先日、Sさんという女性の方からメールで鈴木信吾(1944年~1993年)の銅版画「長い拍手」の注文があり、ちょっと騒ぎになりました。というのは、そのご注文メールには価格も明示されていたからです。
(現在、ときの忘れもののHPでは原則として価格は明示していません。)

どういうことかとあちこち我がHPを検索したところ、とうの昔に削除していたはずの「通販ショップ」(価格を明示していた)のページが数点分、残っていたのですね。
10年ほど前のそのページには、鈴木作品が確かに価格入りで掲載されていました(安い!)。
慌てて倉庫を探索し、無事Sさんにお買い上げいただきました(感謝!)。
亭主は「ときの忘れもののHPには行方不明のページはありません」と自慢していたのですが、漏れはあるものですね。スタッフに指示して各ページを削除しました。
それにしても、20年も前に49歳で早世した作家の作品をよくぞ見つけてくださった。
鈴木信吾さんと亭主はほぼ同世代で、当時の会社(現代版画センター)の税理士さんが鈴木さんと同級生だった関係で知り合い、数点のエディションをつくりました。
一度掲載した情報はこちらが削除しない限り、永遠にバーチャル空間に存在し続ける、ネットの力を今更ながら痛感した次第です。
ブログは一年365日<毎日更新>しています。
これはひとえに連載をしてくださっている執筆者の皆さんのおかげです。
いえ、何よりこれを読んでくださる読者の皆さんこそ、毎日更新のエネルギー源です。
6月25日からは小林美香さんの新連載「母さん目線の写真史」が始まります。
タイトルからしてワクワクします、どうぞご期待ください。
執筆陣のあいまを埋めるのは亭主とスタッフたちですが、ときの忘れものが扱う同時代の作家たち、そして時の彼方に忘れ去られようとしている大切な作家たちの情報を丁寧にお伝えしたいと思っています。
ブログでは政治的なことや、ネガティブなことは意識して避けていますが、今日は少し脱線。
先日の高市早苗さんの「福島第1原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」との発言には悲しみを覚えました。
この方は講演のとき、広島や長崎に原爆が投下された後にどういうことが起こったのかについて思いをはせることはなかったのでしょうか。
原爆の後遺症で今も苦しむ多くの人たちがいることは誰でも知っている、高市さんもそれくらいはご存知に違いない。
しかし、原爆投下後の広島、長崎でたくさんの畸形児が生まれ、占領軍(米軍)の圧倒的情報封鎖、報道禁止により闇から闇へと葬られてしまったことは、おそらく知らないのではないでしょうか。
目のない赤ちゃん、耳のない赤ちゃんが次々と生まれ、そして亡くなっていった・・・・
アメリカは生き残った「原爆乙女」たちは大歓迎したが、原爆によって生まれた畸形の赤ちゃんの存在は許さなかった。
私たちも遠くのベトちゃん、ドクちゃんに同情を寄せたが、身近にいる同胞の人々の苛酷な運命には鈍感であった。
アメリカに学んだ高市さんが原子力事故がもたらす悲惨さへの想像力を全く持ち合わせていないのはそういう教育を受けてこなかったからでしょう。
私たちは見たくないものを忘れよう、無かったことにしようと無意識に自分を操作してしまう。
日常の安穏を脅かす異物にはなるべくなら触れたくない。
そういう見たくないもの、触れたくないもの、忘れてはいけないものがもっている「真実」や「不条理」を静かに人々の前に提示すること、アートが担う大事な役割のひとつだと思います。
(現在、ときの忘れもののHPでは原則として価格は明示していません。)

どういうことかとあちこち我がHPを検索したところ、とうの昔に削除していたはずの「通販ショップ」(価格を明示していた)のページが数点分、残っていたのですね。
10年ほど前のそのページには、鈴木作品が確かに価格入りで掲載されていました(安い!)。
慌てて倉庫を探索し、無事Sさんにお買い上げいただきました(感謝!)。
亭主は「ときの忘れもののHPには行方不明のページはありません」と自慢していたのですが、漏れはあるものですね。スタッフに指示して各ページを削除しました。
それにしても、20年も前に49歳で早世した作家の作品をよくぞ見つけてくださった。
鈴木信吾さんと亭主はほぼ同世代で、当時の会社(現代版画センター)の税理士さんが鈴木さんと同級生だった関係で知り合い、数点のエディションをつくりました。
一度掲載した情報はこちらが削除しない限り、永遠にバーチャル空間に存在し続ける、ネットの力を今更ながら痛感した次第です。
ブログは一年365日<毎日更新>しています。
これはひとえに連載をしてくださっている執筆者の皆さんのおかげです。
いえ、何よりこれを読んでくださる読者の皆さんこそ、毎日更新のエネルギー源です。
6月25日からは小林美香さんの新連載「母さん目線の写真史」が始まります。
タイトルからしてワクワクします、どうぞご期待ください。
執筆陣のあいまを埋めるのは亭主とスタッフたちですが、ときの忘れものが扱う同時代の作家たち、そして時の彼方に忘れ去られようとしている大切な作家たちの情報を丁寧にお伝えしたいと思っています。
ブログでは政治的なことや、ネガティブなことは意識して避けていますが、今日は少し脱線。
先日の高市早苗さんの「福島第1原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」との発言には悲しみを覚えました。
この方は講演のとき、広島や長崎に原爆が投下された後にどういうことが起こったのかについて思いをはせることはなかったのでしょうか。
原爆の後遺症で今も苦しむ多くの人たちがいることは誰でも知っている、高市さんもそれくらいはご存知に違いない。
しかし、原爆投下後の広島、長崎でたくさんの畸形児が生まれ、占領軍(米軍)の圧倒的情報封鎖、報道禁止により闇から闇へと葬られてしまったことは、おそらく知らないのではないでしょうか。
目のない赤ちゃん、耳のない赤ちゃんが次々と生まれ、そして亡くなっていった・・・・
アメリカは生き残った「原爆乙女」たちは大歓迎したが、原爆によって生まれた畸形の赤ちゃんの存在は許さなかった。
私たちも遠くのベトちゃん、ドクちゃんに同情を寄せたが、身近にいる同胞の人々の苛酷な運命には鈍感であった。
アメリカに学んだ高市さんが原子力事故がもたらす悲惨さへの想像力を全く持ち合わせていないのはそういう教育を受けてこなかったからでしょう。
私たちは見たくないものを忘れよう、無かったことにしようと無意識に自分を操作してしまう。
日常の安穏を脅かす異物にはなるべくなら触れたくない。
そういう見たくないもの、触れたくないもの、忘れてはいけないものがもっている「真実」や「不条理」を静かに人々の前に提示すること、アートが担う大事な役割のひとつだと思います。
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