<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第29回>
<A stray photo studio Vol.29> text: Akiko Otake, photograph: Yoshimi IKEMOTO

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目隠しをしてどこかに連れていかれる。まわりの音が消え、空気がひんやりとし、なにとは特定できない複雑なにおいに鼻孔が刺激されて屋内に入ったことがわかる。そこでいきなり目隠しがとられる。暗く閉ざされていた視界に、あらゆるものが同時に飛び込み、押し寄せてくる。そのときの驚きと戸惑いと静かな興奮。そこで自分がなにを思い、どんな反応を引き起こすか。この写真を見ながらそんな想像をする。
広くはない室内をたくさんの物が埋め尽くしている。ガラスケースにも、その上にも、ケースの手前にも、下のスペースにも、背後の棚にも、天井にさえも大小さまざまな物がひしめき合っている。物の配置に序列が見られない。人の視線をここに集めようという意図が働いていないのだ。だからこちらも、どこに焦点を合わせていいかわからなくなる。
しかも、これらの物がどんな意味をもつかが想像できず、用途がまったくわからないことが戸惑いを強める。もしここが八百屋であれば種類が多くても、これはトマト、あれはかぼちゃと判別できるから、圧倒はされても戸惑ったりはしないだろう。だがここではまったくアウト。即座にわかるのは秤と網で、あとは「千代川遊漁証販売所」という斜めにひっかかっているサインくらいで、これは文字だからわかるという次第である。
真ん中に人がいる。ガラスケースに両腕をついて上半身を乗り出している。無機物に埋もれている唯一の有機物。大量な物にまぎれて存在が薄くなりそうだが、そうなってはいないのは、この人物の風貌、わけても黒縁メガネのせいだろう。レンズの奥からじっと相手を見つめ、ひるんだ隙にニヤッと笑う。そんなヤワではない人柄を思わせる。簡単には動かないお地蔵さんのようでもある。
目が慣れてくると、視線に流れが生まれる。用途は依然として不明だが、形を慈しもうとする気持ちが働いてくる。どうやら丸いものに反応しやすいようだ。まず天井に下がっている白いライトを見つめる。そこから捕獲網や網なしのフレーム、その下のケースのなかに整列している円形のものへと移動する。それから秤に横移動し、その下の自転車の車輪を眺め、最後に透明な容器に詰まっているガラスケースのなかの球体に到着して停まる。
もしここに自分がいたなら、しばらく無言で眺め渡したあとに、「これは何に使うのですか」と気になるものを指さしてメガネの主人に尋ねるだろう。すると彼はやや面倒くさそうに(でもそれが照れだとわかる無邪気さを漂わせながら)子供に教えるように話してくれるはずだ。
謎だった物体の用途が分かれば、なるほどと思う。利口になった気もする。でも、そのときには最初の驚きはもう消えてしまっている。あのすべてが同時に目に飛び込み、焦点が合わずに立ち尽くした驚愕の瞬間にもどることはできない。
そこにあるものを無言でとらえ、謎を謎として提示する写真は、見るたびにいつも驚きの瞬間に引き戻す。そして、何かと別れることなしに、何かを得ることはありえないという重要な事実を囁きかけてくるのだ。
大竹昭子(おおたけあきこ)
~~~~
●紹介作品データ:
池本喜巳
〈近世店屋考〉より「高木釣具店」
2007年撮影(2015年プリント)
4x5モノクロで撮影
ネガをスキャンしてデジタルプリント
32.9x48.3cm
※父 八治が明治20年釣具店を始めた。店主の勉さんは京都大学を卒業後、勤め人になりたかったが、後を継いだ。因幡の国は昔から釣りが盛ん。最近は鮎も棲めない千代川になった。〈高木勉 85歳〉
2011年廃業。
■池本喜巳 Yoshimi IKEMOTO(1944-)
1944年鳥取市生まれ。67年日本写真専門学校卒業。70年鳥取市にて池本喜巳写真事務所設立。77~96年植田正治氏の助手を務める。82~98年日本写真家協会会員。
主な写真展(個展)に、84年「そでふれあうも」(銀座ニコンサロン)、86年「近世店屋考1985~1986」(ポラロイドギャラリー/東京)、87年同展(ピクチャーフォトスペース/大阪、アムステルダム・ロッテルダム/オランダ、ローマ・ミラノ/イタリア)、93年「ジェームスの島」(銀座ニコンサロン)、2000年「近世店屋考」(JCIIフォトサロン/東京)、01年「写された植田正治〈天にある窓〉」(植田正治写真美術館/鳥取、JCIIフォトサロン/東京)、13年「素顔の植田正治」(ブルームギャラリー/大阪)などがあり、グループ展に00年「21世紀に残したい自然」(東京都写真美術館)、04年企画展「現代の表現 鳥取VOL.2 平久弥・池本喜巳 Painting & Photography -Presence-」(鳥取県立博物館)などがある。
主な写真集に、『そでふれあうも』(93年 G.I.P. Tokyo)、『大雲院 祈りの造形』(96年 大雲院)、『池本喜巳作品集 鳥取百景』(99年 鳥取銀行)、『池本喜巳写真集 三徳山三仏寺』(02年 新日本海新聞社)、『近世店屋考』(06年)、『そでふれあうも 2』(14年 以上合同印刷㈱)、『因伯の肖像』(14年 今井印刷㈱)などがある。
その他の活動に、2005年愛知万博の瀬戸会場「愛知県館」にて海上の森を撮影した作品を上映、13年NHK日曜美術館「写真する幸せ植田正治」にゲスト出演がある。
なお、「写された植田正治〈天にある窓〉」での展示作品は、日本カメラ財団(JCII)に収蔵されている。
●展覧会のお知らせ
・大阪ニコンサロンで、池本喜巳写真展が開催されます。
会期:2015年8月20日[木]~8月26日[水]
会場:大阪ニコンサロン
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
・銀座ニコンサロンで、池本喜巳写真展「近世店屋考」が開催されています。
会期:2015年5月20日[水]~6月2日[火]
会場:銀座ニコンサロン
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
多くの撮影は困難を極めた。店主の撮影許可がもらえないのである。「なぜこんな古い店を撮るのか、ざまが悪い」というのである。時には「帰れ!」という罵声と同時にお茶をぶっかけられたこともあったという。しかし、ひたすら頭を下げ、くらいつくしかなかった。
最初の撮影は1983年、鳥取市青谷町にある散髪屋からだった。その後、靴屋、苗屋、粉屋、たどん屋など、約60業種100軒の店を撮り、30年以上経った。細部までの記録を求め、8×10から4×5、そして体力の衰えと共にデジタルへと変化をよぎなくされたが、現在もなお店を探しては撮り続けている。
作者がなぜ、ここまでして個人商店にこだわるのか…。それは、かたくなに自己の生き方に固執する個人商店には、主人独特のにおいがしみ込み、奇怪な魅力があるからだ。さらに興味を覚えるのは、六本木ヒルズに代表される高層ビルの建ち並ぶ大都会を、スマホ片手に会話を楽しむ若者と同じ時代に、これらの商店が存在し、同じ時間を共有していることの不思議さである。
経済至上主義の日本では、人々は目新しい最先端の方向にしか目を向けない。しかし山陰に住む作者は、不器用に生きてきたこれらの商店と主人に強く惹かれるのだ。残念ながら、個人商店は急激に姿を消している。(同展HPより転載)
Photography Off the Beaten Track: Yoshimi Ikemoto's "Takagi Fishing Store"
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
<A stray photo studio Vol.29> text: Akiko Otake, photograph: Yoshimi IKEMOTO

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目隠しをしてどこかに連れていかれる。まわりの音が消え、空気がひんやりとし、なにとは特定できない複雑なにおいに鼻孔が刺激されて屋内に入ったことがわかる。そこでいきなり目隠しがとられる。暗く閉ざされていた視界に、あらゆるものが同時に飛び込み、押し寄せてくる。そのときの驚きと戸惑いと静かな興奮。そこで自分がなにを思い、どんな反応を引き起こすか。この写真を見ながらそんな想像をする。
広くはない室内をたくさんの物が埋め尽くしている。ガラスケースにも、その上にも、ケースの手前にも、下のスペースにも、背後の棚にも、天井にさえも大小さまざまな物がひしめき合っている。物の配置に序列が見られない。人の視線をここに集めようという意図が働いていないのだ。だからこちらも、どこに焦点を合わせていいかわからなくなる。
しかも、これらの物がどんな意味をもつかが想像できず、用途がまったくわからないことが戸惑いを強める。もしここが八百屋であれば種類が多くても、これはトマト、あれはかぼちゃと判別できるから、圧倒はされても戸惑ったりはしないだろう。だがここではまったくアウト。即座にわかるのは秤と網で、あとは「千代川遊漁証販売所」という斜めにひっかかっているサインくらいで、これは文字だからわかるという次第である。
真ん中に人がいる。ガラスケースに両腕をついて上半身を乗り出している。無機物に埋もれている唯一の有機物。大量な物にまぎれて存在が薄くなりそうだが、そうなってはいないのは、この人物の風貌、わけても黒縁メガネのせいだろう。レンズの奥からじっと相手を見つめ、ひるんだ隙にニヤッと笑う。そんなヤワではない人柄を思わせる。簡単には動かないお地蔵さんのようでもある。
目が慣れてくると、視線に流れが生まれる。用途は依然として不明だが、形を慈しもうとする気持ちが働いてくる。どうやら丸いものに反応しやすいようだ。まず天井に下がっている白いライトを見つめる。そこから捕獲網や網なしのフレーム、その下のケースのなかに整列している円形のものへと移動する。それから秤に横移動し、その下の自転車の車輪を眺め、最後に透明な容器に詰まっているガラスケースのなかの球体に到着して停まる。
もしここに自分がいたなら、しばらく無言で眺め渡したあとに、「これは何に使うのですか」と気になるものを指さしてメガネの主人に尋ねるだろう。すると彼はやや面倒くさそうに(でもそれが照れだとわかる無邪気さを漂わせながら)子供に教えるように話してくれるはずだ。
謎だった物体の用途が分かれば、なるほどと思う。利口になった気もする。でも、そのときには最初の驚きはもう消えてしまっている。あのすべてが同時に目に飛び込み、焦点が合わずに立ち尽くした驚愕の瞬間にもどることはできない。
そこにあるものを無言でとらえ、謎を謎として提示する写真は、見るたびにいつも驚きの瞬間に引き戻す。そして、何かと別れることなしに、何かを得ることはありえないという重要な事実を囁きかけてくるのだ。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
池本喜巳
〈近世店屋考〉より「高木釣具店」
2007年撮影(2015年プリント)
4x5モノクロで撮影
ネガをスキャンしてデジタルプリント
32.9x48.3cm
※父 八治が明治20年釣具店を始めた。店主の勉さんは京都大学を卒業後、勤め人になりたかったが、後を継いだ。因幡の国は昔から釣りが盛ん。最近は鮎も棲めない千代川になった。〈高木勉 85歳〉
2011年廃業。
■池本喜巳 Yoshimi IKEMOTO(1944-)
1944年鳥取市生まれ。67年日本写真専門学校卒業。70年鳥取市にて池本喜巳写真事務所設立。77~96年植田正治氏の助手を務める。82~98年日本写真家協会会員。
主な写真展(個展)に、84年「そでふれあうも」(銀座ニコンサロン)、86年「近世店屋考1985~1986」(ポラロイドギャラリー/東京)、87年同展(ピクチャーフォトスペース/大阪、アムステルダム・ロッテルダム/オランダ、ローマ・ミラノ/イタリア)、93年「ジェームスの島」(銀座ニコンサロン)、2000年「近世店屋考」(JCIIフォトサロン/東京)、01年「写された植田正治〈天にある窓〉」(植田正治写真美術館/鳥取、JCIIフォトサロン/東京)、13年「素顔の植田正治」(ブルームギャラリー/大阪)などがあり、グループ展に00年「21世紀に残したい自然」(東京都写真美術館)、04年企画展「現代の表現 鳥取VOL.2 平久弥・池本喜巳 Painting & Photography -Presence-」(鳥取県立博物館)などがある。
主な写真集に、『そでふれあうも』(93年 G.I.P. Tokyo)、『大雲院 祈りの造形』(96年 大雲院)、『池本喜巳作品集 鳥取百景』(99年 鳥取銀行)、『池本喜巳写真集 三徳山三仏寺』(02年 新日本海新聞社)、『近世店屋考』(06年)、『そでふれあうも 2』(14年 以上合同印刷㈱)、『因伯の肖像』(14年 今井印刷㈱)などがある。
その他の活動に、2005年愛知万博の瀬戸会場「愛知県館」にて海上の森を撮影した作品を上映、13年NHK日曜美術館「写真する幸せ植田正治」にゲスト出演がある。
なお、「写された植田正治〈天にある窓〉」での展示作品は、日本カメラ財団(JCII)に収蔵されている。
●展覧会のお知らせ
・大阪ニコンサロンで、池本喜巳写真展が開催されます。
会期:2015年8月20日[木]~8月26日[水]
会場:大阪ニコンサロン
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
・銀座ニコンサロンで、池本喜巳写真展「近世店屋考」が開催されています。
会期:2015年5月20日[水]~6月2日[火]
会場:銀座ニコンサロン
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
多くの撮影は困難を極めた。店主の撮影許可がもらえないのである。「なぜこんな古い店を撮るのか、ざまが悪い」というのである。時には「帰れ!」という罵声と同時にお茶をぶっかけられたこともあったという。しかし、ひたすら頭を下げ、くらいつくしかなかった。
最初の撮影は1983年、鳥取市青谷町にある散髪屋からだった。その後、靴屋、苗屋、粉屋、たどん屋など、約60業種100軒の店を撮り、30年以上経った。細部までの記録を求め、8×10から4×5、そして体力の衰えと共にデジタルへと変化をよぎなくされたが、現在もなお店を探しては撮り続けている。
作者がなぜ、ここまでして個人商店にこだわるのか…。それは、かたくなに自己の生き方に固執する個人商店には、主人独特のにおいがしみ込み、奇怪な魅力があるからだ。さらに興味を覚えるのは、六本木ヒルズに代表される高層ビルの建ち並ぶ大都会を、スマホ片手に会話を楽しむ若者と同じ時代に、これらの商店が存在し、同じ時間を共有していることの不思議さである。
経済至上主義の日本では、人々は目新しい最先端の方向にしか目を向けない。しかし山陰に住む作者は、不器用に生きてきたこれらの商店と主人に強く惹かれるのだ。残念ながら、個人商店は急激に姿を消している。(同展HPより転載)
Photography Off the Beaten Track: Yoshimi Ikemoto's "Takagi Fishing Store"
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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