石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第21回

まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座

21-1 はじめに

資生堂企業文化部の森本美穂さんからマン・レイの展覧会を検討しているので話を聞きたいとメールをいただいたのは2003年の秋だった。銀座本社ビルに新しい文化発信施設をオープンさせるのに伴う企画らしく、写真評論家の飯沢耕太郎氏に紹介されたとの説明だった。世界的な企業である資生堂の事業については、改めて触れないが、創業家の福原信三、路草兄弟による芸術写真(ピクトリアリズム)への功績、東京都写真美術館の館長も務められる名誉会長の福原義春氏の企業メセナ貢献など、日本の美意識を代表する企業文化によって「どのようにマン・レイが紹介されるのか」と期待を持った。──森本さんは資生堂ギャラリーの学芸員として実績のある方、でも準備期間はおよそ8ヶ月、これは大変だ。

manray21-1チーム・マン・レイの皆さん at 京都・西大路通り


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21-2 『ハーパース・バザー』誌

マン・レイのファッション写真が注目されるようになったのは、ジョン・エステンが『バザーの時代』(リゾーリ、1988年刊)を上梓した以降であり、これを基にして開かれたニューヨークの国際写真センター(ICP)での『ファッションにおけるマン・レイ』展(1990年9月7日─11月25日)が決定的な役割を果たしたと思う。生活の糧のために写真を撮ったマン・レイにとって、創造の証しである絵画の仕事が酷評され、写真ばかりが評価される屈折した感情は、特に高収入に繋がったファッション写真を憎悪する傾向となったようだ。その為に、彼の『自伝』ではあまり触れられず、筆者のような第二世代の研究者では見落とす領域でもあった。しかし、前述の展覧会カタログを開いた時、センスの良さに驚き魅了されてしまった。写真作品が素晴らしい以上に、雑誌のレイアウトに心ときめいた。紹介されていたのは1937年4月号だったが、編集長のカーメル・スノー、アート・ディレクターのアレクセイ・ブロドヴィッチによる紙面構成から、夢を見ているように感じた。
 さっそく、マン・レイの写真が掲載されている『ハーパース・バザー』誌のバックナンバー・リストを作ったものの、戦前の雑誌を実見するのは困難だった。その後、1997年に開館した神戸ファッション美術館で現物を調査、新たな掲載号も沢山見付けて購入目標一覧表を補強。すでに価格は上昇していたが、実際にネットオークションを使って海外から取り寄せたのは1998年4月が最初。資生堂からメールを頂いた頃には、およそ、30冊が集まっていた。


21-3 展覧会準備

資生堂でマン・レイ展をするとなると、ファッションに関係する作品で、エレガントなものが必要になる。京都まで来られた企業文化部の方々に、マン・レイの仕事を紹介しながら、写真や装身具の他に、ファッション雑誌の現物展示をお薦めした。銀塩の印画紙も悪くはないが、印刷原稿として軟調に仕上げる場合が多く、頁の展開によって「憧れのパリ・ファッション」を伝える雑誌の魅力の方が勝り、網目印刷の画像こそがオリジナル作品と言えるのではないかと考え、「幸い合本ではない現物が手許にあるので、そのまま、展示されたらいかがでしょうか」と続けた。この時、化粧品の資生堂ならば、女装したマルセル・デュシャンを撮った写真をラベルに用いた香水瓶を表紙意匠とした『ニューヨーク・ダダ』誌こそ、展示品に加えるべき逸品ではないかと、東京都現代美術館のコレクションにも言及した。──本当は、わたしの手許に有れば良いのだが、デュシャンに関係すると価格レンジが別になるので、とても手が出ない(涙)。

manray21-2チーム・マン・レイの皆さん at 銀座・中央通り


 年が明けてから東京へ出掛け展覧会の監修をされる飯沢耕太郎氏と一緒に工事中の会場を拝見。展示のコンセプトと1・2階に別れての構成もまとまり、具体的な作業の段階に入った。飯沢氏が「タイトルは、まなざしの贈り物。まなざしは平仮名で」と言われたのを覚えている。

 森本美穂さんとメールでやりとりしながら、彼女が次第にマン・レイを理解されていくのが判って、嬉しかった。わたしの方は貸し出す作品や資料を調整し、援護射撃を準備。カタログに使うオブジェの写真撮影を手配し、マン・レイの「略歴」を執筆。3月に入って森本さんが提供品の確認に来宅。出品承諾、保険手続きなどを経て5月15日に作品出荷。展示什器の打ち合わせやカタログ表記の校正など、詳細な報告をメールで受け取る度に、家庭人である彼女の深夜や休日にかかる発信に頭が下がるのだった。

manray21-3筆者宅で『青い裸体』を確認する森本美穂さん


manray21-4カタログ用写真撮影中の今井一文氏


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 6月3日から始まる『マン・レイ展──まなざしの贈り物』は、資生堂の新しい文化発信施設「ハウス オブ シセイドウ」の企画第2段。案内状には「様々な顔を持つアーティスト、マン・レイ。今回はファッション写真家としての作品にスポットを当てた展覧会です。写真が掲載された1920~40年代『ハーパース・バザー』誌をはじめ、オブジェや貴重な資料も展示。その美意識は時代を超えて、今も新鮮です。」とあり、メインイメージは、未開人風のメークを施したリー・ミラーの上半身をとらえたマン・レイの写真。強い光を浴びた絹のドレスとリーの金髪が鮮やかに輝き、自立する新しい女性の到来を予告する雰囲気。エレガントにあふれ、資生堂の企業戦略と一致していると思った。


21-4 マン・レイからの「贈り物」

わたしは、家人と連れだって前日夕方からのオープニングレセプションに出席。さすがに銀座、美しい人達に囲まれてスパークリングの美味しい事といったらありません。いろいろな方に紹介される充実した一時となった。──パーテイや会場の様子については、すでにブログ『マン・レイになってしまった人の日録』に書いているので(追記参照)、ここでは繰り返さないが、掲載写真を観て頂いて、皆さんにも参加された気分を味わっていただきたい。どうですか?

manray21-5「ハウス オブ シセイドウ」並木通り(銀座7丁目5-5)


manray21-6同上1階


manray21-7「ハーパース・バザー」誌展示(1937年2月号 1936年3月号)


manray21-8同上(1935年8月号 1937年1月号)


manray21-9同上(1937年11月号 1935年9月15日号)


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manray21-10同上、オープニングレセプション


 森本美穂さんが研究紀要『おいでるみん』17号(資生堂企業文化部/資生堂企業資料館、2004年刊)で報告しているように、1階の展示は「ファッション写真とマン・レイが愛した女性たちの肖像写真」99点で、投資会社エクセのコレクション。ここには、「ハーパース・バザー」誌に掲載されたオリジナル写真との照応も数点示されている。2階の方は「マン・レイのアトリエをイメージ」しており、机型の什器三台に、わたしが提供したオブジェ(2点)やカタログ類(20点)が美しく置かれ、初公開となる資生堂アートハウス・コレクションのオブジェ(5点)と版画『天文台の時──恋人達』にコラボして、マン・レイの内面世界が楽しく表現され、好印象をもった。さすがに資生堂の仕事である。引き出し内の案内状が宝石のように輝いて、本人もおもわず見とれてしまった。展示品のリストによると、写真124、版画・コラージュ・オブジェ20、「ハーパース・バザー」誌12、その他雑誌・案内状・カタログ・書籍など21、戦前の資生堂資料19、オリジナル商品16の総計212点と云う充実した内容となっている。

manray21-11「ハウス オブ シセイドウ」2階


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manray21-12同上


manray21-13同上


 この展覧会でも、ドキメント類の制作がわたしの関心事だった。まず、用意されたカタログは、同社のデザイナー(当時)平林奈緒美さんによるもので、メモ帖、ジクソーパズル、缶バッチと共に紙箱に収められている。遊び心満載の「贈り物」で、シールを破って取り出す構造が、ちょっぴりの勇気に繋がって、口紅を塗る女心に通じるのかも知れない。もうひとつは、2階のカタログ類を身近なものにする展示用解説書で、A3版二つ折に「ダイナミックなものを削除せよ!」とある『ニューヨーク・ダダ』誌の邦訳。原物を手に取る事は出来ないが、解説書を見台で開き、80年以上前のスティーグリッツの写真を囲む言葉やトリスタン・ツァラの宣言を読むのは貴重な体験となるだろう。これに、わたしが提供したカタログ類の簡単な説明を付したシート2枚を挟んでみると、立派な資料が完成する。── でも、誰もその場限りの紙モノを残さないだろうな。

manray21-14筆者


manray21-15(左)トークショー・リーフレット(限定50部)と『マン・レイ展とキーボード』(限定5部)


 7月10日に2階のライブラリーで飯沢耕太郎氏と対談を行った。題して『マン・レイの[贈り物]……man ray istの日々』。飯沢氏は著名な写真評論家で、今展のチラシでは「センスがよくて、好奇心と冒険心にあふれていて、ちょっぴりエロテックで」とマン・レイを紹介されている。その飯沢さんの質問に答える形で少人数の参加者を前に楽しく話をさせていただいた。ファッション写真や美しい女性に触れたのは当然だけど、わたしのマン・レイ人生についても話をした。マン・レイがニューヨークで会社勤めをしていた頃を振り返って、仕事をしながら頭の中ではパリへ行く事を夢見ていたと書いている(『自伝』美術公論社、1981年刊、26頁)のに関連して、「仕事中も、マン・レイの事ばかり考えています。頭の中は外からでは判りませんから」と話すと、「そんな事を言っていいんですか」と笑いながら飯沢氏に返された。そして、名古屋アバンギャルドの水脈が、山本悍右先生から東松照明氏を通してわたしの処にまで続いていると云う指摘に、「悍右さんから、特別の写真論と云うのは聞きませんでした」と話すと「みなさんそうなんですよ、身近に居ることで影響を受けるんです」と納得させられる話しの展開だった。さすがに飯沢氏だと有り難く思った。対談の後半でマン・レイのアトリエを訪問した折のスライドを観てもらったのだが、2階の会場は「マン・レイのアトリエをイメージ」されているので、作品と資料に囲まれながらの「トークトーク」は、きっとフェルー通りに誘われたような臨場感にあふれていたのではないだろうか。尚、石原コレクションの出品リストも兼ねたリーフレットを作成し、参加者にお配りした。生写真貼り付けの洒落た体裁だと自画自賛している。

 展覧会は7月18日まで開かれ、41日間の会期中来場者は13,104名。メディアへの露出も多く、月刊誌の他にNHKのEテレや週刊新潮、新聞では東京新聞で旧知の中村隆夫氏、朝日新聞で飯沢耕太郎氏が寄稿された。贔屓目に観ても成功した展覧会だったと思う。

manray21-16森本美穂さん


 お貸しした作品は、8月1日に無事帰着。前年から頻繁にメールで情報交換を行っていた森本美穂さんによると、総じて男性の観客は2階の展示を熱心に楽しまれた様子だと云う。会場に詰めたのが4日間だけだったわたしとしては、彼女からのメールで展覧会の準備から撤収までをライブ演奏で聴く機会に恵まれ、幸せなコレクターの日々であったと思う。感謝の意味を込めて、資生堂のスタッフの方々と交わしたメールを転記して『マン・レイ展とキーボード』と題する本を上梓した(銀紙書房、2004年刊、限定5部)。

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manray21-17東京駅にて


 さて、残念な事に「ハウス オブ シセイドウ」は、本社ビルの建て替えに伴い2011年3月31日に閉館。森本美穂さんは資生堂を離れ、現在は文京区立森鴎外記念館で活躍されている。

続く

(いしはらてるお)


追記 筆者の(旧)ブログ『マン・レイになってしまった人の日録』での展覧会報告は下記を参照。

オープニング: June 2-3, 2004 http://www.geocities.jp/manrayist/daybook2004-6.html
トークショー: July 11, 2004  http://www.geocities.jp/manrayist/daybook2004-7.html

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、中山岩太です。
20151205_nakayama_02中山岩太
「無題(パイプとグラスと舞)」
1932年(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
23.0x29.0cm


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◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。