ときの忘れものでは、本日9月11日[水]―9月21日[土]まで「細江英公写真展ー抱擁」を開催します(※会期中無休)。
細江展DM
抱擁48、1970
1970(Printed later)
デジタル・ピグメントプリント
150×188cm Ed.3
Singed

肉体の美を簡潔に捉え、プリントも男の肉体の黒さと女の白さの対比を際立たせています。
今回はシリーズの中から、特大サイズによる7点をご覧いただきます。

『おとこと女』(1961年 写真集)の続編とも言うべき『抱擁』シリーズは、1971年5月1日の奥付で写真評論社より写真集が刊行され、ドキュメント性を重視するリアリズムが主流の時代において、独特の性美学と肉体の斬新な表現を打ち出した写真として高い評価を獲得しました。
序文は、その前年1970年(昭和45年)11月25日に市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺を遂げた三島由紀夫です。


序    三島由紀夫
 細江英公氏の「抱擁」といふ連作は、雑誌発表当時から、その何か凛冽とも云ひたい美で深く心を搏つた。性における粘液的なもの、内臓的なもの、柔らかい不定形な内部の温度や匂ひ、さういふものは「抱擁」から潔癖に排除されてゐる。この連作は硬質で、アスレテイツクな美に溢れてゐる。何よりもまづ、それは「形」なのだ。
(中略)
 硬い、意思的な緊張を以てしか、恍惚を表現できない人間の、切羽づまつた姿が、「抱擁」の哀切感の一つの理由でもある。モデルたちはまるで戦つてゐるかのやうだ。しかも、それらの間に、残雪のやうな、目のさめるほどの抒情的な白い肉が突然あらはれる。その白は優雅の極みである。しかし決して融けた濕つた白ではなくて、凛冽な「形」を保つて崩れないのである。
 凡百のヌード写真を見馴れた人は、「抱擁」の高い気品に、あるひはたじたじとなるかもしれない。抱擁とは野性の高貴であり、カメラのメカニズムの永遠の憧れなのだ。
(後略)

1971「抱擁」初版本(写真評論社)序文より(執筆1970年9月)


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既に自死を覚悟していたであろう三島由紀夫が「神は死に、人間が世界に裸で直面してゐるのである。矜りもなく、羞恥もなしに。 硬い、意思的な緊張を以てしか、恍惚を表現できない人間の、切羽づまった姿が、『抱擁』の哀切感の一つの理由でもある。モデルたちはまるで戦ってゐるかのやうだ」と書いていますが、細江先生のこの作品にかけた意気込みは激しく、ご自身、「ファインダーを覗く私の眼は充血のため一時視力を失」うほどの緊張と集中を強いた撮影でした。
<あとがき>には、ビル・ブラントの 写真集『PERSPECTIVES SUR LE NU』 の中の写真が自身の写真と酷似していたことにより、撮影を一切中止し、ブランクを生んだとあります。ビル・ブラントを越えたと思った、思わなければと奮起した時に撮影を開始し、10年間を一瞬に集中し、3回の撮影で、“抱擁” の強さと優しさを作品化することに成功したのでした。

今回展示する7点のリストはホームページに掲載しました。
価格については、お気軽にお問い合わせください。
折り返し価格リストをお送りします。
E-mail. info@tokinowasuremono.com


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細江英公 Eikoh HOSOE(1933-)
写真家。清里フォトアートミュージアム館長。1933年山形県生まれ。本名・敏廣。18歳のときに[富士フォトコンテスト学生の部]で最高賞を受賞し、写真家を志す。52年東京写真短期大学(現東京工芸大学)入学。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い強い影響を受ける。54年卒業。56年小西六ギャラリーで初個展。63年三島由紀夫をモデルに撮った[薔薇刑]で評価を確立し、70年秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルに撮影した[鎌鼬(かまいたち)]で芸術選奨文部大臣賞受賞。《おとこと女》や《抱擁》など数々の名作を残している。98年紫綬褒章授受、07年旭日小授章受章、08年毎日芸術賞受賞、2010年文化功労者として顕彰される。戦後日本の写真界を牽引し、海外での評価も高く、2003年には英国王立写真協会より特別勲章を授与された。

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