Collectors and dealers pay attention to artist's retrospectives at major museums.
笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第5回
有力美術館での作家の回顧展にコレクターや画商は注目する。
スイスの画商の執拗な<利益>へのこだわりに辟易させられた事、1回や2回ではない。なぜ、こんなにも、それへの固執が強いのか……? 未だに、その解を見いだせてない。なにげない対話をしている分には良い人達なのだ。しかし、金銭がからみ、何らかの利害関係がそこに発生すると、ガラリと変る。
<商売>は相手があって成立するもの。しかし、それが彼等の視界から抜け落ちたかのように、自己中心的思考に没入する。顧客への配慮など微塵も感じられない。
あるスイスの超一流画廊での出来事は、今でも記憶に強く残っている。
★《日記1》
Jun. 15, 16, 1994
この画廊に、ソール・スタインバーグ(注1・資料1・資料2)の“China Landscape 1971”〔72.4x100.3〕cmはまだ売れずにあった。「$10,000.-」とのこと。「価格のネゴには応じられない」と強気に出てきた。この値で予約。「日本に戻ったら送金します」「分かりました。それでいいですよ」
(日記1は下部の赤文字部分に続く)
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■注1
ソール・スタインバーグ〔Saul Steinberg: 1914-99〕
1914年ルーマニア生れ。イタリアのミラノで、心理学、社会学、建築学を学ぶ。第2次大戦時に、アメリカに移住。ニューヨークに住む。〔ユダヤ系アメリカ人〕
雑誌のイラストレーターとして活動。当時の人気雑誌「ニューヨーカー」の表紙などを描く。又、他の高級誌にも寄稿し、漫画家としての地位を築く。と同時に絵画作品も描きだす。
他作家が使わないようなテクニックを使い作品を制作、漫画家らしい新しいイメージを創出。
■資料1

初期の作品。フィンガー・プリント〔指の指紋〕で、雲や丘の情景を表現し、構図は、幼少期に何処かで見たような、ホッコリとした懐かしさを感じるような光景を描いている。
■資料2

スタインバーグの60年代の作品。このあたりで、シッカリと自分のスタイルを確立。キュービズムとアール・ヌーボーのスタイルを混ぜ合せたような独特の画面からは、一種のユーモアさえも感じさせる。この2人のご婦人は何をしようとしているのだろうか……?
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(日記1の続き)
この作品の技法、“Stamped drawing”(注2)を聞き忘れ、気になったので、翌朝、HotelからFAXを画廊に送り、「この技法は……?」と尋ねた。予想すらできないとんでもない答が返ってきた。
「I wanted to let you know anyhow that we had a client yesterday in the afternoon who reserved Steinberg’s “China Landscape” and will probably buy it. I am very sorry !」
[なんとかして連絡をとろうとしていたのだが、昨日の午後来た客が、チャイナ・ランドスケープを予約しました。おそらく、彼はそれを買うと思います。大変申し分けない。]
要するに、「私より後に来た客に作品を売ります」との断りのFAXが来たのだ。商道徳のカケラも感じられないこの文面に唖然とし、一瞬、怒りさえもこみあげてこなかった。自分の言った事に責任も持たず、自己都合でいとも簡単に取り決めを破棄する。
これが、世界で超一流と言われる画廊の思考パターンなのか……
-------------------------------------------------------------------
■注2
あるパターンの“ゴム印”をつくり、それを紙の上に何回も押して、作品のイメージを制作したのが Stamped drawing。文中のケースは、1つのゴム印だけを利用して、それを相当回数押して、中国の風景を表現していた。
ステインバーグらしい作品だった。しかも、制作年は1971年、まさに全盛期の作品である。
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至極気分は良くないが、「画商もイロイロ」所変われば品変わる、と思えば気もまぎれる。が、事はそんなに単純でなかった。さらに、この奥があった。1年後の事である。
★《日記2》
Jun. 17, 1995
例の画廊にフラリと立ち寄ってみた。前年、作品購入の件で対面した女性がいた。この画廊の性格をはかるケース・スタディとして「手頃」と思った。「スタインバーグの“China Landscape”はあります?」 何食わぬ顔で尋ねてみた。「チョット待って下さい」オフィスに入り、チェックしたのか、ケロッとして、「ありますわよ」
「なぜだ!?」と思ったが、冷静に、「それいくら?」 「$25,000.-です」(注3)
約束を反故〔ほご〕にし、「予約が入ったので、そちらに売る」と体をかわしたのが1年前。しかし、その≪荷動き≫は現実にはなかったようだ。しかも、価格が2.5倍とは……!
なにが、背後にあったのか……?
これ又、後味がよくない。かと言って、問いただす気にもならなかった。
-------------------------------------------------------------------
■注3
ここはスイスなのに、「なぜ、自国通貨〔スイス・フラン〕で作品の価格表示をしないのか?」と誰もが感じるはずだ。
<ある期間の為替レートのトレンド>を注視し、「どの通貨をとれば、自分に有利か……」を考える。
例えば、このケースで、U.S.$で価格表示をしておき、購入者がスイス・フランでの決済を望むと、その日の為替レートで換算したスイス・フランの額を要求する。スイスの画廊なのに、いかにも、まわりくどい価格づけだ。これも、いくばくかでも多くの利益をとるためだ。この画廊は、U.S.$とS.FR〔スイス・フラン〕の2種で、1枚のコインの表と裏を使い分けるように、よくこの手をつかう。
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スイスから、ドイツのデュッセルドルフを回って、パリに入った。
★《日記3》
Jun. 26, 1995 〔Galerie Lelong〕
時間があったので、暇つぶしに、パリの超一流画廊、ルロンに寄ってみた。雑談をしている時、聞きたくもないと思っていたスタインバーグの話が偶然に出てきた。「来年、マドリードのレイナー・ソフィア(注4)で、ソール・スタインバーグの回顧展がありますよ。要注意ですね」
「ハッ」とすると同時に、スイスのあの画廊の動きがすべて読めた。自分が予約した後、この情報が入ったのだろう。「2年も先の情報」を嗅ぎつけると、俊敏な動きに入る。
まず、打ったのは私へのスイス製の芝居。
ルロンでも、「スタインバーグの作品は以前の価格では渡せない」とつぶやいていた。〔ルロンはヨーロッパでのスタインバーグのリプレゼンタティブ(代理店)である〕
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■注4
正式名は“国立ソフィア王妃美術センター”。ピカソの“ゲルニカ”はここに展示されている。
ミロ、ダリ、タピエス……などの極上質の作品も展示されていて、スペインを代表する現代美術の殿堂。
世俗の話だが……。コレクターや美術関係者は、ここで回顧展が開催される作家に強い視線をそそぐ。
「その作家の作品価格がハネる」のが常だから。
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欧米各国には、その国を代表する世界的に評価の高い超一流の美術館がある。そこで、回顧展や個展が開かれることは、その作家にとって、栄誉なことで、位置づけもさらに強固にするものだ。当然、美術市場でも並々ならぬ関心を持つ。顧客やマスメディア及び評論家などの反応が良いと価格はハネル。
ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク近代美術館とグゲンハイム美術館で、1996年、ほぼ期を同じくして、ジャスパー・ジョーンズ〔1930~ 〕とエルズワース・ケリー〔1923~ 〕(注5・資料3)の回顧展が開かれた。〔J・ジョーンズはニューヨーク近代美術館で、1996年10月20日~1997年1月21日。E・ケリーはグゲンハイム美術館で、1996年10月18日~1997年1月15日〕
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■注5
エルズワース・ケリー〔Ellsworth Kelly: 1923~ 〕。ニューヨーク州生まれのアメリカ人。渡仏時代〔1948~54〕を含め50年代はコラージュの制作に注力。最近、ヨーロッパでも、アメリカでも、市場で彼の“50年代のコラージュ”はほとんど見られないが、1985年秋、ニューヨークのレオ・カステリで、1点のみ見たことがあった。1958年の黄土色と黒の光沢のある特殊な紙でつくられた作品で、25×20センチくらいの小品だった。当時の価格は1万4,000ドル〔1ドル=約160円〕。今なら、軽く2,000万円を超えるだろう。これを購入しなかったことを、今も悔やんでいる。「二度と目にできない」と思う。決断力はコレクターのキーワード。
ポーラ・クーパー画廊もケリーには並々ならぬ関心をもっていた。ケリーが1964~66年の間に制作したコラージュで、1992年2月14日~3月14日に個展を開いている。
明解な色彩の極めて単純な幾何抽象作品を本格的に制作しだしたのは、1954年にフランスから帰国してからだった。白と黒、白と緑などのシャレタ色彩の組み合わせで、二種の図形〔四角形、半円、三角形……〕を重ねたり、接合させたりしたシンプルな作品。そこには、なにか近寄り難い知的な雰囲気があり、“冷たい抽象”とも言われたのが分かる気がした。
80年代~90年代にかけ、ニューヨークで時々ケリーの個展を開いた画廊は、ブラム・ヘルマン〔Blum Helman: 20 West 57 Street〕とマシュー・マークス〔Matthew Marks: 522 West 22 Street〕。時に、驚かされたのはブラム・ヘルマンでの展示。美しい木目がはっきりと出た巨大な細長い白木板で、縦方向の左端にゆるやかなカーブをほどこしたのみの作品。ケリーらしい色彩も塗られてなく、木地そのものである。日本のもの派の作品を見ているような錯覚に陥ったが、洗練されたその雰囲気はそれとは比較にならなかった。
■資料3

Feb. 9, 1990〔Blum Helman〕
“MINIMAL ART 展”を開いていた。
この写真は画廊の一部。右にあるのがジャッドの作品。左のもの〔白と黒の作品〕がケリーの作品。
3等分割の画面の中央部の白の部分が黒の部分より、少し浮き上っていて凸状になっている。初期の上質の作品。
1965~66年にかけて制作され、サイズは〔149.9x144.8x5.1〕cmの作品。
Oil on canvas.
Not for sale だった。
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2館共に、アメリカを代表する有力美術館である。又、2館はタクシーで10分弱程の距離しか離れてない。多くのコレクターや美術愛好の人々は2つの回顧展をハシゴして見たのだ。この状況だから、比較感が出ないわけはない。
「ケリーに対する評価は非常に良かった」アメリカのマスメディアも一斉に話題にし始めた。彼のあらゆる種類の作品に、その評価が反映したことは言うまでもない。
このケースでは、個展の内容への単なる評価だけでなく、“比較” (注6・資料4)もひとつの要素となり価格のハネ方は大きくなった。
さらには、あまり目立つこともなく、地道に内容のある作品の制作を続けてきたE・ケリーへの賞賛は、より一層、彼の地位を固めるものとなった。
世界的な有力作家は一定の期間を置いて、多様な国々で個展が開催されるので、作品の価格上昇への機会が多くなる。コレクターは、これに常に注目をしている。画商もしかりだ。
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■注6
幾何抽象を描いたケリーの作品は、あっけにとられる程シンプルで、かつ人を寄せつけないような知的な雰囲気がある。
その品格がある作品内容や作家の力量は以前から認められていたが、作品の性格からか……、その価格は他の有力作家と比べると出遅れ感が強く、割安に放置されていた。
今回、至近距離でのほぼ同期開催の有力作家展は、恰好の比較材料を提供したことになった。
■資料4
“White Relief with Green”
1994
Oil on canvas, two joined panels
〔304.8x152.4〕cm
グゲンハイム美術館での“ケリー回顧展”の2年前に制作された作品。この頃のケリーの典型的な作品。知的な雰囲気をふりまく。
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(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、『現代美術コレクションの楽しみ:商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』(三元社、2013年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)、他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
◆笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第5回
有力美術館での作家の回顧展にコレクターや画商は注目する。
スイスの画商の執拗な<利益>へのこだわりに辟易させられた事、1回や2回ではない。なぜ、こんなにも、それへの固執が強いのか……? 未だに、その解を見いだせてない。なにげない対話をしている分には良い人達なのだ。しかし、金銭がからみ、何らかの利害関係がそこに発生すると、ガラリと変る。
<商売>は相手があって成立するもの。しかし、それが彼等の視界から抜け落ちたかのように、自己中心的思考に没入する。顧客への配慮など微塵も感じられない。
あるスイスの超一流画廊での出来事は、今でも記憶に強く残っている。
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★《日記1》
Jun. 15, 16, 1994
この画廊に、ソール・スタインバーグ(注1・資料1・資料2)の“China Landscape 1971”〔72.4x100.3〕cmはまだ売れずにあった。「$10,000.-」とのこと。「価格のネゴには応じられない」と強気に出てきた。この値で予約。「日本に戻ったら送金します」「分かりました。それでいいですよ」
(日記1は下部の赤文字部分に続く)
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■注1
ソール・スタインバーグ〔Saul Steinberg: 1914-99〕
1914年ルーマニア生れ。イタリアのミラノで、心理学、社会学、建築学を学ぶ。第2次大戦時に、アメリカに移住。ニューヨークに住む。〔ユダヤ系アメリカ人〕
雑誌のイラストレーターとして活動。当時の人気雑誌「ニューヨーカー」の表紙などを描く。又、他の高級誌にも寄稿し、漫画家としての地位を築く。と同時に絵画作品も描きだす。
他作家が使わないようなテクニックを使い作品を制作、漫画家らしい新しいイメージを創出。
■資料1

初期の作品。フィンガー・プリント〔指の指紋〕で、雲や丘の情景を表現し、構図は、幼少期に何処かで見たような、ホッコリとした懐かしさを感じるような光景を描いている。
■資料2

スタインバーグの60年代の作品。このあたりで、シッカリと自分のスタイルを確立。キュービズムとアール・ヌーボーのスタイルを混ぜ合せたような独特の画面からは、一種のユーモアさえも感じさせる。この2人のご婦人は何をしようとしているのだろうか……?
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(日記1の続き)
この作品の技法、“Stamped drawing”(注2)を聞き忘れ、気になったので、翌朝、HotelからFAXを画廊に送り、「この技法は……?」と尋ねた。予想すらできないとんでもない答が返ってきた。
「I wanted to let you know anyhow that we had a client yesterday in the afternoon who reserved Steinberg’s “China Landscape” and will probably buy it. I am very sorry !」
[なんとかして連絡をとろうとしていたのだが、昨日の午後来た客が、チャイナ・ランドスケープを予約しました。おそらく、彼はそれを買うと思います。大変申し分けない。]
要するに、「私より後に来た客に作品を売ります」との断りのFAXが来たのだ。商道徳のカケラも感じられないこの文面に唖然とし、一瞬、怒りさえもこみあげてこなかった。自分の言った事に責任も持たず、自己都合でいとも簡単に取り決めを破棄する。
これが、世界で超一流と言われる画廊の思考パターンなのか……
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■注2
あるパターンの“ゴム印”をつくり、それを紙の上に何回も押して、作品のイメージを制作したのが Stamped drawing。文中のケースは、1つのゴム印だけを利用して、それを相当回数押して、中国の風景を表現していた。
ステインバーグらしい作品だった。しかも、制作年は1971年、まさに全盛期の作品である。
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至極気分は良くないが、「画商もイロイロ」所変われば品変わる、と思えば気もまぎれる。が、事はそんなに単純でなかった。さらに、この奥があった。1年後の事である。
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★《日記2》
Jun. 17, 1995
例の画廊にフラリと立ち寄ってみた。前年、作品購入の件で対面した女性がいた。この画廊の性格をはかるケース・スタディとして「手頃」と思った。「スタインバーグの“China Landscape”はあります?」 何食わぬ顔で尋ねてみた。「チョット待って下さい」オフィスに入り、チェックしたのか、ケロッとして、「ありますわよ」
「なぜだ!?」と思ったが、冷静に、「それいくら?」 「$25,000.-です」(注3)
約束を反故〔ほご〕にし、「予約が入ったので、そちらに売る」と体をかわしたのが1年前。しかし、その≪荷動き≫は現実にはなかったようだ。しかも、価格が2.5倍とは……!
なにが、背後にあったのか……?
これ又、後味がよくない。かと言って、問いただす気にもならなかった。
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■注3
ここはスイスなのに、「なぜ、自国通貨〔スイス・フラン〕で作品の価格表示をしないのか?」と誰もが感じるはずだ。
<ある期間の為替レートのトレンド>を注視し、「どの通貨をとれば、自分に有利か……」を考える。
例えば、このケースで、U.S.$で価格表示をしておき、購入者がスイス・フランでの決済を望むと、その日の為替レートで換算したスイス・フランの額を要求する。スイスの画廊なのに、いかにも、まわりくどい価格づけだ。これも、いくばくかでも多くの利益をとるためだ。この画廊は、U.S.$とS.FR〔スイス・フラン〕の2種で、1枚のコインの表と裏を使い分けるように、よくこの手をつかう。
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スイスから、ドイツのデュッセルドルフを回って、パリに入った。
★《日記3》
Jun. 26, 1995 〔Galerie Lelong〕
時間があったので、暇つぶしに、パリの超一流画廊、ルロンに寄ってみた。雑談をしている時、聞きたくもないと思っていたスタインバーグの話が偶然に出てきた。「来年、マドリードのレイナー・ソフィア(注4)で、ソール・スタインバーグの回顧展がありますよ。要注意ですね」
「ハッ」とすると同時に、スイスのあの画廊の動きがすべて読めた。自分が予約した後、この情報が入ったのだろう。「2年も先の情報」を嗅ぎつけると、俊敏な動きに入る。
まず、打ったのは私へのスイス製の芝居。
ルロンでも、「スタインバーグの作品は以前の価格では渡せない」とつぶやいていた。〔ルロンはヨーロッパでのスタインバーグのリプレゼンタティブ(代理店)である〕
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■注4
正式名は“国立ソフィア王妃美術センター”。ピカソの“ゲルニカ”はここに展示されている。
ミロ、ダリ、タピエス……などの極上質の作品も展示されていて、スペインを代表する現代美術の殿堂。
世俗の話だが……。コレクターや美術関係者は、ここで回顧展が開催される作家に強い視線をそそぐ。
「その作家の作品価格がハネる」のが常だから。
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欧米各国には、その国を代表する世界的に評価の高い超一流の美術館がある。そこで、回顧展や個展が開かれることは、その作家にとって、栄誉なことで、位置づけもさらに強固にするものだ。当然、美術市場でも並々ならぬ関心を持つ。顧客やマスメディア及び評論家などの反応が良いと価格はハネル。
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ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク近代美術館とグゲンハイム美術館で、1996年、ほぼ期を同じくして、ジャスパー・ジョーンズ〔1930~ 〕とエルズワース・ケリー〔1923~ 〕(注5・資料3)の回顧展が開かれた。〔J・ジョーンズはニューヨーク近代美術館で、1996年10月20日~1997年1月21日。E・ケリーはグゲンハイム美術館で、1996年10月18日~1997年1月15日〕
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■注5
エルズワース・ケリー〔Ellsworth Kelly: 1923~ 〕。ニューヨーク州生まれのアメリカ人。渡仏時代〔1948~54〕を含め50年代はコラージュの制作に注力。最近、ヨーロッパでも、アメリカでも、市場で彼の“50年代のコラージュ”はほとんど見られないが、1985年秋、ニューヨークのレオ・カステリで、1点のみ見たことがあった。1958年の黄土色と黒の光沢のある特殊な紙でつくられた作品で、25×20センチくらいの小品だった。当時の価格は1万4,000ドル〔1ドル=約160円〕。今なら、軽く2,000万円を超えるだろう。これを購入しなかったことを、今も悔やんでいる。「二度と目にできない」と思う。決断力はコレクターのキーワード。
ポーラ・クーパー画廊もケリーには並々ならぬ関心をもっていた。ケリーが1964~66年の間に制作したコラージュで、1992年2月14日~3月14日に個展を開いている。
明解な色彩の極めて単純な幾何抽象作品を本格的に制作しだしたのは、1954年にフランスから帰国してからだった。白と黒、白と緑などのシャレタ色彩の組み合わせで、二種の図形〔四角形、半円、三角形……〕を重ねたり、接合させたりしたシンプルな作品。そこには、なにか近寄り難い知的な雰囲気があり、“冷たい抽象”とも言われたのが分かる気がした。
80年代~90年代にかけ、ニューヨークで時々ケリーの個展を開いた画廊は、ブラム・ヘルマン〔Blum Helman: 20 West 57 Street〕とマシュー・マークス〔Matthew Marks: 522 West 22 Street〕。時に、驚かされたのはブラム・ヘルマンでの展示。美しい木目がはっきりと出た巨大な細長い白木板で、縦方向の左端にゆるやかなカーブをほどこしたのみの作品。ケリーらしい色彩も塗られてなく、木地そのものである。日本のもの派の作品を見ているような錯覚に陥ったが、洗練されたその雰囲気はそれとは比較にならなかった。
■資料3

Feb. 9, 1990〔Blum Helman〕
“MINIMAL ART 展”を開いていた。
この写真は画廊の一部。右にあるのがジャッドの作品。左のもの〔白と黒の作品〕がケリーの作品。
3等分割の画面の中央部の白の部分が黒の部分より、少し浮き上っていて凸状になっている。初期の上質の作品。
1965~66年にかけて制作され、サイズは〔149.9x144.8x5.1〕cmの作品。
Oil on canvas.
Not for sale だった。
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2館共に、アメリカを代表する有力美術館である。又、2館はタクシーで10分弱程の距離しか離れてない。多くのコレクターや美術愛好の人々は2つの回顧展をハシゴして見たのだ。この状況だから、比較感が出ないわけはない。
「ケリーに対する評価は非常に良かった」アメリカのマスメディアも一斉に話題にし始めた。彼のあらゆる種類の作品に、その評価が反映したことは言うまでもない。
このケースでは、個展の内容への単なる評価だけでなく、“比較” (注6・資料4)もひとつの要素となり価格のハネ方は大きくなった。
さらには、あまり目立つこともなく、地道に内容のある作品の制作を続けてきたE・ケリーへの賞賛は、より一層、彼の地位を固めるものとなった。
世界的な有力作家は一定の期間を置いて、多様な国々で個展が開催されるので、作品の価格上昇への機会が多くなる。コレクターは、これに常に注目をしている。画商もしかりだ。
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■注6
幾何抽象を描いたケリーの作品は、あっけにとられる程シンプルで、かつ人を寄せつけないような知的な雰囲気がある。
その品格がある作品内容や作家の力量は以前から認められていたが、作品の性格からか……、その価格は他の有力作家と比べると出遅れ感が強く、割安に放置されていた。
今回、至近距離でのほぼ同期開催の有力作家展は、恰好の比較材料を提供したことになった。
■資料4
“White Relief with Green”1994
Oil on canvas, two joined panels
〔304.8x152.4〕cm
グゲンハイム美術館での“ケリー回顧展”の2年前に制作された作品。この頃のケリーの典型的な作品。知的な雰囲気をふりまく。
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(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、『現代美術コレクションの楽しみ:商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』(三元社、2013年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)、他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
◆笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
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