先日のブログで木村利三郎先生の訃報(5月17日死去)をお伝えしました。
リサさんを愛する方々からお問合せやメッセージをたくさんいただきました。
横須賀のご親族の方から、お別れ式についてのご連絡をいただきましたので、謹んでお知らせいたします。

木村利三郎先生のお別れ式
日時:2014年6月7日(土)13時
場所:セレモニーホール衣笠
   神奈川県横須賀市衣笠栄町2-8
   ☎046-852-4444
交通:JR 横須賀線 衣笠駅下車、徒歩2分程度

私たちはどうしても外せない出張が入っており、まことに残念ですが出席できません。遠くの空から利三郎先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
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先日も書きましたが、利三郎先生は私たちのエディション作家であり、最高の教師でした。
現代版画センターの機関誌「版画センターニュース」にはたくさんの原稿をNYから送ってくださいました。
このブログでいくつか再録させていただきます。

木村利三郎 ■ ニューヨーク便り1(1979年)
「ウェストベス」


 ぼくの住む、ウェストベスは一九六九年に開設されたアーチストハウジングだ。マンハッタン島のダウンタウン、ハドソン河のすぐそばにある。ウエスト通りとベスーン通りの一角に位置するからそれぞれの通りの名の文字を合わせたものだ。あまりにも有名になったSOHOはハウストン通りの南という意味をかんたんにいった言葉だ。ニューヨーク近代美術館はこの方法でMMAN(マアン)という、あまりキレイな言葉ではない。
 現在ウエストベスには三七五世帯の芸術家が住んでいる。約一五〇人の画家、五〇人ほどの彫刻家それに建築、ジャズ、クラシック音楽、詩、小説、写真、ヤキモノ、俳優、版画、など一七種のジャンルの芸術家の巣だ。マースカンニングハムのダンス場も十一階にある。ぼくの上の階にはニューヨークで一人しかいない古典劇のためのマスクメーカーが住んでいる。日本人は川端実をはじめとして七世帯ぐらい。
 一九六八年、全米芸術家教会がカプロン財団をスポンサーとして希望者を募集したときの条件は、まずプロの芸術家であること、美術関係者二人のスイセン状、そして一人の年収が一万二千弗を超えないこととなっていて面接があった。あれから八年、住人もずいぶん変ったが、以前として入居希望者は多くウェイティングリストにのって入居をまっている人は六百人程いると事務所はいっていた。
 ニューヨークは今ホテルの部屋もアパートもたりず家賃は大変高い。女の子一人で住むための少さな一部屋だけのものでもあまり場所がよくないところで最低250$ぐらいする。ぼくの部屋は27m×14mで勿論バス、キッチン付で付き229$、それに光熱費はいくら使ってもタダ、台所の火もすべてタダ。タタミ四畳ぐらいの大きな天窓がついている。まあ安くてよいとこだが、八年あまりも住んでいるとそろそろアキてくる。
 第一すべての住人がものつくりかそれに近い人たちとなると会話はいつもそんな風なことが中心になる。入居した当座はなにかスゴイ処で、例へば十九世紀のパリのサロンかミューヘンの芸術運動の集団のように思えた。みんな立派な顔をしているしヨーロッパの作家も来ていたし、でも案外に平凡な作家が多く、華やいたニューズはSOHOの方がはるかに多い。
 ここのよい点は芸術家それぞれに必要な設備が用意されていることだ。ヤキモノ用の各種カマ、写真用の個人別暗室、版画用の仕事場とプレス機、彫刻家用特別大きい仕事場、そしていくつかの画廊。ガードは24時間ワッチしていてくれる。同じビルの中の友人にはいつでも簡単に会えるし、仕事上の技術や材料のことをいろいろと聞けるし、ともすると人間関係の薄くなる大都会の生活のなかでとても便利である。男女関係もこの中で自給自足できるらしい。
 でも欠点がないわけではない。ほぼ同じ構造同じ色、同じような仕事。なにかブロイラーの飼育場みたいに思われてくる。そして毎日毎日安い卵を生んでいるみたいだ。はじめの数年間で六人の自殺者がでた。これと同じようなものをブルックリンとかシカゴでつくるという話をきいたがついにつくらなかったらしい。海中に岩で巣をつくり小魚をあつめ、ついで中魚が集りそれを捕ってということをねらったらしいが計画通りにはいかなかったのだ。
 ぼくはあきれはきたがハドソン河端でワインをのんだり屋上であきることなくニューヨークのスカイラインをながめたり、なかなかよいものだと思っている。竜宮城のような日本から帰って来て自分だけの空間と時間を再び手にしたとき使いなれたこのストジオは古女房のように感じられた。
 パリでもここニューヨークでも芸術家は大体同じ地域に集り住む、TOKYOでは飲み屋では会うがあまり集団では住まない、芸術哲学のちがいか、それともすべてが同一民族だからいまさら集団化したくないのか、昔日本には座という組織があって自分たちの権利をまもっていたのに。日本ではなんでも集団をつくると必ず階級性ができそれを個人の生活までもち込まれると困るから生活集団はつくらないのかも知れない。
 カーニンハムやジャズのビリーハッパーや写真家のレオナルドマリーマンなど日本でも有名な連中がここでは特別な存在としてうつらない。みんなそれぞれ一個の芸術家として存在し、自己の仕事上の利益をまもることが主目的なのだから。音や水やニオイや時間が平常の人たちの中にいるとつい自己本位につかうのでクレームがつくことが多い。それでこうしてあつまっているのではないか。(つづく)
きむら りさぶろう
『版画センターニュース No.46』所収
1979年4月1日 現代版画センター発行

名称未設定-6
1979年ニューヨークにて
木村利三郎先生

名称未設定-2
木村利三郎
「離島」
水彩
19.5×27.5cm
Signed

名称未設定-8
木村利三郎
「City」シリーズより
1970年
シルクスクリーン
22.0×27.0cm
Ed.20 Signed

名称未設定-4
木村利三郎
「Manhattan A」
銅版
12.5×17.0cm
Ed.50 Signed

*上掲の3点はいずれも久保貞次郎旧蔵作品