫・魚・介」
表紙
恩地孝四郎
「失題」
(室生犀星「青い猿」の挿画作品)
1931
恩地孝四郎
「青い猿」
恩地孝四郎
「海」
1930
恩地孝四郎
「五月の風景」
1948
恩地孝四郎
「若い世代」
1954
恩地は日本では最初のプロの装幀家の一人であり、装幀家としてお金を稼ぐことができたから、自らの創作活動においてはいわゆる「売り絵」を作る必要がなく、自ら求める物を追求できたと言われている。戦後は既存の木版画にとらわれず、自由な発想のなかで抽象作品に積極的に取り組んだ。彼の作品は戦後の米国駐留時代、アメリカ人の愛好家から高い評価を受け、主要な作品がアメリカを中心に海外に持ち出された。版画は複数芸術と言われているが、彼はその点にこだわらず、一点一点オリジナルのような姿勢で作品を制作した。そのため制作数もたいへん限られており、作品があまり日本に残っていないのが残念だ。恩地の著作や作品を通して、彼がだれも踏み入れたことのなかった領域に果敢にチャレンジしてきた生き様が見えてくる。恩地孝四郎という人物は日本で最初に抽象画を描いた人、創作版画の推進者、詩人、装幀家、写真家、現代美術家などと表現されているが、それだけでは不十分だ。まさに芸術表現を通して、時代を表現し続けた偉大なアーティストの一人だ。残念ながら、まだまだ恩地のことを知る人は限られている。彼の功績が正当に評価されることを願ってやまない。次回は私のコレクションテーマに一つである「駒井哲郎と彼が敬愛したアーティスト達」について言及してみたい。
(あらいよしやす)
*荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は、毎月11日に更新します。
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装幀・挿画本コレクション&恩地孝四郎との出会い
今になって思い返すと、本との最初の出会いは2000年だった。ヤフーオークションで堀口大学の訳詩集「月下の一群」(初版、函なし)を落札した。ドキドキしながら“オークション終了”の表示を待った。落札価格は3万8千だった。今まで本にこんな大金を払ったことはなかった。この本を入手したいと思ったのは扉絵に長谷川潔の木口木版(ふくろう)が挿画されていたからだった。「月下の一群」の落札を契機に本の装幀や挿画への関心が広がった。堀口大学の処女詩集「月光とピエロ」をはじめ、長谷川潔が装幀をしたり、長谷川の作品が挿画された本の蒐集がはじまった。最初に長谷川潔、次に駒井哲郎そして恩地孝四郎、谷中安規と広がっていった。大正から昭和の初期(戦前)の本の価値は今と比べると比較にならないほど高い価値と存在感をもっていた。そんな時代の本を手にすると、その重さや美しさが実感でき、本への愛着・愛情は高まった。その思いが装幀本・挿画本のコレクションへの大きな原動力になった。あくまで本のアートそしてデザインという視点からのコレクションをスタートさせた。一方、思わぬ副産物もあった。装幀や挿画に関心がなければ絶対に出会わない本を手にし、また読む(目を通す)ことができた。装幀の世界から世界が広がるのを実感できたわけだ。
堀口大学訳詩集
「月下の一群」
扉絵
特に恩地孝四郎装幀本との出会いは今となっては重要な契機となった。最初に手にしたのが神田の古書店で偶然見つけた小型の美しい本・「白秋詩集」(1920 アルス刊 函入りの小型本)であった。価格は1500円、たいへんうれしかったのを覚えている。さらなるステップは2002年頃に阿部出版から出された「装本の使命」(恩地孝四郎装幀美術論集 1992)を古書店から手に入れたことにはじまる。恩地の装幀に対する考え方、「本は文明の旗だ。本は美しくなければならない」に象徴される言葉に共鳴するとともに、装幀(恩地は装本と言った)は本の内容とも密接に関係していることも再認識した。同時に恩地の装幀本リストが眼に入った。このリストがマイブックコレクションのバイブルとなった。
「装本の使命」の入手時期が一方では、古書業界の大変革期と重なった。それまでは古書店の目録が唯一の情報源であり、地方では目録なしでは購入が難しかった。しかし、入手したいリストがあればネットで全国の古書店から購入できる時代になった。
「日本の古本屋」を活用して夜な夜な本の購入がはじまった。古書店には一部の稀覯本以外は装幀に対する意識が低く、思いのほか安値で多くの古書が入手できた。全国の古書店から次々と本が届いた。
一方、装幀本リストは必ずしも全部網羅しているわけではないことも知った。恩地の場合、「本の美術」(1952)や「恩地孝四郎・装本の業」(恩地邦郎編 1982)に記載されていない装幀本が相当数ある。恩地の装幀本の特徴が分かると古書店で偶然発見することもあり、なかなか面白い探索の旅となった。恩地装幀と明記があるものは問題ないが、恩地らしいが明記のないものもあり、この辺はむずかしい。この裏付けとなる書籍の広告や文章の中の表記等、根拠を見つけるのもおもしろい。
現在の私のブックコレクションは長谷川潔50点、駒井哲郎130点、恩地孝四郎300点、谷中安規50点というところだ。最近はうらわ美術館のように美術館のコレクションに装幀・挿画本を加えているところもあり、装幀・挿画本への興味・関心が広がっていることはうれしいことだ。
私のブックコレクションの重要なものを記しておく。長谷川潔では雑誌の表紙を最初に担当した「聖盃」(1913)をはじめ、彼の木版画が表紙を飾った「仮面」「水甕」(1914~17)、堀口大学の詩集・訳詩集「月光とピエロ」(1919)、「水の面に書きて」(1921)、「新しき小径」(1922)、「月下の一群」(1925)、そして「砂の枕」(1926)などである。「転身の頌」の初版・限定本(限定100部)をコレクションに入れたいところだが高価であきらめざるを得ない。
長谷川潔「聖盃」
表紙(最初の絵)
長谷川潔「仮面」
表紙
恩地装幀・挿画では彼の最初の装幀本「悪人研究」(1911)からはじまり、萩原朔太郎の処女詩集「月に吠える」(1917 初版・カバ欠)、室生犀星の「愛の詩集」(1918 初版・函欠)、抒情小曲集(1918 初版・函付)など文学と関わりの深い名著が並ぶ。また、大正から昭和にかけての版画雑誌(「詩と版画」「風」など)の装幀・挿画本に加え、1935年に創刊された「書窓」(アオイ書房)も創刊号から何冊かコレクションに納まっている。この「書窓」は当時の先端技術の写植を使ったモダンなデザインに加え、扉には手摺りの木版画が挿画され、さらには本に関する豊富な情報が満載で、本好きの人にはたまらない雑誌だ。
恩地孝四郎「悪人研究」
最初の装幀本
恩地孝四郎「月に吠える」
挿画
恩地孝四郎の版画のコレクションについては、出版創作と言われる挿画本のコレクションからスタートしている。2002年には「季節標」(1935 オリジナル木版「虫」が挿入)、「海の童話」(1934 版画荘刊)を手始めに、翌年「虫・魚・介」(1943 アオイ書房)が加わった。「飛行官能」(1920 版画荘)はぜひともコレクションに加えたい本だが、残念ながら入手できていない。
版画の単独作品では2003年に「あるヴァイオリニストの印象」(1946)をヤフーオークションで入手したのが第一号だった。この作品は1955年の平井刷りで、まだ自摺作品はコレクションになかった。最初の自摺と思われる作品は「失題」(室生犀星「青い猿」の挿画作品)であった。その作品はネットでアメリカの画廊で見つけた。サザビーオークションに出品されたジュダコレクションからの来歴の作品だった。作品を気に入り、思い切って購入した。後でこの作品が室生犀星著の「青い猿」(1931)の挿画用に作られた作品であることを知った。その後、もう一点、この本からの挿画作品を別途入手できた。2004年には小品の「海」(1930)を手に入れた。自摺の作品は汚れがあったり、にじみがあったりでとてもきれいな刷とは言えないが、勢いがあり、味わいがある。たとえば平井刷り作品をみるときれいな刷りだが、どうしても工芸的なにおいがしてしまう。その後、「五月の風景」(1948)や「若い世代」(1954)などの抽象作品もコレクションに加わり、平井刷りの「氷島の詩人(萩原朔太郎像)」など、本人刷り出ないものを含め、コレクションとしての形ができてきた。
恩地孝四郎「虫・魚・介」
表紙
恩地孝四郎「失題」
(室生犀星「青い猿」の挿画作品)
1931
恩地孝四郎「青い猿」
恩地孝四郎「海」
1930
恩地孝四郎「五月の風景」
1948
恩地孝四郎「若い世代」
1954
恩地は日本では最初のプロの装幀家の一人であり、装幀家としてお金を稼ぐことができたから、自らの創作活動においてはいわゆる「売り絵」を作る必要がなく、自ら求める物を追求できたと言われている。戦後は既存の木版画にとらわれず、自由な発想のなかで抽象作品に積極的に取り組んだ。彼の作品は戦後の米国駐留時代、アメリカ人の愛好家から高い評価を受け、主要な作品がアメリカを中心に海外に持ち出された。版画は複数芸術と言われているが、彼はその点にこだわらず、一点一点オリジナルのような姿勢で作品を制作した。そのため制作数もたいへん限られており、作品があまり日本に残っていないのが残念だ。恩地の著作や作品を通して、彼がだれも踏み入れたことのなかった領域に果敢にチャレンジしてきた生き様が見えてくる。恩地孝四郎という人物は日本で最初に抽象画を描いた人、創作版画の推進者、詩人、装幀家、写真家、現代美術家などと表現されているが、それだけでは不十分だ。まさに芸術表現を通して、時代を表現し続けた偉大なアーティストの一人だ。残念ながら、まだまだ恩地のことを知る人は限られている。彼の功績が正当に評価されることを願ってやまない。次回は私のコレクションテーマに一つである「駒井哲郎と彼が敬愛したアーティスト達」について言及してみたい。
(あらいよしやす)
*荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は、毎月11日に更新します。
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