昨日の朝刊で和多利志津子さんの死去を知り驚きました。
和多利浩一さんのフェイスブックでの報告によれば、「坂口展のオープニング11月17日土曜日の昼に不整脈で救急で運ばれ」「12月1日4:20に心不全にて逝去」「ほんの一ヶ月前には一緒にパリに行って元気にしていたのですが、80歳で...もありましたので・・・」とのことでした。
謹んでご冥福をお祈りするとともに、故人の現代美術への大貢献に対し、今更のように讃嘆の思いを抱かずにはおられません。

あの神宮前の変形角地にあった大きなガラス窓の小さな「ギャルリー・ワタリ」のことを覚えている人も少なくなりました。
ワタリのおばちゃんに「私、美術館つくるのよ」と聞いたのはいつのことだったか。
マリオ・ボッタ設計によるワタリウム美術館が開館したのは1990年でした。
それはまさに現代美術の多くの画商たちが夢見ながら為しえなかった快挙であり、22年後の今日ではワタリウムはすっかり日本のアートの中核に位置を占めています。
既成概念にとらわれない先見の明、画商としての経営手腕、画家を口説くパワフルな行動力、いずれも他の画商たちに抜きん出ていました。
目も良かった。
和多利さんの画商としての趣味の良さに舌を巻いたのは2008年10月の「美しい青い風がーワタリウム美術館コレクション展 アイ・ラブ・アート9」に出品された駒井哲郎作品を見たときでした。
カールステン・ニコライ、ジャン・ホワン、小沢剛、ホワン・ヨンピン、キース・ヘリング、ジュリアン・シュナーベル、フランツ・ウエスト、ニキ・ド・サン=ファール、アンディ・ウォーホル、ヨーゼフ・ボイス、駒井哲郎、ジョン・ケージ、瀧口修造、いずれも溜め息が出るような佳品揃いでした。
ワタリウムの和多利志津子さん
2010年10月1日
ときの忘れもの
マン・レイと宮脇愛子展」レセプションにて
宮脇愛子先生と和多利志津子さん(右)
いつもお洒落でした。

亭主は1983年にアンディ・ウォーホルの「KIKU」「LOVE」シリーズを日本発のエディションとして発表したことがありますが、その前年1982年に「ウォーホル新作版画展」を開いたのがギャルリー・ワタリでした。
当時の大画商たち、南画廊、東京画郎、南天子画廊はいずれもウォーホルの生前には興味を示さず展覧会も開かなかった。
その一点だけでも和多利さんの目がいかに時代に先駆けていたかおわかりになるでしょう。

和多利さん、さようなら。