鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第8回
「沈まない太陽」
前々回の“太陽は一つです”でも書いたように、太陽は写真家としての百瀬の意識のなかにつねにあり、限りない宇宙への畏敬の念とともに、好奇心の対象にもなっている。それが究極の行動となって表れたのが、白夜で沈まない太陽を撮影するために1985年の夏、ノルウエーの最北端ノールカップ(北岬)へ向かった旅だ。当時はまだ米国とソ連が思想的に対立する冷戦時代、西側で民間人が行けるユーラシア大陸の最北端がそこだった。
「ノールカップのことは、学生時代の1968年に最初に北欧を旅行したときに初めて聞いて、白夜で、太陽が24時間沈まないとは不思議だな……? どういう状況なのだろう? と、ずっと行ってみたいと思っていた」
このときの旅は私と、当時小6だった娘も一緒で、夏休みに合わせて7月16日に成田を出発し、帰国はシベリア鉄道経由で、横浜港に着いたのが9月6日という大旅行だった。けれども旅のおもな目的はあくまでもノールカップでの撮影。まずはスイスに住む百瀬の兄貴分ポールさんのところに寄って、フォルクスワーゲンのワゴンをキャンプカーに改造した車を借りてひたすら北進。沈まない太陽が見られるのは7月30日頃までと聞き、それに間に合うよう、フィヨルドのくねくねした道に苛つきながら、1日500㌔、600㌔も走って、目指すノールカップに着いたのがぎりぎり7月29日の夜8時半頃だった。
その数日前から白夜の雰囲気はあり、太陽が山陰に隠れるのが夜の11時半頃、北極圏を越えてからは光景も殺伐としてきていたのだが、着いたところはちょっとした名所。夜の10時を過ぎると、真夜中の太陽を見るためか、物好きな人を乗せた車やバスが何台もやって来た。けれども、記念写真などを撮ってさっさと帰る人が多く、何日も滞在するのは少数派? わけても、北極からの風が吹きすさぶなか、断崖絶壁の岬に陣取って、カメラを三脚でセットし、毛布にくるまりながら、沈まない太陽を追う百瀬の姿は見物だった。百瀬の頭にあったのは多重露光による連続写真、しかも当時はまだフィルムだった。
「やり方は前もって考えていたけれど、現場での太陽の光とか、実際にやってみないとわからない。ぶっつけ本番もいいところで、次の機会もないから、たった1枚の写真になる。しかも結果は現像するまでかわからない……」
真夜中12時の太陽がいちばん下に来るところから逆算して、夕方の6時に撮影を始め、1時間ごとにシャッターを押して、計7回。ずっと明るかったとはいえ、終わったのは翌日の午前1時だった。
「寒かったどころじゃない。吹きすさぶ風で三脚が飛ぶのが心配だった。帰国して、現像して、初めてなんとか撮れているのがわかったけれど、いま思うと大変なことをしたと思う。そういう達成感はある」
百瀬恒彦
2012年撮影
デジタル
それから時代は大きく変わり、フィルムからデジカメに切り替えた百瀬は、去年2012年5月、日本で観察できる世紀の天体ショー「金環日食」のとき、ノールカップを思い出してか、美しい金の環を描く太陽にカメラを向けた。
「デジだったらどう撮れるか、興味があった。苦労せずにきれいな写真が撮れて、あとで加工もできるのはいいんだけれど、そのぶん逆に、フィルムのときの真剣さを忘れてはいけないと思う」
ところで、わざわざノールカップまで行って撮った沈まない太陽の連続写真は「自分ひとりだけの宝物」として、これまでどこにも発表してこなかった。というわけで、今回が初公開です!
百瀬恒彦
1985年撮影
コダクローム 35ミリポジフィルム
(とっとりきぬこ)
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
「沈まない太陽」
前々回の“太陽は一つです”でも書いたように、太陽は写真家としての百瀬の意識のなかにつねにあり、限りない宇宙への畏敬の念とともに、好奇心の対象にもなっている。それが究極の行動となって表れたのが、白夜で沈まない太陽を撮影するために1985年の夏、ノルウエーの最北端ノールカップ(北岬)へ向かった旅だ。当時はまだ米国とソ連が思想的に対立する冷戦時代、西側で民間人が行けるユーラシア大陸の最北端がそこだった。
「ノールカップのことは、学生時代の1968年に最初に北欧を旅行したときに初めて聞いて、白夜で、太陽が24時間沈まないとは不思議だな……? どういう状況なのだろう? と、ずっと行ってみたいと思っていた」
このときの旅は私と、当時小6だった娘も一緒で、夏休みに合わせて7月16日に成田を出発し、帰国はシベリア鉄道経由で、横浜港に着いたのが9月6日という大旅行だった。けれども旅のおもな目的はあくまでもノールカップでの撮影。まずはスイスに住む百瀬の兄貴分ポールさんのところに寄って、フォルクスワーゲンのワゴンをキャンプカーに改造した車を借りてひたすら北進。沈まない太陽が見られるのは7月30日頃までと聞き、それに間に合うよう、フィヨルドのくねくねした道に苛つきながら、1日500㌔、600㌔も走って、目指すノールカップに着いたのがぎりぎり7月29日の夜8時半頃だった。
その数日前から白夜の雰囲気はあり、太陽が山陰に隠れるのが夜の11時半頃、北極圏を越えてからは光景も殺伐としてきていたのだが、着いたところはちょっとした名所。夜の10時を過ぎると、真夜中の太陽を見るためか、物好きな人を乗せた車やバスが何台もやって来た。けれども、記念写真などを撮ってさっさと帰る人が多く、何日も滞在するのは少数派? わけても、北極からの風が吹きすさぶなか、断崖絶壁の岬に陣取って、カメラを三脚でセットし、毛布にくるまりながら、沈まない太陽を追う百瀬の姿は見物だった。百瀬の頭にあったのは多重露光による連続写真、しかも当時はまだフィルムだった。
「やり方は前もって考えていたけれど、現場での太陽の光とか、実際にやってみないとわからない。ぶっつけ本番もいいところで、次の機会もないから、たった1枚の写真になる。しかも結果は現像するまでかわからない……」
真夜中12時の太陽がいちばん下に来るところから逆算して、夕方の6時に撮影を始め、1時間ごとにシャッターを押して、計7回。ずっと明るかったとはいえ、終わったのは翌日の午前1時だった。
「寒かったどころじゃない。吹きすさぶ風で三脚が飛ぶのが心配だった。帰国して、現像して、初めてなんとか撮れているのがわかったけれど、いま思うと大変なことをしたと思う。そういう達成感はある」
百瀬恒彦2012年撮影
デジタル
それから時代は大きく変わり、フィルムからデジカメに切り替えた百瀬は、去年2012年5月、日本で観察できる世紀の天体ショー「金環日食」のとき、ノールカップを思い出してか、美しい金の環を描く太陽にカメラを向けた。
「デジだったらどう撮れるか、興味があった。苦労せずにきれいな写真が撮れて、あとで加工もできるのはいいんだけれど、そのぶん逆に、フィルムのときの真剣さを忘れてはいけないと思う」
ところで、わざわざノールカップまで行って撮った沈まない太陽の連続写真は「自分ひとりだけの宝物」として、これまでどこにも発表してこなかった。というわけで、今回が初公開です!
百瀬恒彦1985年撮影
コダクローム 35ミリポジフィルム
(とっとりきぬこ)
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
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