Woodblock prints of Ansei UCHIMA

内間安瑆が最後に辿り着いた世界は、一度、それに抱かれると忘れることの出来ない性格のものだ。色彩の波動がたえまなく打ち寄せてくる。きわめて周到な技術的な水準に裏づけられていなければ、この秩序は、簡単に失われてしまうだろう。しかし、そこに理知の冷たさはない。神秘めかしたごまかしもいっさいない。僕たちが静かな海辺に佇み、あるいは、微風の通う森のなかを散策するときと同じような安心感がそこにはある。よほど版そのもののなかに宿っているはずの自然の要諦に通じていなければ、人為と自然の境界を無化してしまうような、この表現の高みには到達できない。
(水沢勉 版画掌誌「ときの忘れもの」第04号より)

~~~~~~~~~~~~
内間「Forest Byobu (森の屏風・秋)」内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Forest Byobu
(森の屏風・秋)"

1979年 木版
45.5×76.0cm
A.P.(のみ数部) Signed

“森の屏風”について

内間安瑆


 “森”というのは、ニューヨーク市のアトリエより、車で一時間、北にある仕事場の窓から見えるもので、四季のタペストリーを展開してくれる。
 物体と空間、主と従の統合——色面の組み合せを、織りたい。各色の位置づけと奥行きに秩序をとるため、必然的に構成建築が、縦パネル式のものになり、屏風の連想に到る。
 画面の二次元的性格を保つため、奥への空間ポケットを出来る丈浅く、焦点を外へ広げ、色合の相互関連によって、それらの呼吸、光と空気、更に或る程度の流動性と、透明性がつかめれば、と思っている。
 外へ散る焦点が、再び中心へと向きつつある傾向が、ごく最近の仕事に現われつつある。その過程にチャレンジがまっている。
(現代版画センター機関誌『PRINT COMMUNI-CATION』78号[1982年3月]所収)
2014年9月12日付ブログ用画像_03
制作する内間安瑆先生
NYのアトリエにて '82.6.18.

2014年9月12日付ブログ用画像_08
内間安瑆先生と俊子夫人


今日は内間安瑆先生の命日です。

18年間にわたる長い闘病生活を経て2000年5月9日、内間安瑆先生はニューヨークで79歳の生涯を終えられました。
その間、献身的な看病で内間先生を支えた俊子夫人もこの年の12月18日に後を追うように鬼籍に入られました。作家としてのお二人を身近に知っていただけに、私たちにはとても悲しく残念なことでした。

翌年夏、来日されたご子息の内間安樹さんと洋子夫人を迎えて、ときの忘れものでささやかな遺作展示と偲ぶ会を催しました。

●内間安瑆・俊子夫妻を偲ぶ会 2001年7月31日(火)
06
一軒家時代のときの忘れもので遺作展示
右端が内間安樹さん。

04
近くの金華飯店で偲ぶ会
左から瀬木慎一先生、細江英公先生、三木多聞先生、綿貫令子

03
内間夫妻の遺影を前に内間先生の思い出を語る瀬木慎一先生、
左は内間洋子さん

02
内間夫妻にお世話になったたくさんの方々が出席されました。
中央が内間安樹さん


あれから15年、昨年秋、国内の美術館では初めての大規模な回顧展が沖縄で開催されました。日米の狭間でさまざまな軋轢と葛藤を経て見事な「内間芸術」を開花させた作家の全貌をようやく人々が目にすることができた素晴らしい企画でした。
同展のカタログについてはコチラをご参照ください。

~~~~~~~~~~~~
内間「IN BLUE (DAI)」
「IN BLUE (DAI)」
1975年 木版

内間安瑆の木版画

 1976年春、上野の都美術館で開かれた日本版画協会第44回展で見た内間安瑆の木 版画『In Blue(Dai)』(1975年 47.6×73.4cm Ed.30)は衝撃だった。何の予備知識 もなかったが、のびやかな彫りの線が生み出すユ-モラスなかたちと鮮やかな色彩のハ-モニ-、従来の木版画にないものを直感した。この作家はただものではない、図録の名簿にあったニュ-ヨ-クの住所に手紙を出した。幾度かの手紙の往復があり、ご夫妻で来日された折り、鳥居坂の国際文化会館で初めてお目にかかった。スマ-トな立ち居振る舞い、深い学識に裏付けられた木版への確固とした信念、圧倒されるばかりだった。
 うちまあんせい-沖縄特有の名前から知られるとおり、ご両親は沖縄からの移民だった。
 教育は日本でという親の勧めで開戦直前の日本に留学し、戦後、恩地孝四郎 と出会う。妻子を連れてアメリカに帰り、幾度かの作風の変遷を経て、1977年頃から 始まる「色面織り」の方法を深化させ、遂に『Forest Byobu』シリ-ズに行き着いた とき、自分は木版で独自の表現を獲得したのだという自信にみち溢れていた。この『森の屏風 Forest Byobu』のテクニックについては作家自身が『版画藝術』第38号 (1982年7月)に「版木=Birchベニア板8面、絵具=Winsor-newton,Gouache水彩絵 具、摺り度数=約45度摺、用紙=福井県岩野氏による生漉奉書ド-サ引き、以上をバレンと木版用絵具刷毛を使用して伝統的手摺りの方法で制作」と記録している。
 私がエディションの制作を依頼すると、いまは次から次へと新しいイメ-ジがわい て来て、それを彫り込んで数部を摺り上げると、直ぐ次の作品に取り掛かるんだ、とても君の希望する50部、100部を摺っている時間はないよという(早過ぎた晩年の 『Forest Byobu』シリ-ズのほとんどはA.P.のみ数部が摺られたのみである)。私は それなら日本で摺り師を用意しますから、版木を送ってくださいと懇望した。浮世絵系統の摺り師ではあの静謐な品格は出せないだろう、現代の木版作家に摺りを依頼する手もあるが果たしてあの微妙な色彩のバランスを崩さずに45度摺りもの作業をやり おおせるだろうか。摺り師米田稔氏に巡り会えたのは僥倖であった。試摺りが日米を往復し、1981年12月現代版画センタ-の460番目のエディションとして『Forest Byobu(Fragrance)』(74.3×44.0cm Ed.120 本誌21頁掲載)が発表された。唯一、 他人に摺りを委ねた作品である。
 現代版画センタ-の機関誌のために1982年7月にニュ-ヨ-クで行なったインタビ ュ-を本誌に再録したが、当時の制作の充実ぶりがうかがえると思う。その数か月後、突然の不幸が作家を襲った。いわば絶頂期で制作が中断されたのである。長い長い闘病生活を経て、昨2000年 5月、79歳の生涯を静かに終えられた。18年間、献身的 に看病を続けた同志俊子夫人もあとを追うように12月に亡くなられた。
 二つの祖国をもった作家の評価が日本では不当に低くはないか。このままでは歴史の彼方に忘れ去られてしまうかも知れない。多くの人にこの作家の真価を知ってもらいたいとの私の願いに、ご遺族の安樹さんがこたえてくださり2点の後刷りを挿入す ることができた。もとより作家自刷りのオリジナル版画が存在する以上、後刷りには慎重な配慮が必要である。自戒しつつ、今後も作家の顕彰につとめたいと思う。

  綿貫不二夫(2001年10月版画掌誌「ときの忘れもの」第04号編集後記より)

版画掌誌4
出品No.5、6)
版画掌誌『ときの忘れもの 第4号 北郷悟/内間安瑆』
2001年
ときの忘れもの 発行
24ページ
32.0x26.0cm
A版(限定35部):北郷悟の銅版3点・内間安瑆の木版1点と銅版1点 計5点挿入
価格:125,000円+税
B版(限定100部):北郷悟の銅版1点・内間安瑆の銅版1点 計2点挿入
価格:35,000円+税

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

内間安瑆
2000年5月9日夕刻(現地時間)、米国ニューヨーク市の病院で死去。享年79。
1921(大正10)年、沖縄県出身の両親が移住した米国カリフォルニア州ストックトンに生まれる。1940(昭和15)年に来日、44年早稲田大学で建築を学び、絵画を独学する。戦後、木版画制作をはじめる。54年デモクラート美術協会の青原俊子を結婚。55年銀座、養清堂画廊で初個展を開催、日本版画協会会員となる。58年1月、東京銀座の養清堂画廊で泉茂、吉田政次と版画三人展、同年10月、同画廊で利根山光人、駒井哲郎、浜田知明等と「版画八人集」展開催。
59年アメリカに戻りニューヨークに住む。以後、日米両国での個展のほか、70年の第35回ヴェネチア・ビエンナーレ、72年のイタリアで開催された第2回国際現代木版画トリエンナーレなど、国際展にも出品をつづけた。しかし、82年に病に倒れ、以後制作は中断していた。代表作となった「Forest Byobu」(81年)にみられるように、多色木版画によって、色彩の豊かさと変化を、繊細な感覚で表現した。これは、浮世絵の伝統的な木版画技法を活用して、多色刷りの「色面織り」と称する独自の技法によって表現されたもので、米国、日本で高く評価された。

◎パブリック・コレクション
メトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、東京国立近代美術館、ワシントン国会図書館、フィラデルフィア美術館、アムステルダム国立美術館、ホワイトハウス、ブルックリン美術館、ナショナル・ギャラリー、大英博物館、シカゴ美術館、ウォルセスター美術館、ホノルル・アート・アカデミー、ローゼンウォールド・コレクション、沖縄県立美術館、他。
~~~~~~~~~~~~~
●ただいま開催中の「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」より、出品作品をご紹介します。
出品作品の価格はコチラをご参照ください。

義理人情いろはにほへと篇_19690801_01出品No.45)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(1)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_02出品No.46)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(2)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_03出品No.47)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(3)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_04出品No.48)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(4)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_05出品No.49)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(5)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 15.7x24.0cm
Sheet size : 20.3x25.4cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


義理人情いろはにほへと篇_19690801_08出品No.50)
西村多美子
「義理人情いろはにほへと篇 1969.08.01 新宿太宗寺」(6)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 24.0x15.7cm
Sheet size : 25.4x20.3cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


吸血姫_渋谷西武駐車場_197105_02出品No.51)
西村多美子
「吸血姫 1971.05 渋谷西武駐車場」(2)
1969(Printed later)
Gelatin Silver Print / RC paper
Image size : 15.7x24.0cm
Sheet size : 20.3x25.4cm(六つ切り)
Ed.5 サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」は本日が最終日です。
261_nishimura昨年に続き第2回となる今回展もZEN FOTO GALLERYと同時開催とし、ときの忘れものでは1968-69年にかけてアングラ劇団「状況劇場」に毎週のように通い、唐十郎や麿赤児、四谷シモンなどの舞台を撮影した〈実存〉シリーズを展示します。

ZEN FOTO GALLERYでの〈猫が…〉展は16日まで開催しています。