ド忘れが日に日に多くなる。
いらしてくれたお客様のお名前と顔が一致しない。
来客と話していて、話題の人名が出てこない。困ったもんです・・・
久しぶりの企画展、先ずはお客様の「インフルエンザ、たいへんだったみたいですね」とのお見舞いの言葉がありがたい。
今週からスタッフの李秀香が産休に入りました。元気な赤ちゃんの誕生を祈るばかりです。
かわりに産休中だった尾立が復帰しました。とはいえしばらくは週2(火曜と金曜)の変則出勤で、全面復帰は4月からとなります。
ただいま開催中の◆銀塩写真の魅力 IV展の出品作品を順次ご紹介しています。
今日はウィン・バロックの「Navigation Without Numbers」です。
ウィン・バロックの写真家としてのデビューは遅く、その人生はまさに「スクラップ&ビルド」でした。最初テノール歌手としてブロードウェイで活躍しますが、声楽を学ぼうと留学したパリで、好評を得ながらも限界を感じて歌手を止めてしまいます。そこでカメラを手にして写真を撮り始めますが、次にした仕事は不動産の管理です。それもうまく行ったところで人に任せて法律学校に入学します。しかし、バロックはいずれの学校にもなじむことができなかったようで、数ヶ月で法律学校をやめて写真の学校に移りますが、ここも卒業せずに中退しました。その後、陸軍に従軍したり絵葉書の制作などしながら、ソラリゼーションなどの実験的な技法を研究しますが、1948年にエドワード・ウエストンに出会うと、今までのものをあっさり放棄して、ストレートフォトで自然と人間との対比と融合を撮るようになります。1960年頃には、カラーによる抽象作品を制作し始めるなど、次々と新たな領域に踏み込んで行きました。
ウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.8x23.0cm
台紙サイズ:33.5x38.0cm
サインあり
今回出品しているこちらの作品については小林美香さんのエッセイ第25回でも取りあげていただいているので一部を再録させていただきます。
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画面中央に置かれたベッドの上に、腹ばいになる赤ん坊。画面左側には、ベッドの端に腕をかけてうつ伏せにもたれかかる女性。部屋の壁は、表面の漆喰が剥がれたり染みがついたりしており、調度品と相まって室内全体に古びた雰囲気が漂っています。窓から外光が差し込むほの暗い部屋の中で、ベッドの敷布を背景に裸体の女性と赤ん坊の体が白くくっきりと浮かびあがっています。
作品のタイトル「Navigation Without Numbers」とは、窓敷居の上に置かれた本(Joseph B. Breed著の数学と科学に関する論文をまとめた本だそうです)の題名に由来します。私は数学や科学の研究分野に疎いので、この本の内容に則した正確な邦題に飜訳することはできませんが、作品のタイトルを日本語に直訳すると「無数の航行」という意味になります。この写真の中に描き出されている情景に照らし合わせて見ると、ベッドの上に腹ばいになっている赤ん坊の姿は、海原の水面に漂い、どこかに向かってもがきながら進もうとしているかのようにも映ります。ベッドの端にいる女性は、赤ん坊に向き合うような位置にいるのにもかかわらず、赤ん坊に視線を向けることなく敷布に顔を埋めています。そのことによって、人の間の距離が強調されています。赤ん坊だけではなく、この女性もまた手がかりのない状態でお互いに行く先を探し求めている、というふうに解釈することもできるかもしれません。(小林美香)
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こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■ウィン・バロック Wynn BULLOCK(1902-1975)
1902年アメリカ生まれ。コロンビア大学、ウエスト・バージニア大学で音楽を学び、プロのテノール歌手としてブロードウェイで4年間活躍。その後留学したパリで、印象派絵画やモホリ・ナジ、マン・レイなどの写真に触れ、視覚芸術に興味を抱くようになる。この頃、カメラを購入し写真を撮り始める。パリでの舞台デビューでは好評を得ながらも声の限界を感じるようになり、1930年アメリカに帰国。これを機に本格的に写真表現に傾倒していき、写真を学ぶため36歳にしてロサンジェルス・アート・センターに入学。
絵画の影響を受けていたこともあり、ストレートな写真よりもソラリゼーションなどの実験的技法に没頭する。1941年卒業、商業写真で生計を立てる。1948年エドワード・ウェストンと出会い、暗室作業での操作を排しシンプルかつダイレクトに世界と向き合う彼に強い影響を受ける。その後バロックはそれまでの実験的な作品をやめ、森や海などの自然や、その自然の中に幼い少女や女性のヌードを配した写真を多く撮影する。代表作、「森の中の子供」「そこに光あれ」など。1975年、歿。
◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催しています。
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では植田正治、細江英公、五味彬、大竹昭子、佐藤理、北井一夫、村越としや、エドワード・スタイケン、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロック、ジョック・スタージスらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。
いらしてくれたお客様のお名前と顔が一致しない。
来客と話していて、話題の人名が出てこない。困ったもんです・・・
久しぶりの企画展、先ずはお客様の「インフルエンザ、たいへんだったみたいですね」とのお見舞いの言葉がありがたい。
今週からスタッフの李秀香が産休に入りました。元気な赤ちゃんの誕生を祈るばかりです。
かわりに産休中だった尾立が復帰しました。とはいえしばらくは週2(火曜と金曜)の変則出勤で、全面復帰は4月からとなります。
ただいま開催中の◆銀塩写真の魅力 IV展の出品作品を順次ご紹介しています。
今日はウィン・バロックの「Navigation Without Numbers」です。
ウィン・バロックの写真家としてのデビューは遅く、その人生はまさに「スクラップ&ビルド」でした。最初テノール歌手としてブロードウェイで活躍しますが、声楽を学ぼうと留学したパリで、好評を得ながらも限界を感じて歌手を止めてしまいます。そこでカメラを手にして写真を撮り始めますが、次にした仕事は不動産の管理です。それもうまく行ったところで人に任せて法律学校に入学します。しかし、バロックはいずれの学校にもなじむことができなかったようで、数ヶ月で法律学校をやめて写真の学校に移りますが、ここも卒業せずに中退しました。その後、陸軍に従軍したり絵葉書の制作などしながら、ソラリゼーションなどの実験的な技法を研究しますが、1948年にエドワード・ウエストンに出会うと、今までのものをあっさり放棄して、ストレートフォトで自然と人間との対比と融合を撮るようになります。1960年頃には、カラーによる抽象作品を制作し始めるなど、次々と新たな領域に踏み込んで行きました。
ウィン・バロック「Navigation Without Numbers」
1957年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.8x23.0cm
台紙サイズ:33.5x38.0cm
サインあり
今回出品しているこちらの作品については小林美香さんのエッセイ第25回でも取りあげていただいているので一部を再録させていただきます。
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画面中央に置かれたベッドの上に、腹ばいになる赤ん坊。画面左側には、ベッドの端に腕をかけてうつ伏せにもたれかかる女性。部屋の壁は、表面の漆喰が剥がれたり染みがついたりしており、調度品と相まって室内全体に古びた雰囲気が漂っています。窓から外光が差し込むほの暗い部屋の中で、ベッドの敷布を背景に裸体の女性と赤ん坊の体が白くくっきりと浮かびあがっています。
作品のタイトル「Navigation Without Numbers」とは、窓敷居の上に置かれた本(Joseph B. Breed著の数学と科学に関する論文をまとめた本だそうです)の題名に由来します。私は数学や科学の研究分野に疎いので、この本の内容に則した正確な邦題に飜訳することはできませんが、作品のタイトルを日本語に直訳すると「無数の航行」という意味になります。この写真の中に描き出されている情景に照らし合わせて見ると、ベッドの上に腹ばいになっている赤ん坊の姿は、海原の水面に漂い、どこかに向かってもがきながら進もうとしているかのようにも映ります。ベッドの端にいる女性は、赤ん坊に向き合うような位置にいるのにもかかわらず、赤ん坊に視線を向けることなく敷布に顔を埋めています。そのことによって、人の間の距離が強調されています。赤ん坊だけではなく、この女性もまた手がかりのない状態でお互いに行く先を探し求めている、というふうに解釈することもできるかもしれません。(小林美香)
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■ウィン・バロック Wynn BULLOCK(1902-1975)
1902年アメリカ生まれ。コロンビア大学、ウエスト・バージニア大学で音楽を学び、プロのテノール歌手としてブロードウェイで4年間活躍。その後留学したパリで、印象派絵画やモホリ・ナジ、マン・レイなどの写真に触れ、視覚芸術に興味を抱くようになる。この頃、カメラを購入し写真を撮り始める。パリでの舞台デビューでは好評を得ながらも声の限界を感じるようになり、1930年アメリカに帰国。これを機に本格的に写真表現に傾倒していき、写真を学ぶため36歳にしてロサンジェルス・アート・センターに入学。
絵画の影響を受けていたこともあり、ストレートな写真よりもソラリゼーションなどの実験的技法に没頭する。1941年卒業、商業写真で生計を立てる。1948年エドワード・ウェストンと出会い、暗室作業での操作を排しシンプルかつダイレクトに世界と向き合う彼に強い影響を受ける。その後バロックはそれまでの実験的な作品をやめ、森や海などの自然や、その自然の中に幼い少女や女性のヌードを配した写真を多く撮影する。代表作、「森の中の子供」「そこに光あれ」など。1975年、歿。
◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催しています。
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では植田正治、細江英公、五味彬、大竹昭子、佐藤理、北井一夫、村越としや、エドワード・スタイケン、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロック、ジョック・スタージスらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。
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