森本悟郎のエッセイ その後・第8回

立石大河亞(1941~1998)(3) その一貫性について


前回は変容する立石大河亞について書いたが、今回は一貫して変わらなかった点について考え、締めくくりとしたい。
かつて漫画について話していて、立石さんとは杉浦茂で、赤瀬川原平さんとはつげ義春で盛りあがったことがある。立石さんの杉浦さんへのリスペクトは相当なもので、初期のタブローには確かに杉浦漫画の奇想が見て取れるように思う(前回の参考画像「立石紘一のような」「汝、多くの他者たち」参照)。ギャグ漫画でありながら杉浦作品は実験精神豊かで、時にシュルレアリスティックな場面まで登場することから、視覚少年にはたまらなく魅力的だったことだろう。
今でこそ「漫画に影響を受けた」と公言することも、タブローに漫画的表現を持ち込むことも当たり前だが、立石さんはそれを半世紀前に敢然と行っていた。それは単に漫画好きが絵を描き始めた結果というのではなく、二次元でありながら時間やスピードやズームといった表現が可能な、漫画的手法の有用性に着目していたからに他ならない。ミラノ滞在中から始まり、絶筆の「アンデスの高原列車」まで続いた、コマ割り絵画という手法はそのひとつの到達点である。
'64年、東野芳明氏企画の「ヤング・セブン展」(南画廊)に選ばれるが、この時出品した「立石紘一のような」は通俗的イメージを用いるとともに立体文字を使うなど、イラストレーションとも絵画ともつかない表現によって、和製ポップアートの嚆矢といえるものである。この通俗的イメージ利用については「全体主義絵画論・断草」(『サトウ画廊月報 第101号』'64)という小論に、「三橋美智也氏や美智子妃、美空ひばり女史、三船敏郎氏や黒沢天皇、さらに舟木一夫氏らの国民的英雄を描かねばならない」と記しているが、「哀愁列車」('64)、「東京バロック」などを経て、'90年の「明治青雲高雲」「大正伍萬浪漫」「昭和素敵大敵」に結実する。最晩年の画家シリーズもゴッホ、ピカソ、セザンヌはじめ、扱われた作家たちはいわば通俗的有名作家である。
「七転八虎」('66)など虎をモチーフにした作品に始まり、コマ割り絵画に引き継がれていく、連続するメタモルフォーゼも継続して取り組んだ方法である。これは絵巻形式で臨んだ「水の巻」(全6巻、'92)に大成を見た。晩年の陶による立体も、イメージのメタモルフォーゼが展開する作品だが、連続する変容という時間軸を導入したことで、作家によれば〈四次元立体〉ということになる。
変わらぬものといえば、〈観光芸術研究所〉という中村宏さんとのユニットを除けば、終生インディペンデントの作家だった。様々なジャンルで驚くべき成果を挙げながら、どこにあっても異物であり、そこに安住しないことがこの作家の孤立性を際だたせている。孤高と呼ぶにふさわしい姿を、ぼくは立石さんに見ていた。

01_Portrait立石大河亞氏('97.9.27 自宅アトリエにて)
高梨豊氏撮影
(c)Yutaka Takanashi


02_大正伍萬浪漫「大正伍萬浪漫」'90 油彩
田川市美術館蔵


03_七転八虎「七転八虎」'66 油彩


04水の巻(一)「水の巻(一)」'92 鉛筆、金箔


もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。