笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第20回

「アメリカの若きコレクター達から学んだこと」


 60年代後半から70年代にかけ、日本には勢いがあった。夢もあった。
 経済界には、この頃、表現しようのない程の活力と躍動感が満ちあふれていた。「欧米の先進企業に追い付け、追い越せ」を合い言葉に、企業戦士は睡眠時間も惜しみ、仕事にのめり込んでいった。商社での一現象を見てみればその一端が分かる。ニューヨーク・オフィスでは、夜中の12時、ほとんどの社員がせわしなく仕事をしていて、「まだ、宵のうち」という雰囲気。それでも、翌朝8時には、いつも出社していた。
 企業内行動でも、多少のとりこぼしや失敗は看過してくれた。今、思えば「実に、ヤリガイのある時代」だった。
 「Oh! モーレツ」という突飛なテレビ・コマーシャルが世をにぎわし、話題になったのが1969年。時代を素直に表現していた。
 一方、仕事はきつかったが、そのリターンも相応なものだった。給与やボーナスの上昇率は現在の比でない程大きなものだった。その結果、「心のゆとり」も感じるようになってくる。
 出張で、アメリカ東部のニューイングランド地方を回ると、その美しい生活環境に憧れ、又、カリフォルニアのサンノゼ近郊のカーメルでは、真っ白なコンチネンタル・スタイルの木造住宅を眼にすると、「よし、オレやってやる」と真面目につぶやいていたことを思いだす。「欧米のようなスマートで、洗練された生活」をしたいという夢を抱えて走っていた。
 この頃、日本で多くはなかったが、現代美術のコレクターが出現していた。おそらく、これが日本での現代美術コレクターの“第一世代”と言える人々ではないか。知っているだけでも、三井物産、日本銀行、大手都市銀行や生保、日本電気、日立金属、総務省のキャリア……、など日本を代表する企業や官庁に勤務すサラリーマン・コレクターが多かった。コレクションしている作品は、日本人作家であると、山口長男オノサト・トシノブ斎藤義重菅井汲、高松次郎……。外国作家であると、クレー、マグリット、エルンスト、ミロ、ジャスパー・ジョーンズ、フォートリエ、ボルス……などの水彩や油彩の小品、版画に視線を当てていた。
 だが、当時、知りあった多くのコレクターからは、「あの作品、かなり上がったので、儲かった」とか、「これ儲かりそうだから買ってみる」などという、今、コレクターの間で、挨拶代わりのように出る言葉は聞くことがなかった。ただ、ただ「自分の好みの作品を1点ずつ丁寧にコレクションしている」状況だった。この点が当時と現在との注目すべきひとつの相異点だ。日本では、当時、現代美術市場が未成熟だった点もあるが、“時代の勢い”とは恐ろしいもの。経済的にも、心理的にも、なんとなく人々を包みこんだ“余裕”というものがこうさせたように思えてならない。
 ただ、彼等は新人作家への関心は強くなかった。勤務しているところが、ところだけに、“名前の効用”を知り尽くしていたのか……、コレクションを行うにあたっても、「無意識」のうちに、「安定したもの」を選択していたのではないか……。
 一方、当時、美術館に行っても、外国作家の作品を見る機会はごく限られていた。又、画廊でもしかり。従って、とにかく作品数が少ないので、その作家の作品の比較感すらつかめない。見比べて「好み」で選ぶなどまったく不可能。極端に言えば、出会った作品を買うか、買わないか……。要するに、「作家の名前で作品を買っている」ような状況になっていた。
 「このような状況の中に、たたずんでいていいのだろうか?」冷静に考えてみた。「もっと広い、未知の世界があるのでは……?」と思い始めた。
 思いついたが吉日。ニューヨークやロサンゼルス、シカゴ、ミネアポリス……などで、出張の度に時間をつくり、新しい世界を求めて、美術館や画廊を訪問し始めた。なにもかも、眼にするものすべてが未知の世界だった。

■  ■

 1985年頃の事だったと思う。ニューヨークのマンハッタン、東75丁目にあったザビエル・フォーケード画廊に立ち寄った。画廊主は非常に眼が良いと市場で評価され、当然、一流画廊のレッテルがはられていた。そこで、50歳ぐらいの男性コレクターが人も寄せつけないような真剣な面持ちで作品を選んでいる場に接した。抽象表現主義のような作家の120号ぐらいのサイズの作品を15点程並べて比較している。このコレクターにすごさを感じたので、許可をとり、側で、その選択の光景を見させてもらった。
 作家はジョーン・ミッチェル〔英国の現代美術作家:1926~1992〕当時、ニューヨークでは、未だ、コレクターのコレクション・アイテムにはほとんど入ってない作家だった。当然、自分もこの作家の作品を初めて眼にした。このコレクターは、かなりの時間をかけ15点の中から5点を購入した。
 画廊主は、「今、彼はジョーン・ミッチェルの初期の作品のみに注目している」とつぶやく。初めて、このような作品のコレクションの仕方もあることを知った。そこで聞いてみた。
「なぜ、このような作品の集め方をするのですか?」
「このコレクターの特徴は、いつも、他のコレクターが注目してない“力のある作家”に眼をつける点です。そして、今日のような作品選択の行動に入るかなり前から、“文献”や“作品集”で、その作家を徹底的に研究して、又、美術館でも作品を見て細かく調査して、自分が選ぶ作品の時代やタイプを決めてくるところが凄いのですよ。それと、とにかく、眼筋がすごく良い。しかも、そのような作品は安値に放置されてますしね」
 続けて、「その作家を徹底的に研究した結果でしょうよ……。その作家の特性が最も良く出た時期の作品を選びますよね。これには私共でも非常に刺激をうけてます」
 自分にとって、余りにも刺激的な現場を体験した。このようなコレクションの仕方にじかに触れ、自分のコレクションの手法を根本から組み立てなおす切っ掛けとなった。

■  ■

 土曜や日曜に、画廊回りや美術館回りをしている時に、大手金融企業〔J.P.モルガン銀行、チェース・マンハッタン銀行、ゴールドマン・サックス、シティ・バンク……〕に勤める若手コレクターに出会い、親しくなってゆく。彼等からは、自分では思いもつかないシステマティックなコレクション手法を聞き、これ又、強いショックを受けた。同時に、自分の発想の乏しさに気付き、視野の狭さも痛感した。
 アメリカの金融分野の大企業には、“絵好き”でコレクションに真剣に向き合う若手の絵画コレクターがけっこういる。ニューヨークはマンハッタン、ウォール・ストリートやパーク・アヴェニューにある企業のヘッド・クオーター〔本社〕で働く若きエリート達である。
 ハーバード大学、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学、シカゴ大学、コロンビア大学、ペンシルベニア大学……などの、世界のビジネススクールのランキングでベスト10に常に位置づけられている超一流ビジネス・スクールでMBA〔修士〕を取得。引く手あまたのなかで、気に入った金融企業を選び入社する。20歳代半ばで、初任給は年収で15万ドル~20万ドル。優秀な者は30歳ともなれば、プロ野球の選手なみの途方もない報酬を受けとる。当然、若手ながら、マンハッタンのウエスト地区の高級コンドミニアムに住居をかまえる。若くして、優雅である。
 だが、アメリカの企業社会は甘くない。「条件がよい」ことの裏には恐ろしい競争社会の掟が潜んでいる。どんな有名大学を出ていても、“名前”だけでは通用しない。最高の教育をうけた上で、生れつき持った鋭敏な頭脳が売りになるのだ。「力がない。機能が十分でない」と判断されると、「明日から、出社に及ばず」と厳しい結論が飛ぶ。プロ野球の選手と同じだ。彼等はこれを十分に心得ている。従って、実社会に出た時から、抜け目のない連中は、人生設計をそれなりにたてる。「絵画コレクション」もただ「好きだから」だけの単純さは少数派であることを、端でみていて、うすうす感じていた。
 それは、コレクション手法が、ただの趣味とは思えない程、非常に緻密な点だ。彼等の本業である経済分析や金融商品の企画の段階で見られるような手法をコレクションの中にも取り入れている。なぜ、こんなにも用意周到に……。彼等の人生の中で、万一の時の“補助戦力”のひとつとして、絵画コレクションも考えているからではないか……。
 1ケースを見てみると、美術市場で、彼等なりの分析手法で選んだ信頼できる一流画商、そして、自分がコレクションしようとしている作家、そして、超一流美術館の学芸員。これらの3つの特色ある機能を、自分独自で編み出した≪分析システム≫の中に組み込んでゆく。彼等から、上質な情報やサゼスチョンを吸い上げるために、日頃の彼等に対するメンテナンス〔接待を含めたコミュニケーションの機会を多くつくる〕は丁寧さを極めていた。
 ただ、冷徹なところは、コレクションする作家を、このシステムに組み入れていても、作家の“言”を全面的には、鵜呑みにしない。必ず、他の2つの機能にそれをぶつけて、反応を見るなど、彼等の本業でやるような複雑な情報分析をしていることが見えてきた。この事象の中に、アメリカの凄い競争社会で生きる術の一端を垣間見た。
 80年代後半、ジャンクボンド〔信用度の低い高利回り債券〕の帝王と言われたドレクセル・バーナム・ランベール社の当時の若き経営者、あのやり手マイケル・ミルケンも類似したネットワークをつくっていた。私がジョエル・シャピロのスタジオに遊びに行っていた時、ミルケンから電話が入り、シャピロが他作家について多岐にわたって助言をしていたのを思い出す。ミルケンはシャピロの作品を20点以上所有しているコレクターだった。

 このような動きとは別に、彼等は自身の作品を見る眼の鍛錬もおこたらない。前述のような情報システムに依存し過ぎるのを極力避ける努力も重ねていた。美術家や超一流画廊で、よく出会ったのは、この作業を行っている時だった。この時は、あの功利的でハードな姿勢は消え、本来の“絵好き”のコレクターに戻っているのを感じた。
 自分が考えられる最上の情報システムをつくったからと言え、それに振り回されないような歯止めは意識している。自分のコレクションの質を落さないように何重もの防御をかけているのが分った。自分にとってはものすごく参考になった未知の世界だった。彼等の思考やそのシステムを≪自分の体質≫に合うようにmodification〔修正〕して、自分なりのコレクション手法を時間をかけ、再構築しはじめた。画商や美術館の利用の仕方などのヒントも彼等から得たものだった。
■  ■

 1986年頃だったか……。J.P.モルガン勤務の若手コレクターがつぶやいていた。
「絵では、サーファーのやるような≪波乗り≫はやりませんよ。『絵の動きは株とは異質』ということを頭においておかないと……。株でさえ、これをやり小掬いを重ね、運に恵まれ利益を蓄積したとしても、一度にそれを吐き出すような事態に、高い確率で遭遇するのですよ。それどころか、大火傷することもね……」
 何回も相場の波をくぐり抜けてきたプロらしい言葉である。
 商社マンの眼でみても納得である。通常、上昇、下降のサイクルを見ると、株が上昇に入っても、絵画も同期して上昇に入るとは限らない。株が何サイクルか上下を繰り返し、その後に上昇に入った時、たまたま絵も上昇するケースがある。絵の方が一般的に見て、サイクルが長くゆったりとしている。彼等は企業内で学んだ、それへの読みの感覚は鋭い。
 彼からだけでなく、彼等の仲間からも同じような事を聞く。要するに、絵画作品を「10年、15年、20年」と長期保有し、付加価値をつけるやり方が流儀のようだ。
 それ故、選び抜いた画商、頭抜けて優秀なキュレーター、作家との3パーツで造りあげた≪情報システム≫と自己鍛錬をかみ合せ、長期保有に耐えられる作品をコレクションしようと努めているのだ。強い価値へのこだわりがあっても、時々、彼等の家にゆき展示されている作品を見ると、実に、作品を大切にしている。絶えず展示替えをし、陽焼けによる退色を防止している。保存の知識もすごく豊富である。ただ、価値のみを追う連中でないことが分る。「コレクションした作品が好きでたまらない」という気持ちが、こちらに伝わってくる。
 やはり知的な連中の一味違う面を見た気がした。

■  ■

 次回は「コレクション日記」について記述。コレクションをするにあたり、これをどのように利用したかも記述する。
ささぬま としき

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
---------------------------

●今日のお勧めは、秋葉シスイです。
20151208_akiba_24_next14秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(14)
2015年
カンバスに油彩
65.5x91.0cm(P30号)
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください