芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第6回
第6話 フランスの終わり、スペインの始まり ~サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~
9/24(Mon) Navarrenx ~ Aroue (18.7km)
9/25(Tue) Aroue ~ Ostabat (24.5km)
9/26(Wed) Ostabat ~ Saint-Jean-Pied-de-Port (22.5km)
9/27(Thu) Saint-Jean-Pied-de-Port (0km)
先日、埼玉県立近代美術館で開催されている「戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家」に足を運んだ。数々の建築史的名作が並ぶ展示は圧巻であった。展覧会の内容については省くが、入り口のキャプションに、現代では現代彫刻のような建築が現れてきたが、彫刻と建築の違いは何かといった趣旨の問いに対して、ある建築家が「内部があることである」と答えたと書かれていた。そして、「住宅に注がれる建築家の眼差しは、その内部空間をどう構成するかという点に収斂されていくといっても過言ではない」と続いていた。建築家が「住まい」という私的な空間をどのように捉え、表現しようとしたかを探ることをテーマにした展覧会として実に見応えがあった。
建築に空間が存在するように、巡礼においても空間は存在すると私は思っている。巡礼路、それ自体が千年以上も続く道空間として存在している事実を私は受け止めている。仮に巡礼路という道空間を建築における外部空間とするならば、内部空間はそれぞれの巡礼者の心の中に存在するのではないかと私は思う。同じ土地であっても建築家が違えば生まれる建築は異なり、内部の空間もまた異なる。同じ巡礼路であっても巡礼者の心の中にはそれぞれ異なった空間があるのではないだろうか。そして私は心の中にどのような内部空間をつくったのだろうか。展覧会を見終え、この原稿を書きながらそんなことを考えている。
アルケミストの家を出発する。雨がパラパラと降っていたが、すぐに止んだ。
風が強く何度もウインドブレーカーを脱ぎ着しながら歩みを進める。歩いた距離は少なく、午後にはゆとりを持って本日の行程を終えた。
Aroueのジットはベッドが置いてあるだけの簡素なジット。これを巡礼宿というのだろうなと思った。シャワーも水しか出ない。スペインではこれが普通だと聞いているので慣れるにはいい機会である。宿代は5ユーロのみ。これからはこういう日々が続くのだろう。
午後の柔らかな風が庭を吹き抜ける。沈みかけた太陽が微笑んでいるようだ。有り余る時間もここではすべてが意味のある時間に思えてくる。何もする必要はない。ただ、空を仰ぎ、遠くの山々を眺め、うつりゆく光を感じるだけの時間。大切なことはやはり自然が教えてくれるのだろうか。本を読むだけでは決して知ることの出来ない世界がそこにはあるような気がした。
午後の庭
朝、空が紅に美しく染まる。牧草地が広がり、なだらかな起伏の道を進むと、丘の上からはピレネーの山々が見える。かつてナポレオンはピレネーを越えるとそこはアフリカだと言ったが、この山脈を越えた先には荒野が広がっているのだろうか。
オスタバに向かう途中でパリの道・ヴェズレーの道・ル・ピュイの道の3つの道が合流する。フランスのそれぞれの場所から歩いてきた巡礼者たちがここで一つになってサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かい、ピレネーを越えてスペインの道へ向かう。巡礼の歴史が垣間見える場所である。急な丘を登ると、頂上からはピレネーが一望できた。これからあの山々を越えスペインに行くことを思うとワクワクする。
朝焼け
丘を登る
3つの巡礼路が合わさる場所にある記念碑
ピレネーの山々
Ostabat(オスタバ)の町に着いた。このあたりからは家の形や色が変わってきて、バスク地方に入ったことを実感する。ピレネー山脈を挟んでフランス南西部からスペイン北西部にまたがるこの地方に住む人々は他の地域とは異なる言語を持ち、バスク人と呼ばれている。ヨーロッパのどの言語の影響も受けず、独特の文化が色濃く残る地域である。
オスタバからSaint-Jean-Pied-de-Port(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー)に向かう道には赤や緑の木組みの伝統的なバスク建築の家が続いている。白い壁に赤や緑の窓がまるでおもちゃの家のようである。
バスクの旗はイクリニャと呼ばれ、赤地の上に緑の斜め十字と白の十字を交差させた、ユニオンジャックに似たデザインである。赤はバスク人の血を、緑はバスクの伝統的な議会がその下で開かれたと言われるゲルニカの樫の木を、白はキリスト教への信仰をそれぞれ表している。この旗はバスク人の民族的なシンボルである。そのバスクカラーを家の屋根、壁、窓枠などの色とすることからも民族のアイデンティティが伝わってくる。バスク民族が持つ誇りを感じる。
バスクの旗
バスクの家
オスタバの教会
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のフランス側最後の町。そしてスペインの巡礼路の起点となる町でもある。旧市街はバスクの町並みが並び、美しい景観をなしている。
旧市街の門をくぐると、すぐ近くに巡礼事務所がある。「星の巡礼」でマダム・ルルドとして登場するマダム・ダブリルは天に召され、もうここにはいないが、彼女の意思を継ぐマダムたちがサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの巡礼事務所を支えている。日本から持参したクレデンシャル(巡礼者手帳)はスタンプで一杯だったので、新しいフランス版のクレデンシャルをいただき、スタンプを押してもらう。(日本では「NPO法人日本カミーノ・デ・サンチャゴ友の会」で入手可能。ここのHPhttp://camino-de-santiago.jp/は日本語で読めるネット上の巡礼に関する情報としては最も詳細で有用である)巡礼事務所では宿泊の予約も出来るので、巡礼事務所に付属するアルベルゲで今日のベッドを確保する。ここからは巡礼者も多くなり、巡礼宿も増える。これからはジットではなくクレデンシャルがないと宿泊できない巡礼者専用の宿であるアルベルゲに泊まることになる。夜になり、多くの巡礼者で埋め尽くされた部屋の二段ベッドの上の段で就寝。
巡礼事務所
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
旧市街のメインストリート
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー
橋の上から
早朝の散歩。城跡に登り町を一望する。大きな町に着いたら高い場所に行くのが一番である。町の全体像を把握することができるので、町を歩くときにどのあたりを歩いているのかをイメージすることもできる。
昼食のため町のレストランへ。おしゃれな外観に惹かれ店内へ。ランチメニューにcoquille Saint-Jacque(コキーユ サン・ジャック:ホタテの貝殻焼き)とあり、注文する。フランスではホタテ貝のことをサン・ジャックと呼ぶ。これはサンティアゴ巡礼とも大きな関わりがあり、巡礼のシンボルであるホタテ貝をフランス語で聖ヤコブを意味するサン・ジャックと呼ぶようになったものである。サンティアゴの道がフランスの食文化に残した大きな足跡でもある。芸術的な料理がテーブルにおかれ、美味しいバスク料理を堪能した。
レストラン
バスク風コキーユ・サン・ジャック(ホタテ貝の貝殻焼き)
午後はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの街を散策する。風車のようなマークが至るところにある。看板やお菓子、外国人向けのお土産にはほとんどこのマークが描かれている。これはラウブルと呼ばれるバスクのシンボルマーク。バスク十字とも呼ばれ、バスク民族に古来から伝わる伝統文様であり、今も生活の中に溶け込んでいる。4枚の羽はそれぞれ火、大地、水、空気をイメージしているといわれているが、実際の由来は不明のようである。また、バスクは織り物でも有名で、バスク織りはこの地方の名産品でもある。専門店を見つけ、お土産にラウブルのマークの入ったタオルを購入した。
バスクタオル
時計台
巡礼中に伸びた髪をカットする。海外の床屋は初めてで不安だったが、特に問題なく済んだ。おまかせで少し面白い髪型になることを期待していた部分もあったのだが、バラエティ番組ではないのだから、そう面白いことは起こらない。また機会があればスペインでも試してみたいものである。
夜、カテドラルでは巡礼者の為のミサが行われた。ここから巡礼を始める人も多い。明日のピレネー越えはこの巡礼で最も困難な所の一つ。無事に峠を越え、スペインに行けるよう神に祈りを捧げる。
マントがレインウェアに代わり、頭陀袋がザックになったとしても、中世の風景を彷彿とさせる歴史がサン・ジャン・ピエ・ド・ポーには残っていた。明日からはピレネーを越え、スペインの道が始まる。私にとっての巡礼の後半が始まる。
カテドラル
歩いた総距離740.2km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~第6回
カップスノーピーク(snow peak) チタンシングルマグ220ml フォールディングハンドル ¥1,630
夏の夜は無性にモスコミュールが飲みたくなる。ウォッカにライムを絞り、ジンジャエールを注ぐだけの家でもつくれるお手軽なカクテルである。しかしカクテルは奥が深い。私の家の最寄りの駅にショットバーがあり、地元の友人と飲みにいくことがあるのだが、そこで出される特製のモスコミュールは自宅で作るものとはやはり違う。作り方、場所の雰囲気、誰と一緒に飲むのか、さまざまな要素によってお酒の味は変わるものだが、このモスコミュールに関しては器、つまりグラスの違いも大きいと思っている。モスコミュールは銅のマグカップで飲むのが本式とされているのだが、ここのショットバーではそのオリジナルで出してくれるのだ。銅のマグカップで飲むモスコミュールは夏の夜には最高である。
巡礼中、モスコミュールを飲む機会はなかった。しかし、毎日のようにこのスノーピークのチタンマグでワインを飲んだ。チタン(正式にはチタニウム)は強く、軽く、耐食性に優れた金属である。比重は鉄の約半分、強さは鋼に匹敵する強度を持っている。宇宙工学の分野でも利用され、ロケットの部品にも使用されている最先端の素材でもある。
このマグカップはチタンの特性を生かし、薄く軽量化されている。アウトドアにおいて軽さは大切な要素で、収納時にはコンパクトに折り畳めるハンドルを装備しているため、バックパックの中でもかさばらない。また、金属臭がほとんど無く、美味しく飲み物を飲める。ステンレスやアルミではわずかだが金属イオンが溶け出し、金属臭が出てしまう。そのため、特にウイスキーやワインなどの香りが大切な飲み物を飲む際には注意が必要である。また、チタンカップは表面の酸化皮膜による触媒作用によって苦み成分が分解され、ワインは甘みが増すのだそうだ。(あんまり実感はなかったが)そしてチタンは熱伝導が低いため、保温性・保冷性にも優れている。熱いものは冷めにくく、冷たい飲み物はぬるくなりにくい。そして熱湯を注いでも飲み口が熱くならないのは嬉しい。この特性を備えているチタンはカップには最適な素材である。そのため、登山やキャンプなどのアウトドアではチタン製のアイテムは重宝されている。チタンは曲げ加工が難しいのが難点なのだが、日本が誇るものづくりの町、新潟県の燕三条の技術が可能にしたMade in Japanの一品でもある。 今年の夏はまだ山に行っていない。もし、行く機会があれば、このチタンマグで、夜の静かな山小屋でちびちびとウイスキーでも飲みたいものである。
チタンマグ
チタンマグ 折りたたむ

チタンマグ 収納時
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
◆ご案内が遅くなってしまいましたが、磯崎新先生の講演が9月13日(土)14時から群馬県立近代美術館で開催されます。
開館40周年記念展「1974年-戦後日本美術の転換点」
群馬県立近代美術館
会期:2014年9月13日[土]-11月3日[月・祝]
記念講演:磯崎新氏(建築家・当館設計者)「建築的切断1974(森)」
9月13日(土)14:00-15:30(開場13:30)/当館2F講堂/定員200名
*申込不要/聴講無料
◆本日のお勧め作品はウォーホルです。

アンディ・ウォーホル Andy Warhol
"LADIES AND GENTLEMEN"より#132(レゾネNo.)
1975年シルクスクリーン
110.5×72.4cm
Ed.125 裏面にサインあり
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第6回
第6話 フランスの終わり、スペインの始まり ~サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~
9/24(Mon) Navarrenx ~ Aroue (18.7km)
9/25(Tue) Aroue ~ Ostabat (24.5km)
9/26(Wed) Ostabat ~ Saint-Jean-Pied-de-Port (22.5km)
9/27(Thu) Saint-Jean-Pied-de-Port (0km)
先日、埼玉県立近代美術館で開催されている「戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家」に足を運んだ。数々の建築史的名作が並ぶ展示は圧巻であった。展覧会の内容については省くが、入り口のキャプションに、現代では現代彫刻のような建築が現れてきたが、彫刻と建築の違いは何かといった趣旨の問いに対して、ある建築家が「内部があることである」と答えたと書かれていた。そして、「住宅に注がれる建築家の眼差しは、その内部空間をどう構成するかという点に収斂されていくといっても過言ではない」と続いていた。建築家が「住まい」という私的な空間をどのように捉え、表現しようとしたかを探ることをテーマにした展覧会として実に見応えがあった。
建築に空間が存在するように、巡礼においても空間は存在すると私は思っている。巡礼路、それ自体が千年以上も続く道空間として存在している事実を私は受け止めている。仮に巡礼路という道空間を建築における外部空間とするならば、内部空間はそれぞれの巡礼者の心の中に存在するのではないかと私は思う。同じ土地であっても建築家が違えば生まれる建築は異なり、内部の空間もまた異なる。同じ巡礼路であっても巡礼者の心の中にはそれぞれ異なった空間があるのではないだろうか。そして私は心の中にどのような内部空間をつくったのだろうか。展覧会を見終え、この原稿を書きながらそんなことを考えている。
アルケミストの家を出発する。雨がパラパラと降っていたが、すぐに止んだ。
風が強く何度もウインドブレーカーを脱ぎ着しながら歩みを進める。歩いた距離は少なく、午後にはゆとりを持って本日の行程を終えた。
Aroueのジットはベッドが置いてあるだけの簡素なジット。これを巡礼宿というのだろうなと思った。シャワーも水しか出ない。スペインではこれが普通だと聞いているので慣れるにはいい機会である。宿代は5ユーロのみ。これからはこういう日々が続くのだろう。
午後の柔らかな風が庭を吹き抜ける。沈みかけた太陽が微笑んでいるようだ。有り余る時間もここではすべてが意味のある時間に思えてくる。何もする必要はない。ただ、空を仰ぎ、遠くの山々を眺め、うつりゆく光を感じるだけの時間。大切なことはやはり自然が教えてくれるのだろうか。本を読むだけでは決して知ることの出来ない世界がそこにはあるような気がした。
午後の庭朝、空が紅に美しく染まる。牧草地が広がり、なだらかな起伏の道を進むと、丘の上からはピレネーの山々が見える。かつてナポレオンはピレネーを越えるとそこはアフリカだと言ったが、この山脈を越えた先には荒野が広がっているのだろうか。
オスタバに向かう途中でパリの道・ヴェズレーの道・ル・ピュイの道の3つの道が合流する。フランスのそれぞれの場所から歩いてきた巡礼者たちがここで一つになってサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かい、ピレネーを越えてスペインの道へ向かう。巡礼の歴史が垣間見える場所である。急な丘を登ると、頂上からはピレネーが一望できた。これからあの山々を越えスペインに行くことを思うとワクワクする。
朝焼け
丘を登る
3つの巡礼路が合わさる場所にある記念碑
ピレネーの山々Ostabat(オスタバ)の町に着いた。このあたりからは家の形や色が変わってきて、バスク地方に入ったことを実感する。ピレネー山脈を挟んでフランス南西部からスペイン北西部にまたがるこの地方に住む人々は他の地域とは異なる言語を持ち、バスク人と呼ばれている。ヨーロッパのどの言語の影響も受けず、独特の文化が色濃く残る地域である。
オスタバからSaint-Jean-Pied-de-Port(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー)に向かう道には赤や緑の木組みの伝統的なバスク建築の家が続いている。白い壁に赤や緑の窓がまるでおもちゃの家のようである。
バスクの旗はイクリニャと呼ばれ、赤地の上に緑の斜め十字と白の十字を交差させた、ユニオンジャックに似たデザインである。赤はバスク人の血を、緑はバスクの伝統的な議会がその下で開かれたと言われるゲルニカの樫の木を、白はキリスト教への信仰をそれぞれ表している。この旗はバスク人の民族的なシンボルである。そのバスクカラーを家の屋根、壁、窓枠などの色とすることからも民族のアイデンティティが伝わってくる。バスク民族が持つ誇りを感じる。
バスクの旗
バスクの家
オスタバの教会サン・ジャン・ピエ・ド・ポーはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のフランス側最後の町。そしてスペインの巡礼路の起点となる町でもある。旧市街はバスクの町並みが並び、美しい景観をなしている。
旧市街の門をくぐると、すぐ近くに巡礼事務所がある。「星の巡礼」でマダム・ルルドとして登場するマダム・ダブリルは天に召され、もうここにはいないが、彼女の意思を継ぐマダムたちがサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの巡礼事務所を支えている。日本から持参したクレデンシャル(巡礼者手帳)はスタンプで一杯だったので、新しいフランス版のクレデンシャルをいただき、スタンプを押してもらう。(日本では「NPO法人日本カミーノ・デ・サンチャゴ友の会」で入手可能。ここのHPhttp://camino-de-santiago.jp/は日本語で読めるネット上の巡礼に関する情報としては最も詳細で有用である)巡礼事務所では宿泊の予約も出来るので、巡礼事務所に付属するアルベルゲで今日のベッドを確保する。ここからは巡礼者も多くなり、巡礼宿も増える。これからはジットではなくクレデンシャルがないと宿泊できない巡礼者専用の宿であるアルベルゲに泊まることになる。夜になり、多くの巡礼者で埋め尽くされた部屋の二段ベッドの上の段で就寝。
巡礼事務所
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー旧市街のメインストリート
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー橋の上から
早朝の散歩。城跡に登り町を一望する。大きな町に着いたら高い場所に行くのが一番である。町の全体像を把握することができるので、町を歩くときにどのあたりを歩いているのかをイメージすることもできる。
昼食のため町のレストランへ。おしゃれな外観に惹かれ店内へ。ランチメニューにcoquille Saint-Jacque(コキーユ サン・ジャック:ホタテの貝殻焼き)とあり、注文する。フランスではホタテ貝のことをサン・ジャックと呼ぶ。これはサンティアゴ巡礼とも大きな関わりがあり、巡礼のシンボルであるホタテ貝をフランス語で聖ヤコブを意味するサン・ジャックと呼ぶようになったものである。サンティアゴの道がフランスの食文化に残した大きな足跡でもある。芸術的な料理がテーブルにおかれ、美味しいバスク料理を堪能した。
レストラン
バスク風コキーユ・サン・ジャック(ホタテ貝の貝殻焼き)午後はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの街を散策する。風車のようなマークが至るところにある。看板やお菓子、外国人向けのお土産にはほとんどこのマークが描かれている。これはラウブルと呼ばれるバスクのシンボルマーク。バスク十字とも呼ばれ、バスク民族に古来から伝わる伝統文様であり、今も生活の中に溶け込んでいる。4枚の羽はそれぞれ火、大地、水、空気をイメージしているといわれているが、実際の由来は不明のようである。また、バスクは織り物でも有名で、バスク織りはこの地方の名産品でもある。専門店を見つけ、お土産にラウブルのマークの入ったタオルを購入した。
バスクタオル
時計台巡礼中に伸びた髪をカットする。海外の床屋は初めてで不安だったが、特に問題なく済んだ。おまかせで少し面白い髪型になることを期待していた部分もあったのだが、バラエティ番組ではないのだから、そう面白いことは起こらない。また機会があればスペインでも試してみたいものである。
夜、カテドラルでは巡礼者の為のミサが行われた。ここから巡礼を始める人も多い。明日のピレネー越えはこの巡礼で最も困難な所の一つ。無事に峠を越え、スペインに行けるよう神に祈りを捧げる。
マントがレインウェアに代わり、頭陀袋がザックになったとしても、中世の風景を彷彿とさせる歴史がサン・ジャン・ピエ・ド・ポーには残っていた。明日からはピレネーを越え、スペインの道が始まる。私にとっての巡礼の後半が始まる。
カテドラル歩いた総距離740.2km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~第6回
カップスノーピーク(snow peak) チタンシングルマグ220ml フォールディングハンドル ¥1,630
夏の夜は無性にモスコミュールが飲みたくなる。ウォッカにライムを絞り、ジンジャエールを注ぐだけの家でもつくれるお手軽なカクテルである。しかしカクテルは奥が深い。私の家の最寄りの駅にショットバーがあり、地元の友人と飲みにいくことがあるのだが、そこで出される特製のモスコミュールは自宅で作るものとはやはり違う。作り方、場所の雰囲気、誰と一緒に飲むのか、さまざまな要素によってお酒の味は変わるものだが、このモスコミュールに関しては器、つまりグラスの違いも大きいと思っている。モスコミュールは銅のマグカップで飲むのが本式とされているのだが、ここのショットバーではそのオリジナルで出してくれるのだ。銅のマグカップで飲むモスコミュールは夏の夜には最高である。
巡礼中、モスコミュールを飲む機会はなかった。しかし、毎日のようにこのスノーピークのチタンマグでワインを飲んだ。チタン(正式にはチタニウム)は強く、軽く、耐食性に優れた金属である。比重は鉄の約半分、強さは鋼に匹敵する強度を持っている。宇宙工学の分野でも利用され、ロケットの部品にも使用されている最先端の素材でもある。
このマグカップはチタンの特性を生かし、薄く軽量化されている。アウトドアにおいて軽さは大切な要素で、収納時にはコンパクトに折り畳めるハンドルを装備しているため、バックパックの中でもかさばらない。また、金属臭がほとんど無く、美味しく飲み物を飲める。ステンレスやアルミではわずかだが金属イオンが溶け出し、金属臭が出てしまう。そのため、特にウイスキーやワインなどの香りが大切な飲み物を飲む際には注意が必要である。また、チタンカップは表面の酸化皮膜による触媒作用によって苦み成分が分解され、ワインは甘みが増すのだそうだ。(あんまり実感はなかったが)そしてチタンは熱伝導が低いため、保温性・保冷性にも優れている。熱いものは冷めにくく、冷たい飲み物はぬるくなりにくい。そして熱湯を注いでも飲み口が熱くならないのは嬉しい。この特性を備えているチタンはカップには最適な素材である。そのため、登山やキャンプなどのアウトドアではチタン製のアイテムは重宝されている。チタンは曲げ加工が難しいのが難点なのだが、日本が誇るものづくりの町、新潟県の燕三条の技術が可能にしたMade in Japanの一品でもある。 今年の夏はまだ山に行っていない。もし、行く機会があれば、このチタンマグで、夜の静かな山小屋でちびちびとウイスキーでも飲みたいものである。
チタンマグ
チタンマグ 折りたたむ
チタンマグ 収納時
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
◆ご案内が遅くなってしまいましたが、磯崎新先生の講演が9月13日(土)14時から群馬県立近代美術館で開催されます。
開館40周年記念展「1974年-戦後日本美術の転換点」
群馬県立近代美術館
会期:2014年9月13日[土]-11月3日[月・祝]
記念講演:磯崎新氏(建築家・当館設計者)「建築的切断1974(森)」
9月13日(土)14:00-15:30(開場13:30)/当館2F講堂/定員200名
*申込不要/聴講無料
◆本日のお勧め作品はウォーホルです。

アンディ・ウォーホル Andy Warhol
"LADIES AND GENTLEMEN"より#132(レゾネNo.)
1975年シルクスクリーン
110.5×72.4cm
Ed.125 裏面にサインあり
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