小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第20回

子どもの撮る写真

前回のエッセイではiPhoneで木の写真を撮ってInstagramにアップしている、ということを書きましたが、木のほかにも、娘が保育園から持ち帰ってくるお絵描きの紙切れや、家で描いたり工作したりしたものを頻繁に撮っています。3歳を過ぎて絵の表現力が豊かになり、描くものに幅がでてきたので、その変化を記録しておきたい(実際のところ、描いた絵の多くは捨てています)ので撮っているのですが、私が絵の写真を撮るのを見て、娘が絵を描くと「見て、写真撮って」と言ってきたり、自分でiPhoneを使って写真を撮ったりするようにもなりました。二匹の熊の顔を描いた紙を床に置き、その二匹が画面の中に収まるようにフレーミングするうちに、自分の爪先も画面の中に入ってしまった様子です。(図1)

31(図1)
自分のお絵描きを撮影
筆者の娘 


見よう見まねでiPhoneの操作を覚え、写真を撮り、自分が撮った写真を見て悦に入っている娘を見るにつけ、完全にデジタルネイティブの世代の子どもだなと実感するとともに、自分自身が初めて写真を撮ったのがいつだったのだろうと、子どもの頃を振り返ってみたりもします。家にあったカメラで家族の写真を撮るのは専ら父の役割で、私は幼稚園児や小学生の頃は殆どカメラを触った記憶はなく、中学生になってようやく学校の行事やイベントの時に写真を撮ることもありましたが、小学校の高学年以降は写真に撮られることがあまり好きではなかったこともあって、カメラ自体にさほど親しんではいませんでした。そんな自分自身のことを思うと、スマートフォンを操り、写真を撮ることが生活の一部になっている娘の行動を見るにつけ、隔世の感があります。
フィルムカメラの時代に幼少期を過ごした私と同世代の人たちが、子どもの頃に写真を撮ることにどの程度親しんでいたのかは、個人差もあるかと思いますが、私自身は漠然とカメラを父親=大人の男の人が使うもの、として捉えており、子どもは写真に撮られる対象ではあっても、子どもが写真を撮る側になることは稀なこと(少なくともデジタルカメラ全盛の現在に比べれば)で、カメラは身近なものというよりも、大人にしか操作できない特別なものだったのです。
そんな子ども時代を過ごした立場から見ると、以前紹介した絵本『FLOTSAM』の中で、海を漂流する水中カメラが、様々な時代や地域の子どもたちによって扱われてきた身近な道具として描かれていること自体が、新鮮に映ります。しかし、この水中カメラのモデルになっているブローニー・カメラを製造していたコダック社は、簡便に撮影できる一般向けのカメラを19世紀末から販売してきました。「あなたはボタンを押すだけ、あとはお任せ下さい(You Press the Button, We Do the Rest)」という有名なキャッチコピーは広く知られ、宣伝には操作の簡便さをアピールするために女性や子どもたちが撮影する場面が描き出されています。(図2)このことからも判るように、カメラは子どもにとっても――19世紀末、20世紀初頭においてはカメラを買い与えられていたのは限られた裕福な家庭の子どもに限られたのかもしれませんが――身近な道具であり、幼い子どもたちが撮った写真も写真史上の作品として残されています。

let-the-children-kodak-advertisement-1909(図2)
子どもたちにコダックで撮らせよう
(コダック社広告 1909年)


「子どもが撮った写真」としてまず思い浮かぶのが、フランスのアマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグ(LARTIGUE, Jacques-Henri 1894-1986)です。幼少期から写真を撮ることに夢中になったラルティーグは、家族や身の周りの情景を瑞々しい視線で撮り続けました。生涯にわたって撮影された写真は、少年時代から失われることのなかった好奇心や遊び心に充ちていますが、幼い頃に撮影した写真は、写真を撮ること自体が彼にとって愉快な遊びであったことを、殊のほかストレートに反映しているように見えます。

072-jacques-henri-lartigue-theredlist(図3)
ジャック・アンリ・ラルティーグ
「湯船の中の僕と水上機」(1904)


1904年に、ラルティーグが9歳か10歳の時に撮影した写真(図3)は、その典型ともいえるものです。この写真は、湯船に浸かっているラルティーグ少年自身の自撮り写真とも言うべきもので、湯船の縁に近い視点から撮られています。カメラに向けて悪戯っぽい視線を向けて微笑む彼自身の顔が水面に反映し、傍らには、水上機の玩具が浮かんでいます。どうしてこんな状況で写真を撮ったのだろうと訝しいのですが、推測としては、水上機が動くことで、カメラのシャッターが切れるような仕掛けをラルティーグが作り、その仕掛けを使って実際に撮れるかどうか実験をしていたのでは、とも思えます。自分の撮りたいものをどうやったら撮れるのか、どのような写真が撮れるのか見てみたい、という好奇心が、湯船に浸かって行う実験へと結びついていったのではと想像すると、このような撮影方法をよく思いついたものだと感心させられます。

ラルティーグの写真の面白さ、味わい深さは、彼自身がわくわくしながら写真を撮っていたことや、撮った写真がどのように写っているのかを現像、印画のプロセスを経るまでは確かめようがなかったという技術的な制約にも関わっていて、その制約の部分がラルティーグの遊びとしての写真を成り立たせていたのかもしれません。デジタルカメラが主流になって久しいですが、フィルムカメラの時代には必要だった現像や印画という過程のタイムラグがなくなってしまったということは、写真を撮る、見るということにかける時間的な側面だけではなく、想像力にも大きく影響してきたのではないでしょうか。
液晶パネルに触って写真を撮り、すぐに自分が撮った写真を確認するという仕草をすでに身につけてしまった娘を見るにつけ、フィルムカメラの時代の写真のありよう、撮った後すぐには写真が見られるものではなかったことや、像が写っているのを見る喜びを伝えるために、フィルムカメラだけではなく、ピンホール・カメラ、カメラ・オブスキュラのような写真の原理に触れる機会を作って挙げられたらと思っています。
こばやしみか

◆小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。●今日のお勧め作品は、ジョエル=ピーター・ウィトキンです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第17回をご覧ください。
witkin_02_womanジョエル=ピーター・ウィトキン
〈Tibet House Portfolio〉 より
「Woman once a Bird」

1990年
プラチナプリント
Image size: 31.6x27.0cm
Sheet size: 40.0x33.0cm
Ed.100
サインあり


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