中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第5回 横浜美術館

横浜美術館コレクション展 2015年度 第2期 戦後 70 年記念特別展示 戦争と美術


横浜美術館コレクション展示室で開催されている戦後70年を記念した特別展で「戦争と美術」をテーマにした展覧会が行われている。本展に瑛九の作品5点が展示されていることから、横浜美術館に伺うことになった。

横浜美術館_01現在、美術館前の広場は工事中。近年、美術館の最寄駅である「みなとみらい」は大きく変化している。2年前には美術館の向かいに大型商業施設「MARK IS」ができた。


展示構成は、以下のとおり。手堅いテーマではあるが、展示室では鑑賞者は真剣なまなざしで作品に張りついていた。そこには、鑑賞者を飽きさせない作品選びと展示の工夫がそこかしこに見受けられた。例えば、連作の配置、平面と立体を組み合わせた空間など、横浜美術館のコレクションが豊かだからこそ可能な展示である。

1. 戦後70年記念特別展示 戦争と美術
第Ⅰ章 不穏な風景-1920年代から第二次世界大戦までの前衛美術と写真
第Ⅱ章 焼け跡から-日本の戦後美術にみる戦火の記憶と傷跡
第Ⅲ章 ふたたびの「前衛」-戦後日本美術の新たな展開
2. 岡倉天心と日本美術院の作家たち
3. ポール・ジャクレーと新版画
(※ 本展は特任研究員猿渡紀代子氏がフランス政府よりポール・ジャクレーの研究と日仏文化交流に貢献した実績が評価され、芸術文化勲章を受章したことに関連する)

瑛九の作品は、「1. 戦後70年記念特別展示 戦争と美術」の「第Ⅰ章 不穏な風景-1920年代から第二次世界大戦までの前衛美術と写真」で以下の5点が展示されている。

《フォート・デッサン「眠りの理由」》より、1936年、ゼラチン・シルバー・プリント
《フォート・デッサン「眠りの理由」》より、1936年、ゼラチン・シルバー・プリント
《フォート・デッサン「眠りの理由」》より、1936年、ゼラチン・シルバー・プリント
《フォート・デッサン「眠りの理由」》より、1936年、ゼラチン・シルバー・プリント

横浜美術館_02クリーム色のマットを使用していた。他の写真は白いマットを使用。絵を描くように印画紙を扱った作家の意図をくみとり、別の色を当てたのだろうか。


横浜美術館_03横浜美術館の目録ではフォト・デッサン集『眠りの理由』のうち、3枚目の作品。本作は左辺を底辺にすると眼鏡をかけた男性像が浮かび上がる。自画像だろうか。


横浜美術館_04目録では、上段左から4枚目、6枚目、下段左から8枚目、9枚目の作品。横浜美術館では『眠りの理由』の他にも《おんどり》1950年頃、《バレリーナ》1950年頃、《プロフィール》1950年頃、《作品》1950年頃のフォト・デッサンを所蔵している。



1938年12月19日、瑛九は書簡の中で兄杉田正臣に次の告白をする。

僕にとって眠りは死のモケイでした。
毎日に僕は死を実行しようとした。
(『瑛九 評伝と作品』青龍洞、1976年、p.188)

彼は1936年に東京で作品を発表し、『眠りの理由』を刊行した。しかし、まだそのことが消化できずに過ごしていたのだろう。1937年にも瑛九は本作に関連するような以下の詩をのこしている。

夜の理由 (かりの題)

泣き声に似た足おと
おどる影と影の間から見える
深い赤い大地
顔をじっとそこにおいてゐる
小石に話す小石
流れ行く私のもちもの
ねむる
そして花ひらくろうごく
ギタールのはりつけにされる夜
はいだす夜
ひっかく夜
よあけの夜
太陽のいる夜
びっこの夜
目っかちの夜
三角の夜
四角にぶつかる円い夜
うめきおきあがる夜
どろぬまの夜
鳥がやってくる
くちばしがやってくる
夜は朝をけがす
太陽をけがす
夜のない夜
声と声とでつくりだすくらやみ
ひょろりくらりしているのではない
まねているのか
自分のつもりである
しんどうする肉のから
どこに視点をおいていいかわからぬ
腹にある眼と足
血くわんの樹が冬がれる
いってはならぬ冗談
つまみあげてみせる
人の色の種類
はけどころのないのではない
線路は遠くはるかに夜にぬれて
方向
星がまたたく
それにしても
君をいだくことのできぬ
ぜったいの愛情
とりおとす茶碗の音
頭の中にあるかぞえきれぬ
星数のつな
あるいはのばしてものばしてもちぎれぬ
えきたい
そとは音がする
あるいて行く成長する者
ほろびて行くものにある空のイショウ

(1937年4月23日山田宛書簡、『瑛九 評伝と作品』pp.158-160)

瑛九がシュルレアリスムを理解し、実践していることが分かる詩である。一方で、瑛九は自分の作品を咀嚼して、次のイメージを組み立てようとしていたことも分かる詩である。彼は、この詩の中で「夜」や「眠り」の状況を掘り下げている。目が見えにくい中で聞こえてくる音、触れて分かる大まかなモノのかたち、あるいは、目を閉じてから頭に浮かぶイメージをすくい取っては言葉にしている。瑛九は、これを印画紙の上でも実践していたのだろう。とはいえ、フォト・デッサンを当時流行していたシュルレアリスムに落とし込むことを考えながらも、何か煮え切らない思いがあったのだろうか。

その思いを果たすことなく、中断せざるを得ない社会状況となり、瑛九は苦悶していた。作品を焼き払い、頭を丸め、異常な精神状態であった瑛九だが、周囲の支えもあって1939年には「印象派からやりなおす」決心をし、スランプから脱出することになった。

少し長くなってしまったが、以上のように『眠りの理由』は、瑛九の作家人生において大事な位置を占める作品のひとつである。

ところで、最近、大谷省吾氏が「作品研究 山田光春旧蔵瑛九作品および資料について」(『現代の眼』No.612、東京国立近代美術館、2015年6‐7月)で東京国立近代美術館に新収蔵となった瑛九に関する作品や資料群の報告をしている。その中には、瑛九の『眠りの理由』十点組一セットと本作の刊行前後の事が書かれた書簡が含まれ、たいへん重要な発見であると書簡の一部を抜粋している。四十部発行されたフォト・デッサン集『眠りの理由』を十点の揃いで収蔵している美術館は、今まで横浜美術館しかなかったと指摘する。こちらの館報はPDF版で閲覧可能。

***

瑛九の関連書籍から抜け落ちていた展覧会の記録がある。
場所は「横浜」が会場となっているので、ここで紹介したい。

瑛九 フォトデッサン展  10月11日~15日 横濱 ハマヤ
(出典:『アルス写真年鑑』1951年5月、p.37)

本著は、前年の写真に関する出来事がまとめられていることから、1950年に瑛九の展覧会が開催されている。ところが、基礎文献である山田光春の著書で本展が行われた経緯は全く記録されていない。瑛九はこの年10月8日に上京し、上野の松坂屋で行われた展覧会には足を運んでいるようだが、その後は京都・大阪経由で10月24日宮崎に帰郷している。

なお、昭和31年版『横浜中区明細地図』には、画像のように「ハマヤ百貨店」が桜木町駅前に存在していた。住所は当時の桜木町1-1、一等地である。

横浜美術館_05『中区明細地図』(部分)、経済地図社、1956年


 ***

ちょっと寄り道….

長谷川潔(銅版画家、1891‐1980)は横浜美術館の近くで生まれた。
猿渡紀代子氏によると長谷川潔の父一彦は、「第一国立銀行横浜支店」に勤め、「港が一望のうちに見渡せる御所山の地」に広大な庭をもつ屋敷を購入し、「静観亭」と名付けて住んでいた。潔はこの裕福な家庭の長男として誕生した。現住では、西区御所山49番地の一部と51番地のあたりだという。(猿渡紀代子『長谷川潔の世界』上、有隣堂、1997年)

横浜美術館_06長谷川潔が住んでいた場所を目指して歩いた。近くに「御所山公園」があったので階段を登ってみた。


横浜美術館_07御所山から港の方向を眺めた。ランドマークタワーが見えた。戸部と御所山のあたりは、富裕層の居住地であったという。

横浜美術館_08大通り公園の西端(みどりの森)には「長谷川潔画伯之碑」がある。

横浜美術館_09裏面には鳩。石柱には、長谷川潔の略歴と「一九八〇年九月開催された国際ロータリー第二五九地区大会を記念して、この碑を横浜市民に贈るものである」という銘がある。1981年6月に設置された。
デザイン:加藤進治、制作:立体写真像株式会社。

横浜美術館_10大岡川を渡り、黄金町エリアまで足をのばした。

横浜美術館_11小物のシルエットが浮かぶ、おしゃれな壁。

横浜美術館_12日の出スタジオにある古本屋「黄金町アートブックバザール」。取材した日は、残念ながら月曜日で定休日だった。

横浜美術館_13高架下にある「黄金町芸術センター」。今年も「黄金町バザール2015」が10月1日からはじまる。現地に滞在制作していた作家さんによると海外からコレクターが来るほど、黄金町がアートの町として知名度が上がってきたとのこと。

横浜美術館_14昨年、場所を変えてリニューアルオープンした「横浜市民ギャラリー」。コンテナを積み上げたような面白い外観。10月2日から企画展「ニューアート展 NEXT 2015田中千智展 I am a Painter」が開催される予定。黄金町に滞在制作していた若手作家。
(photo / takanori ogawa)

(なかむら まき)

●展覧会のご案内
「横浜美術館コレクション展 2015年度 第2期 戦後 70 年記念特別展示 戦争と美術」
会期:2015年7月11日[土]―10月18日[日]
会場:横浜美術館
時間:10:00~18:00(入館は17:30まで) 
※2015年9月16日(水)、18日(金)は20時(入館は19時30分)まで開館
木曜休館
主催:横浜美術館
出品作家:ジョン・アームストロング/ハンス(ジャン)・アルプ/ジョルジュ・ブラック/サルバドール・ダリ/オットー・ディックス/オスカル・ドミンゲス/アルフレッド・アイゼン/マックス・エルンスト/ジョージ・グロッス/ラウル・ハウスマン/ヴァシリィ・カンディンスキー/パウル・クレー/アンドレ・マッソン/ラースロー・モホリ=ナジ/アルベルト・レンガー=パッチュ/アレクサンドル・ロトチェンコ/アウグスト・ザンダー/クルト・シュヴィッタース/ヨースト・シュミット/ウラジミール・タトリン/内田武夫/瑛九/岡田謙三/小川原脩/川口軌外/北脇昇/木下孝則/木村伊兵衛/桑原甲子雄/斎藤義重/佐伯祐三/清水登之/中川一夫/名取洋之助/長谷川利行/林忠彦/福沢一郎/藤田嗣治/藤本四八/師岡宏次
※「第Ⅰ章不穏な風景――1920年代から第二次世界大戦までの前衛美術と写真」のみ転載

第一次・第二次大戦間のヨーロッパでは、不安定な社会情勢を背景にして、アヴァンギャルド芸術運動が花開きました。大正期に新興美術運動が興隆した日本でも、昭和に入るとシュルレアリスムをはじめとする新しい表現に触発された画家たちによって、独自の前衛主義が形作られていきます。しかし、それら日本の前衛芸術運動はやがて国家からの弾圧の対象となり、戦争の勃発に伴う翼賛体制下、途絶しました。終戦からしばらくして、社会の復興活動とともに創作を再開する画家たち。記憶に刻まれた生々しい戦争の傷跡、ゼロから再起して新しい表現を模索しようとする決意・・・。芸術家たちは、戦争という重い経験をいやおうなしに背負い、直接的にせよ間接的にせよ、その影響を作品に投影し続けてきたと言っていいでしょう。 この特別展示では、当館が所蔵する20世紀美術を通して、戦争の前後を生きたさまざまな分野の美術家たちの創作を紹介するとともに、ヨーロッパ、そしてとりわけ日本における美術と戦争との関わりについて、写真や雑誌・書籍等の資料を交えて振り返ります。(同展HPより転載)

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
20150909_qei_133_work瑛九
「作品」(裏面にも作品あり)
吹き付け
イメージサイズ:表 35.5x31.2cm/裏 31.5×x28.5cm
シートサイズ :39.7x31.2cm
スタンプサインあり
裏面にも作品あり


20150909_qei_133_work2裏面


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆このブログで瑛九に関連する記事は「瑛九について」でカテゴリーを作成しています。
 ・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。