「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより(入札式)」は本日が最終日です。
昨日も神戸など遠方からも来廊、地方の方からのファックス入札や海外からのメール入札などもあり、予想以上の反響で社長はニコニコ。
入札締切りは本日17時必着です。
S氏について、皆さんからご質問を受けます。
具体的にはお答えできないのですが、いわゆる「コレクター」がこれだけのラインナップでこの質の高さのものを集めたとしたら驚異的です。
「普通の」コレクターはどうしても「その都度買い」や「義理買い」を避けられません。その結果、玉石混交のコレクションになるのが一般的と言ってよいでしょう。
S氏コレクションには、「その都度買い」や「義理買い」的なものは一切なく、50~70年代の(つまり万博前の)日本の前衛美術が「売れることなんか考えずに」とんがっていた時代を見事に反映しています。
同時代でなければ決して集まらない作品群であり、おそるべきコレクションといえるでしょう。
以下、最後のご紹介作品です。

出品番号5
磯辺行久
「WORK '63-69」
1964年 ミクスドメディア
65.0×53.2×7.0cm
Signed
■磯辺行久 Yukihisa ISOBE(1936-)
東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リ トグラフの制作を始める。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリ ーフ作品を出品し注目を集める。瑛九のもとに集まった若い才能の中で池田満寿夫、靉嘔と三羽烏といわれ、63年には日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニ ングを手掛ける。91年目黒区美術館で個展開催。再び美術家として制作活動を再開した。
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出品番号13
鴨居羊子
「白い光の中で短針のない時計」
1970年 キャンバスに油彩
18.0×14.2cm
Signed
■鴨居羊子 Yoko KAMOI(1925-1991)
大阪生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠、弟は画家の鴨居玲。1945年20歳の頃美術家を目指す。新聞社に入社、1955年大阪読売新聞学芸記者を辞めて独立。下着デザイン・製造販売に着手。白い質素な下着しかなかった時代に、カラカラフルな下着を売り出し人気を博す。1956年下着メーカー「チュニック制作室」を創設。1970年個展「ヘラクリオンの体」開催。画家、デザイナーとして活躍し、文筆活動でも才能を発揮した。2010年川崎市岡本太郎美術館で「前衛下着道 鴨居羊子とその時代」が開催された。
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出品番号24
堂本尚郎
「(作品)」
1981年 コラージュ
6.2×9.5cm
Signed
■堂本尚郎 Hisao DOMOTO(1928-2013)
京都生まれ。伯父の日本画家である堂本印象をはじめ、芸術一家の中 で育つ。京都市立美術工芸学校で日本画を学び、1955年に渡仏してからは洋画 に移行。アンフォルメル運動に参加し、激しく左右に振れる筆触で、横長の画面を覆う独自の抽象画を制作。パリのスタドラー画廊で初個展をひらき成功を収める。アンフォルメルを離れてからは車の轍の跡や鎧戸を連想させる厚塗りの「連続の溶解」シリーズを制作、70年代には円形が繰り返し用いられ、80年代以降は様々な色のアクリルを用いて連続するS字状が画面全体に広がる、薄塗りの「連鎖反応」シリーズや、絵具をたらしこむモノクローム作品を手がけた。2001年フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章を受章。2007年文化功労者として顕彰される。
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出品番号22
田淵安一
「(作品)」
1981年 紙に水彩
46.6×36.4cm
Signed

出品番号23
田淵安一
「(作品)」
紙に水彩
27.9×28.3cm
Signed
■田淵安一 Yasukazu TABUCHI(1921-2009)
福岡県生まれ。学徒動員で入隊し終戦を迎える。東京帝国大学文学部美術史学科でドラクロワ以降のフランス絵画を研究しつつ、新制作派協会に出品を続け、卒業後の1951年に渡仏。以後60年もの間、フランスを拠点に創作活動を続けた。当初は具象的な画風だったが、当時ヨーロッパの美術界を席捲した抽象表現主義を吸収し、厚塗りのマチエールの作品を描くようになる。西欧と日本という、異国で制作する画家として根源的なテーマを自問し続け独自の絵画世界を生み出した。2014年神奈川県立近代美術館鎌倉にて「田淵安一 知られざる世界」が開催された。
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出品番号26
杢田たけを
「不夜城・可愛花」
1958年 色紙に水彩
23.0×23.0cm
Signed
■杢田たけを Takeo MOKUTA(1910-1982)
兵庫県豊岡生まれ。本名・武雄。日本画家だった祖父(僧侶)の影響で画家を志し、日本美術学院の通信教材で学びながら、日本画を描きはじめる。1935年第五回独立展に初入選した後、須田国太郎に師事。油彩や板や布、金属などを直接画面に貼り付けるアッサンブラージュや立体作品を手がけるなど前衛的活動を展開した。1959年斎藤長三らと「鷹の会」を結成。1966年坂本善三らとグループ「角(ツノ)」を結成。現代日本美術展や日本国際美術展などにも出品した。1998年自伝『その愛と芸術』が刊行され、姫路市立美術館で「没後10年 杢田たけを展」が開催された。
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出品番号30
吉仲太造
「無題(パン)」
1973年 キャンバスに油彩
50.0×65.2cm
Signed

出品番号31
吉仲太造
「あそぶねこ」
1977年 キャンバスに油彩
23.0×16.0cm
Signed

出品番号32
吉仲太造
「(作品)」
1977年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985)
京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
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出品番号34
脇田愛ニ郎
「(作品)」
金属(オブジェ)
24.0×25.5cm
■脇田愛二郎 Aijiro WAKITA(1942-2006)
静岡県生まれ。父は画家の脇田和。1964年武蔵野美術大学本科西洋学科卒業。その後渡米。1969年のニューヨークでの個展から国際的な評価を集める。彫刻、モニュメント、さらに環境アートの分野で意欲的に活躍。その作品は各地で発表設置され、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館などにも所蔵されている。また家具をはじめとするデザイン活動も多岐にわたる。
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◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
昨日も神戸など遠方からも来廊、地方の方からのファックス入札や海外からのメール入札などもあり、予想以上の反響で社長はニコニコ。
入札締切りは本日17時必着です。
S氏について、皆さんからご質問を受けます。
具体的にはお答えできないのですが、いわゆる「コレクター」がこれだけのラインナップでこの質の高さのものを集めたとしたら驚異的です。
「普通の」コレクターはどうしても「その都度買い」や「義理買い」を避けられません。その結果、玉石混交のコレクションになるのが一般的と言ってよいでしょう。
S氏コレクションには、「その都度買い」や「義理買い」的なものは一切なく、50~70年代の(つまり万博前の)日本の前衛美術が「売れることなんか考えずに」とんがっていた時代を見事に反映しています。
同時代でなければ決して集まらない作品群であり、おそるべきコレクションといえるでしょう。
以下、最後のご紹介作品です。

出品番号5
磯辺行久
「WORK '63-69」
1964年 ミクスドメディア
65.0×53.2×7.0cm
Signed
■磯辺行久 Yukihisa ISOBE(1936-)
東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リ トグラフの制作を始める。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリ ーフ作品を出品し注目を集める。瑛九のもとに集まった若い才能の中で池田満寿夫、靉嘔と三羽烏といわれ、63年には日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニ ングを手掛ける。91年目黒区美術館で個展開催。再び美術家として制作活動を再開した。
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出品番号13
鴨居羊子
「白い光の中で短針のない時計」
1970年 キャンバスに油彩
18.0×14.2cm
Signed
■鴨居羊子 Yoko KAMOI(1925-1991)
大阪生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠、弟は画家の鴨居玲。1945年20歳の頃美術家を目指す。新聞社に入社、1955年大阪読売新聞学芸記者を辞めて独立。下着デザイン・製造販売に着手。白い質素な下着しかなかった時代に、カラカラフルな下着を売り出し人気を博す。1956年下着メーカー「チュニック制作室」を創設。1970年個展「ヘラクリオンの体」開催。画家、デザイナーとして活躍し、文筆活動でも才能を発揮した。2010年川崎市岡本太郎美術館で「前衛下着道 鴨居羊子とその時代」が開催された。
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出品番号24
堂本尚郎
「(作品)」
1981年 コラージュ
6.2×9.5cm
Signed
■堂本尚郎 Hisao DOMOTO(1928-2013)
京都生まれ。伯父の日本画家である堂本印象をはじめ、芸術一家の中 で育つ。京都市立美術工芸学校で日本画を学び、1955年に渡仏してからは洋画 に移行。アンフォルメル運動に参加し、激しく左右に振れる筆触で、横長の画面を覆う独自の抽象画を制作。パリのスタドラー画廊で初個展をひらき成功を収める。アンフォルメルを離れてからは車の轍の跡や鎧戸を連想させる厚塗りの「連続の溶解」シリーズを制作、70年代には円形が繰り返し用いられ、80年代以降は様々な色のアクリルを用いて連続するS字状が画面全体に広がる、薄塗りの「連鎖反応」シリーズや、絵具をたらしこむモノクローム作品を手がけた。2001年フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章を受章。2007年文化功労者として顕彰される。
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出品番号22
田淵安一
「(作品)」
1981年 紙に水彩
46.6×36.4cm
Signed

出品番号23
田淵安一
「(作品)」
紙に水彩
27.9×28.3cm
Signed
■田淵安一 Yasukazu TABUCHI(1921-2009)
福岡県生まれ。学徒動員で入隊し終戦を迎える。東京帝国大学文学部美術史学科でドラクロワ以降のフランス絵画を研究しつつ、新制作派協会に出品を続け、卒業後の1951年に渡仏。以後60年もの間、フランスを拠点に創作活動を続けた。当初は具象的な画風だったが、当時ヨーロッパの美術界を席捲した抽象表現主義を吸収し、厚塗りのマチエールの作品を描くようになる。西欧と日本という、異国で制作する画家として根源的なテーマを自問し続け独自の絵画世界を生み出した。2014年神奈川県立近代美術館鎌倉にて「田淵安一 知られざる世界」が開催された。
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出品番号26
杢田たけを
「不夜城・可愛花」
1958年 色紙に水彩
23.0×23.0cm
Signed
■杢田たけを Takeo MOKUTA(1910-1982)
兵庫県豊岡生まれ。本名・武雄。日本画家だった祖父(僧侶)の影響で画家を志し、日本美術学院の通信教材で学びながら、日本画を描きはじめる。1935年第五回独立展に初入選した後、須田国太郎に師事。油彩や板や布、金属などを直接画面に貼り付けるアッサンブラージュや立体作品を手がけるなど前衛的活動を展開した。1959年斎藤長三らと「鷹の会」を結成。1966年坂本善三らとグループ「角(ツノ)」を結成。現代日本美術展や日本国際美術展などにも出品した。1998年自伝『その愛と芸術』が刊行され、姫路市立美術館で「没後10年 杢田たけを展」が開催された。
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出品番号30
吉仲太造
「無題(パン)」
1973年 キャンバスに油彩
50.0×65.2cm
Signed

出品番号31
吉仲太造
「あそぶねこ」
1977年 キャンバスに油彩
23.0×16.0cm
Signed

出品番号32
吉仲太造
「(作品)」
1977年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985)
京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
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出品番号34
脇田愛ニ郎
「(作品)」
金属(オブジェ)
24.0×25.5cm
■脇田愛二郎 Aijiro WAKITA(1942-2006)
静岡県生まれ。父は画家の脇田和。1964年武蔵野美術大学本科西洋学科卒業。その後渡米。1969年のニューヨークでの個展から国際的な評価を集める。彫刻、モニュメント、さらに環境アートの分野で意欲的に活躍。その作品は各地で発表設置され、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館などにも所蔵されている。また家具をはじめとするデザイン活動も多岐にわたる。
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◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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